第10話 報告と警告。

 いくら帝国の第二皇子とはいえ、仕事は仕事。しなければならないことは案外と多く、その一つ一つに責任があると思えばむやみに放置するわけにもいかない。ザイルとてそれは分かっているし、分かっているからこそ真面目にこなしている。それ自体は別に良いのだ。良いのだが。


「同じ場所に住んでいて食事以外で前回会ったのが半月前? 婚約してんだぞ俺たちは……!」


 地を這うような声で呟き、裁決を待つ書類にひたすらサインを施していく。「目が血走ってますよー」と乾いた声で笑うジェイルをひと睨みして、ザイルはただひたすらにペンを動かした。

 昼間にラテルティアに会ったのは、彼女がレンナイト公爵からの手紙を携えてきたあの日が最後。それまでも、互いに仕事やすべきことが多く、休憩時間程度にしか会えはしなかったが。

 それでも、今現在の状況を考えれば、休憩時間に会えただけマシであった。休憩の時間さえ合わず、食事の時に顔を合わせることが出来れば良い方。下手をすれば、食事の時間さえも別々である。仕事を減らせとは言わないが、もう少し融通は利かないものだろうか本当に。


「でも殿下、普通の婚約であれば、住まいは別だし、それこそ一週間に一度食事をする程度なわけですよ。会えないって嘆いてる割には、週の半分以上は一緒に食事できてるんですし、良い方ですって」


 「そうでしょう?」と、ジェイルは苦笑交じりに言う。確かに彼の言うことは理解できるし、ザイルとしてもその通りだと分かるのだが。それでも、だ。


「……早く結婚したい」


 そうすれば、夜の間中、ラテルティアを抱き寄せ、愛することできるのに。

 近頃、そう口にすることが日課になりつつあるザイルに、ジェイルはまた呆れた顔で、「まだ半年以上ありますから、諦めて仕事してください」と、冷たく言い切った。


「そういえば、今日は殿下の休憩と、ラテルティア嬢のお茶会が同じ時刻になっていたはずですよ。結局、お茶会に顔を出せておりませんし、行ってみてはいかがです? 様子を覗う意味も兼ねて」


 ふと思い出すように言うジェイルに、ザイルはばっと顔を上げて彼の顔を見遣る。「急いで仕事を終わらせれば、その分長くラテルティア嬢の傍にいられますね」と続けたジェイルは、その優しげな風貌ににっこりと笑みを浮かべていたけれど。

 「お前……」と、ザイルは低く呟いた。


「知ってたんなら何でさっさと言わねぇんだよ……!」


 ひくりと、笑顔のまま唇の端を持ち上げたジェイルに唸るような声を上げて、ザイルは先ほどよりも一層真剣に、机の上の書類に目を通し始めた。

 周囲の声など聞こえないというように集中して書類を捌いていくザイルの様子を、ジェイルが呆気に取られたように見ていたが、ザイルとしてはどうでも良かった。ずっと顔を出したいと思っていたのだ。彼女が主催するお茶会に。彼女の婚約者として。予定が合わず、一度も参加出来ていないことを不服に思っていたが、やっとのことで機会に恵まれたのである。少しでも長く彼女の傍にいるためにも、早急に仕事を終わらせるのは、ザイルにとって当たり前のことだった。

 そうして、休憩時間よりも前に終わらせる予定だった書類の最後の一枚に手を伸ばしたのは、いつもよりも程々に早い時刻だった。


「各書類をそれぞれの部署へ運んでおいてくれ。少し外す」


 周囲に控えていた部下たちに告げ、ザイルはジェイルを連れて執務室を出る。「本日のお茶会は、サロンの方で行われるようです」というジェイルの声に頷き、すたすたと廊下を進んだ。

 階段を降り、角を曲がり、中庭の間にある渡り廊下を進もうとして、ふと足を止める。ザイルたちが今まさに向かっている方向、きらきらと、光を反射する銀色の髪が見えた。

 見間違うはずもない、その珍しく美しい髪色。思わず表情を緩め、自らの婚約者の姿に思わず声をかけようとしたザイルは、一拍の後に口を閉じる。彼女の肩越しに、見知った顔を見つけたものだから。


「……あれは、ゼイラル様、ですか」


 ジェイルもまた気付いたようで、そうぽつりと呟くのが背後から聞こえた。ラテルティアは後ろ姿しか見えず、ゼイラルもまた横顔ではあるが、二人ともそれぞれ特徴的であるため見間違うはずもない。

 そういえば、ラテルティアにゼイラルへの依頼を頼んでいたと、ふと思い出す。時期的に、その結果を伝えに来たのだろう。周囲に聞こえないようにするためか、ゼイラルはラテルティアの耳元に顔を寄せ、何やら囁いているようだった。

 それにしても。


 ……近い。


「……ゼイラル様の事ですから、他意はないと思いますよ」


 目を細くし、気付けば睨みつけるようにして二人の様子を見ていたザイルに、ジェイルが何やらぼそりと呟く。彼は背後にいるため、ザイルの顔色など分かるはずもないのだが、雰囲気がやけに冷ややかなものになったことに気付いたのだろう。

 確かにジェイルの言う通り、ゼイラルは娼館に身を置いていたため、女と言葉を交わすことに慣れており、距離が近い。加えて、やけに女受けする顔立ちのため、言葉を交わすだけで彼を想うようになる女も多かった。

 ラテルティアに限って、そのようなことはないとザイル自身も分かってはいたが、やはり自分の想い人に他の男が馴れ馴れしく接するのは気分が悪いというもの。もう一度忠告しておこうと、目を閉じ、軽く息を吐いて。

 「あ」と、ジェイルが呟いた。


「ネルティア妃殿下」


 足を進めようとしたザイルよりも先に、二人に歩み寄ったのは、皇帝の側妃であり、ザイルの義理の母であるネルティアだった。嫋やかな風貌に似合わず腹黒いところが兄そっくりだが、ザイルからすれば優しい義母である。

 ネルティアは何やら二人に声をかけ、三人で言葉を交わし合う。と、おそらく茶会の時間が近づいているためだろう、ネルティアとラテルティアが共に廊下を先へと進み、その後ろ姿をゼイラルが頭を下げて見送っていた。特に何ということもない光景である。


「……行くぞ」


 この渡り廊下で突っ立っていても、いつまで経っても茶会には参加できないため、ザイルはそう言って歩き出す。視線の先のゼイラルは、顔を上げると、ふと視線をある方向へと向けていた。


 ……? あちらには、何もないはずだが。


 ゼイラルの視線を追ってみれば、そこには半ば建物の影に隠れていた一人の男の姿。従者のお仕着せを纏っているため、おそらくラテルティアの開く茶会に招かれた令嬢の使用人だろう。男はザイルやゼイラルの視線に気付くことなく、足早にどこかへと去って行った。


「……調べましょうか?」


 ザイルの視線を追ったらしいジェイルが言うのに、「ああ」と短く応える。不審、というほどの動きではないが、用心をしておくに越したこと何もない。問題なければそれはそれ、問題がないと分かっただけ良いというものだ。

 視線を廊下の先に戻せば、ゼイラルがこちらに気付いた様子で「ザイル!」と声を上げた。微笑みながら手を振る様は、いつも通りどこぞの貴公子のようである。庶民だと言っても信じない者の方が多いだろう。


 それは良いが、あいつ、ここが皇宮だって理解してんのか……。


 思わず半眼になりながら思う。確かに彼とは幼い頃からの付合いで、仲も良く、自分の名を呼び捨てることも許してはいるのだが、だ。

 一応、第二皇子なのだ。自分は。

 周囲に誰もいないならば良いが、皇宮のど真ん中で敬称も無しに自分を呼ぶのはいかがなものか。


「……まあ、あいつをどこぞの貴族の令息だと思ってるヤツも多いから、今の所問題はねぇがな」


 ぼそりと呟けば、おそらく似たようなことを考えていたのだろうジェイルもまた、「まあ、貴族の令息でも、殿下を呼び捨てにするのは駄目なんすけどね」と苦笑していた。

 止めていた足を進め、再び歩き出す。ゼイラルもまたこちらに向かって歩み寄って来たため、彼との距離はすぐに縮まった。

 「ゼイラル」と、ザイルは口を開いた。


「ラティと何話してたんだ。依頼についてか」


 相手はゼイラルで、楽し気に話していたとはいえ、大したことではないと分かってはいたが。開口一番にそう訊ねたザイルに、ゼイラルは数度のその垂れた青い目を瞬き、「あはは」と笑った。

 「ラティ嬢のことになると、本当に心が狭いねぇ、ザイル」と、彼は続けた。


「彼女と話していたのは、この前彼女経由で君が依頼した件だよ。……後で君にも報告に行くつもりだったけれど、彼女の言った通りだった」


 周囲に僅かに目を走らせ、ゼイラルはそう呟く。人の目のあるところでする話ではないため、それ以上は口にしなかったが。

 ザイルはそれに頷き、ジェイルへと視線を向ける。彼もまた、やはりというように難しい顔をしていた。

 小規模の鉱山や、廃鉱となった鉱山から、少量ずつ運び込まれている鉄鉱石。領主である貴族たちがどの程度理解しているのかは知らないが、全く分かっていないということもないだろうし、関わっている以上は何らかの罰が与えられる。数が多いため、何も知らぬままキルナリス公爵を先に捕らえた場合は、取り逃がす者も多かっただろう。

 ラテルティアに現状を伝えておいて良かったと、心の底から思った。


「この半月で大方の把握は出来たから、一応先に報告をと思ってねー。そっちからも公爵の名前が出たから完璧じゃない? ……帝国の第二皇子が、婚約者さえいなくて大丈夫なのかってずっと思ってたけど、本当、良い子を見つけてきたね」


 言って、ふふ、と柔らかくゼイラルは微笑んだ。その含みのない言葉に僅かに照れながら、「まあな」とザイルは素直に応える。彼が言わずとも、自分でもそう思っていたから。

 「あとはただの世間話だよ」と、ゼイラルは楽しそうに告げた。


「まあでも、ネルティア妃殿下が来てくれて良かった。……雀も鼠も、皇宮にはたくさん隠れてるから。僕と彼女があのままずっと話していたら、明日にはどんな噂が出回っているか分からないからねー」


 くすりと笑ってゼイラルが向いた方向には、今はもう誰もいなかったけれど。言葉の意味を正確に理解し、ザイルはくつりと笑った。「誰か分かるか」と訊ねれば、ゼイラルはふるりと首を横に振る。「まあ、ラティ嬢の存在を良く思っていない人間の従者だろうね」と、彼は静かな表情で応えた。


「ラティ嬢はとても有能だし、それを鼻にかける性格でもない。かといって弱くもない。僕みたいな人間は、少し話せば分かるけれど、相手を知ろうともしない人間の中には、ただ追い詰めれば良いと思っている者もいる。まあラティ嬢の場合、元々が王太子の婚約者だから、慣れてはいるみたいだけどねー」


 「一応、気を付けておいた方が良い」と、真面目な顔で付け加えるゼイラルを鼻で嗤い、「当たり前だ」と、ザイルは返した。一応も何も、自分にとっては最重要事項なのだから。

 ゼイラルはまた楽しそうに笑って、「それなら良かった」と呟いていた。


「報告書はもう少しまとめてから持ってくるねー。そろそろ戻らないと、ノイレスが起きる頃だろうから」


 懐中時計を取り出して言うゼイラルに、「昼寝か」とザイルは呟く。大方、昨日徹夜でもして研究をしていたんだろうと思ったから。しかしゼイラルは首を横に振る。「昨日の夜からずっと寝てるんだよねー」と、彼は楽しそうに笑った。


「三日間徹夜して研究してたから。やっと昨日研究結果が出て、そのまま寝ちゃった。わざわざソファまで運んであげた僕って偉いよねぇ」


 「褒めて良いよ」と言うゼイラルに、しかしその言葉の内容に呆れ、ザイルはその頬を引き攣らせる。「連日徹夜はやめさせろ」と頭を抱えながら言えば、ゼイラルは少し困ったように笑って、「言うだけ言ってみる。無駄だろうけどねー……」と呟いていた。

 「それじゃあ」と言って去って行くゼイラルの背中を見送ったザイルは、渡り廊下を進み、目的地であるサロンへと向かった。

 女性らしい華やかな装飾と、南側に大きなガラス窓のある、日当たりの良いその部屋は昔、母、ルミネアと義母、ネルティアのお気に入りの場所であった。ルミネアに連れられて、ザイルもよく訪れたものである。そして同じくネルティアに連れられて来た兄、エリルと共に遊んでいたのだ。飾られた花瓶や置物を割ってしまい、酷く怒られたこともある。今となっては、全てが懐かしかった。

 開かれた扉を抜け、サロンへと足を踏み入れれば、すぐにたくさんの視線に晒されることとなった。いくつも用意された丸テーブルにはそれぞれ鮮やかに着飾った令嬢たちが腰掛けており、突然のザイルの登場に落ち着かなげに視線を交わし合う。

 そんな令嬢たちの中、ザイルは特に迷うこともなく、目当ての人物を見つけた。吸い寄せられるように視線が動くのだから、不思議なものである。

 こちらを見て少し驚いたような表情になり、立ち上がって礼の形を取ったラテルティアに笑いかけた後、ザイルは令嬢たちの方へと視線を向け、「皆、楽しんでいるか?」と声をかけた。


「急に来てすまねぇな。時間が出来たから様子を見に来た。それほど長居は出来ねぇがな」


 本音を言えば、ラテルティアに会いたかっただけなのだが。素直に言うわけもいかず、曖昧に告げれば、令嬢たちはまたさわさわと何やら楽しそうに囁き合っていた。

 どうせろくなことじゃないのだろうと思いながら、ザイルはラテルティアの元へと歩み寄り、「この国の茶会には慣れたか」と声をかける。ラテルティアははにかむように微笑み、「まだまだですわ」と応えた。


「わたくしにはまだ、知らないことがたくさんあるようです。皆さんに色々と教えて頂いておりますわ」


 ふふ、と笑う彼女につられて笑みを浮かべ、ザイルは使用人がラテルティアの隣に用意した椅子に腰かけた。「どうせなら、菓子の一つも摘まんで良いか」と訊けば、ザイルに倣って再度椅子に座ったラテルティアが、「もちろんですわ」と答えた。


「ザイル様のお好きな焼き菓子もありますの。とても美味しいですわ」


 言い、すぐさまラテルティアは使用人に言って、ザイルの分の菓子を取り分けさせる。いつの間にか目の前のテーブルには紅茶のカップが置かれ、ザイルは遠慮なくそれに口を付けた。甘みの無い紅茶の香りにほっと息をつく。仕事ばかりしていたものだから、さすがに少し疲れていたようだ。

 取り分けられた焼き菓子に手を伸ばし、それを口に運べば、ラテルティアが隣でにこにことこちらを見ていた。何かを期待するような目に気付き、ザイルは笑って「美味い」と告げる。彼女は嬉しそうに「そうでしょう?」と言って笑っていた。


「お茶会にはいつも、料理人の方たちにお菓子を作って頂いているのですが、どれもとても美味しいのです」


 自分もまた、焼き菓子に手を伸ばしながら言う彼女を微笑ましく見つめる。どうやらこの国の菓子は、彼女の口に合ったらしい。夕食のデザートも美味しそうに食べているから、心配はしていなかったが。


「そういえば、さっきネルティア義母上と話してたな。何か言われたか」


 ふと思い出して、ザイルはそう訊ねる。ラテルティアはぱちぱちと瞬きをした後、「見ていらっしゃったんですね」と呟いた。くすりと、おかしそうに笑う彼女に首を傾げれば、「妃殿下と皇太子殿下はよく似ていらっしゃると思いまして」と彼女は口を開いた。


「『お義母さま』と呼ぶように仰られたのです。今までにも何度かお話させて頂いたのですが、わたくしがエリル殿下をお義兄さまと呼ぶのを聞いていらしたみたいで。……とても嬉しかったですわ」


 ふふと、ラテルティアは言葉の通り嬉しそうに笑う。親子揃って今から何を言っているのだろうと僅かに思うけれど、彼女が喜んでいるようだからまあ良いかと、苦笑を漏らすに留めた。

 菓子を口に運び、もくもくと咀嚼を繰り返すラテルティアは、小動物のように可愛らしい。その姿はザイルの何よりの癒しであり、いつまでも見ていられると思いながらぼんやりと眺めていたら、「ザイル殿下も、大変ですわね」と、少し離れた所からぼそりと呟くのが聞こえた。


「婚約解消騒ぎに関わってしまったばかりに、婚約するしかなくなったのでしょう?」


「ラティティリスの王太子殿下に捨てられたレンナイト公爵令嬢に同情して。何とお優しい」


「本来ならば、キルナリス公爵令嬢のような方が相応しいでしょうに……。お二人は仲もよろしかったようですものね」


 ぼそぼそと、周囲の歓談に紛れるようにして聞こえてくる複数の声。一人二人ではない、そこかしこで囁かれる言葉たち。気付かれぬようにそちらを覗えば、そこには予想通り、貴族派の令嬢たちの姿があった。中でも、名前を挙げられたキルナリス公爵家の令嬢、メラルニアは、その華やかな容貌に綺麗な笑みを浮かべている。

 と、ザイルの視線に気付いたメラルニアは、恥ずかしそうに笑って見せた。意味ありげなその様子に、周囲の令嬢たちが「まあ」とか、「やっぱり……」とか囁き合うのが聞こえる。余計なことをと思いながら、ザイルは僅かに息を吐いた。


 ……聞こえてねぇわけがねぇんだが、な。


 ザイルの隣に腰掛け、同じテーブルの令嬢たちと言葉を交わすラテルティアは、笑みを絶やすこともなく楽しそうに振舞っている。おそらく、今日だけの話ではないのだろう。茶会に招待された令嬢たちの、あのような態度も。

 自分が下手に口出しをすれば、ラテルティアへの当たりが酷くなることも考えられる。余計なことを言うべきではないかもしれないが、しかし誤解を解くこともまた必要だろう。自分と、そしてラテルティアの立ち位置を周囲に確認させるためにも。

 「面白い話してんな」と呟いた声は、決して大きくはなかったけれど、ころころと鈴の音のような軽やかな声に満ちたサロンの中に響くには十分だったようだ。メラルニアはもちろん、令嬢たちはザイルの言葉に口を噤み、総じて顔を向けた。


「俺が、ラティに同情して婚約した、ね。残念ながら、俺はそんなに優しくねぇよ」


 にっこりと笑って腕を組み、背もたれに身体を預ける。その話題を口にしていた令嬢たちは、少しだけきまり悪そうな表情で顔を見合わせていた。


「どんな経緯で話が伝わっているか知らねぇが、ラティの婚約解消に首を突っ込んだのは俺の方だ。都合が良かったからな」


 普通ならば、他国の王侯貴族の婚約騒動に首を突っ込むことなど有り得ない。たかが同情などで動けるほど、自分の立場は軽くないと理解しているのだから。ただ、都合が良かったら、そうしただけ。

 「ザイル殿下。都合が良かったというのは、どういうことですの?」と問い掛けてきたのは、先程、メラルニアの方が自分に相応しいと言っていた伯爵令嬢であった。ザイルは笑みを深くし、隣に座るラテルティアへと顔を向ける。彼女もまた、不思議そうな顔でこちらを見ていた。


「俺がラティを気に入ってたから、王太子との仲が上手くいってないのなら、どうにかして奪えないかと思ってな。そうなると、婚約を解消させるのは大前提だろ。ラティティリス王国との利害も一致したし、上手くいって良かったよ」


 簡潔にそう告げれば、ラテルティアはその青い目をぱちぱちと瞬き、令嬢たちは驚いたような表情で顔を見合わせている。それはそうだろう。利害が一致したとは言ったものの、ザイル自身が隣国の王太子、ランドルとラテルティアの婚約を解消させたと言ったも同然なのだから。


 もしこの場にいる奴らが話を外に漏らしたとしても、別に問題はねぇしな。俺が関わっていたのは周知の事実だ。


 唯一気になるとすれば、とザイルが視線を向けた先には、ラテルティアの方を睨むように見ているメラルニアの姿がある。どのようなつもりかは知らないが、彼女のように王族の伴侶になることを目指している相手からの、ラテルティアに対する嫉妬と、それに付随する嫌がらせなどのやっかみだけが気に掛かるというもの。だからザイルはまた、にこやかに笑ってみせた。


「俺は、ラティを愛している。だから彼女を害するやつに容赦するつもりはない。……そういうところは、父上や叔父上と似たような考えなのかもしれねぇな」


 言えば、しんと、辺りが静まり返った。おそらく気付いたのだろう。ザイルが口にした、言葉の意味を。

 大切な相手、つまりザイルの母の命を奪った者たちを、父と叔父が容赦なく極刑に処していった。それは、あくまでもザイルたち皇族など、一部の人間にしか知らされていないはずの話だけれど、どれだけ口を噤んでも、噂というのはどこからか流れて行く物で。貴族であれば誰もが、まことしやかに囁かれるその話を知っているだろう。

 視線をゆっくりと動かせば、皆それぞれ、僅かに青い顔をしてこちらを見ていた。中でもメラルニアは、信じられないというような、驚愕の表情を浮かべている。それが何に対する感情なのかは、ザイルには分からなかった。


「この中には、そういう人間がいないことを祈っている。……そろそろ俺は席を外そう。邪魔をして悪かったな、ラティ」


「そんな、邪魔だなんて……。お忙しいところ、おいで頂きありがとうございました」


 立ち上がったザイルに倣って、ラテルティアもまた慌てた様子で立ち上がり、礼の形を取る。ぽすりと頭を撫でれば、彼女は擽ったそうに小さく笑っていた。


「あそこまで言えば、下手にラテルティア嬢に手を出す方もいないでしょうね」


 サロンを出て再び執務室へと道すがら、茶会に顔を出した時からずっと背後に控えていたジェイルがそう呟いた。


「陛下と宰相閣下の話を持ち出されたら、まともな者ならまず逆らわないでしょう。殿下がどれだけラテルティア嬢を大切に想っているかも伝わったはず。……誰だって、命は惜しいですからね」


 何を思ってか楽しそうに言うジェイルに、ザイルは小さく笑いながら「まあな」と応える。彼の言う通り、まともな人間ならば、問題ないだろう。


「警告はした。これで万が一にでも、ラティに手を出すやつがいたら、……容赦するつもりはねぇ」


 低い声で呟き、ザイルは笑みを浮かべた。普段から彼の傍に控えているはずのジェイルが身を震わせるほど、冷たく美しい、凄絶な笑みだった。

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