第6話 ルミネア妃。

 ザイルたちがフィフラル帝国への帰路についたのは、ラティティリス王国の王太子、ランドルの結婚式から二日後のことだった。


「では、私は別行動を取らせてもらう。ゆっくりと時間をかけて帰ると良い。ザイル、。皇宮で会おう」


「お気を付けて、


 まだ朝も早い時刻。ラテルティアが心配そうに言うのに、エリルは嬉しそうに笑って頷いていて。遠回りになるからと、馬車をぐるりと取り囲む護衛達とともに、早々に出発した。父と叔父から、何やら頼まれ事をしたらしい。帰りもザイルやラテルティアと同じ馬車に乗りたかったと、最後まで残念そうにしていた。


 にしても、父上と叔父上からの頼まれ事、ねぇ。


 皇帝と宰相からの依頼というのだから、国のために必要な用件なのは間違いないだろう。それも対外的にはエリルがラティティリスを訪れている時を見計らっての頼み事である。表向きは、彼がラティティリス王国へ訪問中という形を取って動くべき案件ということだろう。その用件を果たすことを、知られたくない者が国内にいるということに他ならなかった。彼の乗って言った馬車には、皇家の家紋が入っていなかったのだから、間違いない。


 少し遠回りをしてフィフラルを突っ切って、東に用があるとか言ってたからな。おそらく、紛争中のテグニスとドリクティアルの件に絡んでるんだろうが……。


 余計な詮索をすれば、フィフラルにいる、知られたくない誰かに勘付かれる心配もあるため、この件については後々エリルに聞こうと、ザイルは一人考えていた。

 とまあ、エリルの別行動の件は、それはそれとして。


「……いつの間に『お義兄様』なんて呼ぶようになったんだ?」


 ラテルティアと二人で、皇家の紋章付きの帰りの馬車に乗ったザイルは、開口一番にそう訊ねた。大方、先日の舞踏会で、彼にラテルティアを預けた際にでも、そういう話になったのだろうが。

 昨日はエリルが王宮に招かれた各国の要人たちと食事会や催し物に参加していたため、彼と会ったのは実に一日ぶり。そして急に、ラテルティアが彼のことを『お義兄様』などと呼ぶから、素直に驚いた。

 ラテルティアは、ふふと笑って「おそらく、ザイル様が考えている通りではないかと」と答えた。


「一昨日の舞踏会でお話をさせて頂いて、そういうことになりました。わたくしのことを、義妹として接する、と。まだ結婚したわけではないとお伝えしたのですが、自分と陛下や妃殿下、皇弟である公爵様も認めていらっしゃるので、婚約が白紙に戻ることは有り得ないから、良いのだと仰っておられましたわ」


 「ですので、おそれながらお義兄様と呼ばせて頂くことにいたしました」と言うラテルティアは、その時のことでも思い出したのかくすくすと笑っていた。

 少し前まではエリルの前に立つだけで緊張していたようだったのに、ほんの少しの間に随分と打ち解けたものである。楽しそうなその様子に、「相手が兄上でも妬けるな」と笑って言えば、ラテルティアは少し驚いたように目を瞠った後、嬉しそうに微笑んで、「わたくしが好きなのは、ザイル様だけですわ」と応えていた。


「ザイル様のお兄様ですから、わたくしも仲良くさせて頂きたいと思っておりましたの。突然、『お義兄様と呼べ』と言われた時はさすがに驚きましたけれど、思っていたよりも楽しい方なのですね」


 楽しそうに笑うラテルティアの様子に、ザイルは思わず苦笑する。確かに、親しい者の前以外で、エリルが表情を変えることはない。そんな様子だから、何を考えているか分からないと言われているのを、ザイルも、そしてエリル自身も知っているし、それで良いと思っていた。

 だが、あくまでもそれは外向きの顔。ラテルティアが、自分の兄だから仲良くしたいと思っていたように、自分もまた、敬愛する兄と自分の愛しい婚約者が仲良くして欲しいと思っていたから。ラテルティアに微笑みかけるエリルの姿を見ることが出来て、正直なところほっとしていた。まあ、妬けたのも事実ではあるが。

 「お前ならすぐに打ち解けるだろうとは思っていたがな」と、ザイルは小さく笑いながら呟いた。


「一見すると近寄り難い雰囲気だが、兄上は優しい方だ。まだあまり会う機会がなかっただろうが、兄上の母、ネルティア妃や、ダリス叔父上も、面白い方たちだから、話してみると良い。父上は、そうだな……。悪い人ではないんだが、茶会の件と言い、変なことを急に押し付けてきたりするから、父上に会う時は俺も呼べ。分かったな」


 少々苦い物を噛んだような顔になりながら言えば、ラテルティアは少しだけ可笑しそうに笑って「分かりました」と応えていた。

 馬車の中で二人きりになったことで、ラティティリスを訪れる前にラテルティアと約束していた、フィフラルについての勉強とやらの手伝いを行うことにした。と言っても、彼女が悩んだ時に質問に答えるだけのことだが。

 まだラティティリスで過ごしていた一年前からフィフラルについて学んでいた彼女の知識は、フィフラル帝国内でしか入らない情報を除けば、フィフラルの貴族の令嬢たちと並んでも引けを取らないほどのものであった。おかげで馬車の中は思ったよりも静かで、ザイルもまたのんびりと、手元に持って来ていた資料に目を通していた。


 ……レンナイト公爵の話が気にかかって、カーリネイト辺境伯に協力を頼んではみたが、俺の予想が正しけりゃ、下手すればまたラティティリスとの国際問題だな。


 逆を言えば、上手くすれば話を大きくしなくて済む。そのためには、情報の整理と物的、そして状況、全ての証拠を洗い出す必要があった。エリルとは詳細に言葉を交わす暇がなかったので、皇宮に戻ってから打ち合わせをする必要があるだろう。

 予想しないわけではなかったが、フィフラル帝国を出てしまえば探るべき場所が格段に増える。闇雲に手を回すよりは、先に情報をと思い、ラテルティアが開く茶会を待っていたわけだが。

 思わぬところで、近い情報が入った。


 もちろん、探っている間中、あちらの視線を逸らすことが必要になるからな。ラティにも状況を話しておくべきか、一度兄上と相談しておくか。


 レンナイト公爵ではないが、思わぬところから情報が入ることもある。ラテルティアを不安にさせないために、余計な話をしないようにしていたが、もしかしたらということもあるかもしれない。皇宮に着いてからはまた一段と忙しくなるなと息を吐いて、ザイルは馬車の背もたれに頭を預けた。

 「あら」と、ラテルティアが小さく呟くのが聞こえた。


「わたくし、フィフラル帝国は、皇帝派、貴族派、そして中立派の三つの派閥が均衡を保っているのだと学んでいたのですが……。皇帝の正妃に迎えられた方は、ザイル様の母君であるルミネア妃が貴族派のご令嬢で、それ以前は三代続けて皇帝派のご令嬢だったのですね」


 「均衡を保っているとのことでしたが、思ったよりも偏っていたのですね」と、ぽつりと呟くラテルティアに、ザイルは姿勢を元に戻しながら頷いた。「そうだな」と言いながら。


「母上が父上に嫁いだのも、お前が今、口にしたことが主な理由だ。母上は貴族派の筆頭だったティルシス公爵家の娘で、父上や叔父上の幼馴染のような関係だったらしい。だが兄上が皇太子になった今、皇帝派が力を盛り返すだろうって話だ。貴族派から兄上の妃を娶ることで均衡を保とうとする動きもあるようだしな」


 ラテルティアの手元の資料を覗き込みながら、ザイルはそう淡々と告げる。ラテルティアはなるほど、というように頷きながら資料に視線を戻して。

 「あの」と、何かを見つけたようにはっとした様子で呟いた。


「今、貴族派で最も力を持っているのって、……キルナリス公爵家、ですの?」


 不安そうな顔で訊ねるラテルティアに、ザイルは「そうだ」と、こくりと頷いて見せる。彼女の言う通り、現在最も貴族派で力を持っているのは、メラルニアの生家であるキルナリス公爵家だった。だからこそ、ラテルティアが開く予定の茶会にも、一番最初から招待されている。

 ラテルティアはその表情を暗くして、「だから、ですのね」と小さく呟いていた。


「なぜあのような忠告をわたくしにされたのかと思っていたのですが、メラルニア様は、自分がエリル殿下の妃になる可能性が高いと分かっていたのですね。もしかしたら、自分が正妃となった上で、ザイル様を寵夫に、と考えておられるのでしょうか。わたくしにわざわざあのような忠告をされたということは、そういうことでしょうから……」


 しゅんとした表情で肩を落とすラテルティアに、「あの女は、俺にそこまで執着してねぇと思うが」と苦笑する。ラテルティアはザイルの言葉が信じられない様子で、「そうでしょうか……?」とこちらを見上げて来て。

 自分を想うがゆえの表情といえど、彼女に不安そうな顔をさせることそのものが気に喰わず、「心配なら、法を改定するか」と、ザイルは何ということもないように呟いた。


「寵夫制度が採用されるのは、独身の男だけ、ってことにすりゃあ良いからな。有り得ねぇとは思うが、帝国の正妃が結婚してる男を囲ったとなれば、皇族そのものが批判されるだろうからな。国に帰ったら、早々に話を進めよう」


 「そうすれば、ラティも安心だろ」と言えば、ラテルティアは驚いたように目を瞠っていて。「そのようなこと、しても良いのですか?」と、おずおずと訊ねて来た。くつりと、思わず笑う。良いか悪いかで言えば、良いはずだ。動機はどうであれ、そうすることによって皇族の権威が保たれ、悲しむはずの者もいなくなるのだから。

 「寵夫制度そのものを無くすわけじゃねぇから、大事にはならねぇよ」と言えば、ラテルティアはほっとした様子で、「そうですか」と息を吐いていた。


「ごめんなさい、ザイル様。起こるかどうかも分からない未来に怯えてしまって。……メラルニア様から言われていたのです。ザイル様の母君にも、寵夫がいたのだと。だからザイル様は、ご自分が寵夫として選ばれたならば、断ることはないはずだ、と」


 「だから、余計に心配になってしまって……」と、続けるラテルティアに、思わず眉根を寄せる。なるほどと、そう思ったから。未来というのは、何が起こるか分からないからこそ恐ろしい。しかしなぜ気丈なラテルティアが、有り得る可能性の低い、不確定な未来についてそこまで心配しているのかが分からなかったのだが。


 ……あの女が、俺の母上のことをわざわざ、ねぇ。


 別に隠す必要がある話でもなかったし、その気もなかったけれど。メラルニアがラテルティアに不安を植え付けるために告げたというのならば、非常に気分が悪かった。


「……母上の寵夫が誰だったのかも、聞いたのか」


 ふと疑問に思い、そう訊ねる。自分の母のことながら、彼女の事情は、色々と複雑なものだから。他の者から、誤った情報を混ぜて伝えられているのではないかと少しだけザイルの表情が曇るが、ラテルティアは首を横に振り、「いいえ」と静かに答えた。


「ザイル様から聞くと良いと、仰っておられましたから。……わたくしも自分で調べてみようかとも思ったのですが、そういったことを人伝に聞くのもどうかと思いまして。そのうちザイル様に訊ねてみようかと考えておりました」


 「ザイル様が聞かせたくない話ならば、もちろんザイル様からも、誰からも聞きませんわ」と微笑んで言い切るラテルティアに、ザイルは僅かにほっとしながら「いや、そういうんじゃねぇよ」と言った。


「母上が寵夫を得るに至った経緯が、色々と複雑でな。妙な入れ知恵されたんじゃねぇかと思っただけだ」


 この場にはザイルとラテルティアの二人しかおらず、馬車の周りを並走しているジェイルたち護衛には、馬車の車輪の音が煩くてこちらの声は聞こえないはず。他の誰かから聞かせるよりは、今の内に、自分から全てを語っておくべきだろう。

 丁度良いと思いながら、ザイルは「何から話すべきか……」と、口を開いた。


「まず最初に伝えるべきは、そうだな。……俺の父、フィフラル皇帝クィレルと、側妃ネルティア妃は、父が正妃として母上を迎える前から、恋仲だったってことだな」


「え……」


 話し始めたザイルに、ラテルティアが驚いたように顔を上げる。ザイルは困ったように笑って、「王侯貴族の権力者の間じゃ、よくある話だろ」とそんな彼女に告げた。

 クィレルとネルティアが恋仲だったその当時、どうしても正妃としてネルティアを迎えるわけにはいかない事情があったのだ。それこそ、ラテルティアが先ほど言っていた、貴族間の派閥争いが原因である。

 ネルティアの実家である伯爵家は、古くから皇帝派に属していた。歴史のある伯爵家の娘だったため、本来ならば正妃として迎えても問題などなかったのだけれど。とある貴族派の公爵家が、異議を唱えたのだ。それが、ザイルの母であるルミネアの生家、当時貴族派の筆頭であった、ティルシス公爵家である。


「ラティがさっき言った通り、父上以前の皇帝が、三代続けてそれぞれ正妃として娶ったのが、皇帝派の貴族の娘だった。おかげで、貴族派の貴族たちの不満が溜まっててな。父上までもが、皇帝派から正妃を娶るわけにはいかなかった。そこで父上の正妃になったのが、ネルティア義母上が正妃となるのに反対していた、ティルシス公爵家の娘だった母上ってわけだ」


 ルミネアは、父、ティルシス公爵と共に皇宮に上がることも多く、クィレルとその弟、ダリスの話し相手のような立場であった。だからこそ、ティルシス公爵はクィレルもよく知るルミネアを正妃に推し、クィレルもそれを受け入れたのである。

 しかしここでもまた、問題があった。その当時、ティルシス公爵は知らなかったのだろう。知っていたら、ルミネアをクィレルの正妃になどしなかったはずだから。


「実は、父上がネルティア義母上と恋仲だったように、……ルミネア母上もまた、ダリス叔父上と恋仲だったらしい」


「……!」


 先程よりも驚いた様子のラテルティアに、思わず苦笑する。ザイル自身、話を聞かされた時は驚いたものだ。そして、権力者という者の、自由の無さを象徴する出来事であるとも、思った。

 貴族派であるティルシス公爵の娘でありながら、ルミネアは父とは違う考えを持つ、頭の良い娘だったという。自分が正妃にという話が出た時、早々にクィレルとダリス、二人と話す機会を設け、告げたそうだ。

 自分は、皇帝の母、国母になる気はない、と。


「結婚して、子を産まないまま五年もたてば、子が出来ねぇから側妃を迎えるって名分が出来る。だから五年待って、ネルティア義母上を側妃に迎えて、皇太子となる子を産んでもらうと良いって父上に言ったそうだ。側妃を迎えれば、正妃は堂々と寵夫を迎えることが出来るっつーのもあったんだろうな。……だがまぁ、正妃になった手前、一人も皇帝の子を産まなければ、ティルシス公爵が何を言ってくるか分からねぇ。ということで、ネルティア義母上がエリル兄上を産んだ後に、俺が生まれたってわけだ」


 そうして、ルミネアは晴れてダリスを寵夫として迎えた。しかしダリスが皇弟だったこともあり、将来の火種になってはいけないと考え、二人の間には子供を作らなかったという。

 代わりに、ルミネアとクィレルの子であるザイルを、ダリスは幼い頃から実の息子のように可愛がってくれている。ダリスはルミネアが亡くなった今でも変わらず、誰とも結婚することなく、ルミネアだけを愛し続けていた。フィフラル帝国内では、純愛という言葉の象徴的な人物として有名であり、だからこそ国民からも人気の高い宰相なのである。


「父親と母親が二人ずついるようなもんだった。父上と叔父上、そしてルミネア母上とネルティア義母上も仲が良かったから。……ルミネア母上と叔父上の関係に気付いた皇帝派の貴族連中は、俺の存在が兄上の邪魔にならないよう、排除したかったみたいでな。俺が母上と叔父上の子じゃねぇかと勘ぐってたらしいが。まあ、俺の見た目があんまりに父上に似てたもんで、断念したって話だ」


 言えば、ラテルティアはクィレルの顔を思い出したのか、一瞬きょとんとした顔になった後、小さくくすりと笑っていた。

 本来ならば、クィレルはネルティアと、ダリスはルミネアと結ばれれば良かっただけの話。しかし、皇族の結婚というのは、どうしても政治が絡んでくる。ザイルがまだ幼かった頃、ルミネアは確かにネルティアと仲が良かったけれど。「母上はいつも、ネルティア義母上に、申し訳なさそうな顔をしていた気がする」と、ザイルはぽつりと呟いた。ネルティアは少しも気にしておらず、クィレルもまた、ルミネアを認めているがゆえに、今だに正妃の椅子を空席にしているのだけれど。


「自分の父が余計なことをしなければ、ネルティア義母上は何の憂いもなく父上と結ばれることになり、母上もまた叔父上と結ばれることが出来たのだと、そう思っていたんじゃねぇかと思う。俺がその立場にあったとしても、似たようなことを考えただろうな」


 そうすれば、全てが丸く収まっていたはずなのに。

 淡々と言葉を紡ぐザイルの話を静かに聞いていたラテルティアが、こてんと頭をザイルの肩に乗せる。「ザイル様は、考えすぎですわ」と、彼女はのんびりとした口調で、呟いた。


「どうしても仕方がないことというのは、確かに存在します。皇族という、国で最も責任のある立場の方々ならば、自分の思い一つで物事を決定するわけにはいきません。想う相手がいたとしても、絶対に。けれどルミネア様は頭を働かせて、少しでも皆が不幸にならないように筋道を立てられたのです。一緒にいられるように、考えられたのです。ネルティア様もエリル殿下も、それを理解しておられる。ザイル様のお母様は、とても素晴らしい方だったのですね」


 膝に置いていた手に、ラテルティアの手が重ねられる。ふふ、と彼女が微笑むのが伝わって来て、ザイルもまた、その顔に笑みを浮かべた。

 彼女の言う通り、権力があるからと言って全てが好き勝手に出来るわけもなく、むしろ権力があるがゆえに縛られることもある。けれど、縛られた中で懸命に考えた結果が、幼い頃に自分が目にしていた、仲の良い四人の姿だったのだろうと、そう思った。


「それにしても、わたくしの知識に間違いがなければ、今現在ルミネア様の生家、ティルシス公爵家は、ザイル様の叔父上、ダリス様が引き継いでおられるように思うのですが……。ルミネア様にはご兄弟がいらっしゃらなかったのですか?」


 ふと、不思議そうに訊ねてくるラテルティアに、ザイルはくつりと笑う。それもまた、自分と結婚して、皇族の一員となる彼女には話さねばならないことの一つ。

 「いや、兄が一人いた」とザイルは静かに答える。ルミネアの父親とそっくりな思考を持つ、貴族派そのものの令息が一人いたと聞いていた。「では」と口を開くラテルティアの声に被せるように、「だが、死んだ」と、ザイルは呟いた。


「正確には、殺された、か? 母親や、父親のティルシス公爵共々、な」


「……それは、どういう……」


 姿勢を正し、こちらを見るラテルティアに、ザイルはどこか皮肉気な笑みを浮かべて見せた。


「処刑されたんだよ。公爵家は、皆。それが何故かは、ごく一部の人間以外、誰にも知らされてねぇ。ただ誰もが分かっているのは、彼らが処刑されたのは母上が亡くなってしばらく経ってからだったということと、ティルシス公爵家に連なる一族の者のほとんどが降格処分を受けているってことぐらいか。余程皇帝の怒りを買ったんだろうって話だな」


 頭に浮かぶ、幼い頃の記憶。自分を懐柔しようとする公爵家の面々の姿。しかし、処刑された彼らの姿を、ザイルは見ていない。なぜならその時、自分は。

 ラテルティアがその青い瞳を見開いて、「それは、まさか……」と呟く。ザイルは一つ息を吐くと、「残念ながら、俺も口止めされている側だから、これ以上は言えねぇ」と言って、困ったように笑った。


「だがお前は、いずれ皇族の一員となる。皇宮に戻ったら、話す許可をもらっておくつもりだ。そうすれば、全部話すことが出来るからな。母上が望んでいなかったのに、父上が俺を皇帝にしようとしていた理由とか。……母上の件と一緒に、口止めされている俺の過去の話とか、な」


「……ザイル様の過去のお話、ですか?」


 ザイルの話が出た途端、またも不安そうにその瞳を揺らしてラテルティアは言うけれど。「大した話じゃねぇよ」と、ザイルは笑った。


「お前には、全てを知っておいて欲しいからな。……正妃陛下が亡くなった後のほんの二年間、まだ幼かった帝国の第二皇子が、皇宮から跡形もなく連れ攫われていたってだけの話だ」


 口止めされた話の片鱗を告げれば、ラテルティアはその不安そうな顔に驚きまでも浮かべていたけれど。それ以上は、何も言わなかった。

 全ての話を聞いた時、彼女はどのような反応を示すだろうか。そんなことを、少しだけ思った。

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