第7話 情報集め。

 フィフラルの帝都ファラレイルについたのは、ラティティリス王国を出てから三週間ほど経った日の事。エリルと同じ日程で帰って来たと周囲に思わせる為、いつもの倍の時間をかけて帰国することになった。

 予定していた待ち合わせ場所に到着して、一日と違わずにエリルと合流することが出来た。よほど急いで頼まれ事とやらを終わらせてきたのだろう、ラティティリスを出た時ぶりに顔を合わせたエリルは、随分と疲れた顔をしていた。

 そうして、エリルが望んだために、行きと同じく三人で馬車に乗車し、ひと月ぶりに皇宮に帰って来たのだった。


「……ジェイル。まだ父上と予定は合わねぇのか」


 机上の書類にさらさらと文字を書き込みながら、ザイルは顔を上げることなくそうジェイルに問いかける。ちょうど新たな書類を持って来ていたジェイルは、それを執務机の上に置きながら、「合いませんねぇ」とため息交じりに応えた。

 フィフラルに戻って、すでに一週間が過ぎている。ラテルティアへの過去の情報の開示を願い出るため、皇宮に戻った翌日には、父、クィレルに話したいことがあると伝えていたのだが。残念ながら、今日に至るまでそれは叶っていなかった。


「相変わらず忙しいな。父上は」


 ぼそりと呟けば、ジェイルもまたしみじみとした調子で「本当に」と呟いていた。

 大陸一の強国の呼び名に相応しく、フィフラル帝国は大陸で最も広い領土を有し、それゆえに接する隣国もまた無数に抱えている。広い国内と複数の他国との問題を数分単位で解決していっても、まだ足りない。だからこそ、食事の時間や、下手をすれば寝る時間さえも削って頭を悩ませる。ザイルが知っている皇帝というのは、そういう存在であった。だからこそ、実の息子である自分が話したいことがあると言っても、こうして一週間以上待たされることも多い。危急の要件だと言えば、また別だが。


 ラティが茶会を開く前に話しておきたかったが、それだけの要件で父上に無理矢理時間作ってもらうのは、さすがに気が引けるからな。


 そうこうしている内に、一週間が経ったというわけである。


「……ラティの様子はどうだった。問題なさそうだったか」


 ふと書類から顔を上げて、ザイルはそう問いかける。ジェイルはこくりと頷き、「大丈夫そうでしたよ」と答えた。


「今日は天気が良いので、サロンではなく中庭でのお茶会なのだとか。元々、王太子の婚約者だった方ですからね。緊張はしていらっしゃるようでしたけれど、問題というほどのことはないかと」


 微笑みながら言うジェイルに少しだけほっとしながら、ザイルは手元にある別の資料に目を通す。

 エリルの婚約者候補を見極め、振り落とすために行われる茶会は、今日の昼過ぎから行われることになっている。初日ということもあり、ザイルも共に席につこうかと思ったのだが、残念ながら来客の予定があってそれは叶わなかった。


 ラティのことだから、そつなくこなすだろうとは思っているんだが……。


 それでも、彼女がどのような場面で傷つくようなことが起こるか分からない。そんなことを思う自分に、いつの間にこれほど過保護になったのかと、我ながら少しだけ呆れた。


「午後からの来客はノイレスさんだけでしょう? まあ正確には、彼と彼の部下のゼイラル様ですが。ノイレスさんはともかくとして、ゼイラル様と共に茶会に顔を出してみてはいかがです? 彼にラテルティア嬢の姿を見せておいた方が、今後何かの役に立つかもしれませんし」


 婚約者に対してだけやたらと過保護な主に呆れたような視線を向けながら、ジェイルはそう提案してくる。どこか投げやりな言葉だったが、なるほど、と素直にザイルは思った。その手があったか、と。


「確かに、一度顔を合わせておけば、もしもの時に、ラティにあいつとの繋ぎを持ってもらうことも出来るしな。それに、ラティが個人的にあいつを使うことも出来るようになる」


 「そうしよう」と一人納得するように頷くザイルに、ジェイルはやはり呆れたような顔を向けていた。「殿下、案外単純ですよね」とぼそりと呟く声が聞こえた気がしたが、放っておくことにした。

 来客予定であった二人の男がザイルの執務室を訪れたのは、予定よりも一時間ほど遅れてからだった。そういう相手だと分かってはいたが、やはりかとザイルは盛大に溜息を吐く。一時間で済んだのだから良い方かなんて思ってしまった。

 一人は亜麻色の髪を長く伸ばし、首の後ろで適当に束ねた、眠そうな表情の男、ノイレス。髪と同じ色の無精ひげが生えており、ザイルよりも随分と年上に見えるが、実はザイルの一つ上なだけである。

 もう一人は黒髪を襟足だけ伸ばした、ザイルと同じくらい背の高い男、ゼイラル。青く切れ長の垂れ目に、緩く弧を描く唇。上品な猫を思わせるような美しい容貌。仕種も優美なために貴族と間違われることが多いが、ノイレスの従者である。

 疲労を感じるザイルの心境を知ってか知らずか、ゼイラルは楽しそうに笑いながら「やだなー、溜息とかやめてよー」と、皇族相手とはとても思えない声を上げていた。


「無理に決まってんじゃん、ノイレスに時間通りなんて」


 「ねぇ」と言って、ゼイラルはノイレスに笑いかけた。ノイレスは口を開くことなくこくりと頷いている。

 いつも通りの二人の様子に諦めのようなものを滲ませながら、ザイルは「期待した俺が馬鹿だった」と静かに呟いた。


「さっさと話を進めるぞ。ノイレスは隣の部屋で寝てこい。どうせろくに寝てねぇんだろ、その顔は。ジェイル、仮眠用のベッドを整えてやれ」


「かしこまりました」


 言って、去って行くジェイルに、ノイレスもまた何も言わずについて行く。くわりと大きな欠伸をするのが目に入ったので、余程眠いのだろう。ゼイラルが彼の従者となってから少しは良いかと思っていたが、正直なところ微妙なようであった。ゼイラルが適当な性格であるのも原因の一つだろうけれど。

 こればかりは仕方がないと思いながら、ザイルは視線を目の前の男へと戻した。


「随分と時間がかかったな。それほど、今回の件に関しては皆、口がかてぇってことか」


 執務机に頬杖をつきながら、ザイルはそうゼイラルに語りかける。ゼイラルはその整った眉を僅かに下げながら、「というかさー」と困ったように呟いた。


「正直なところ、これといった情報がないんだよね。あの公爵様についての話。おそらくザイルが聞いてる噂話程度の話しか、僕んとこにも来てない。……多分、この国の中ではほとんど動いてないんじゃない?」


 口元に手を当て、考えるようにしてゼイラルは呟いた。

 今回ザイルが皇宮に招いたのは、何を隠そうノイレスではなくゼイラルの方である。

 ノイレスは植物学者であり、ザイルが運営する研究施設の植物部門の統括者でもある。そんな彼だが、元々植物にしか興味がなく、放っておくと自分の生活を疎かにするため、ザイルが命じてゼイラルを従者としてつけているのだ。

 そしてゼイラルはといえば、いわゆる情報屋のようなことを行っていた。もっと詳しく言うならば、情報のまとめ役である。彼自身が情報を集め、売り買いしているというわけではない。あくまでも、情報を束ねるのが仕事であり、情報の開示先は。ノイレスの従者という立場は、ザイルが用意した隠れ蓑であった。

 そして今回、ザイルはゼイラルに、キルナリス公爵についての情報を集めるよう伝えていたのである。

 ゼイラルの元に集められる情報は、かなり正確で大量であるため、何かしらの情報が手に入るとザイルは見越していたのだが。彼の元にも、情報が入っていない、ということは。


 ……材料集めから作業工程にかけて、全て国外で行っている、のか?


 だが、とザイルは眉根を寄せる。かの公爵が全てを国外で行えば、それこそ不審な動きをする外国人がいるとして話題に上がるはず。作業員自体はその地の人間を使えば良いが、指示を出すのはおそらく公爵自身の息がかかった者。だというのに、それもないというのはどういうことなのだろう。

 特に材料集めに関しては、かなりの量が動くはずなので、少しも情報がないというのも変な話なのだが。

 思いながら、「他に何か気付いたことは」と再度ゼイラルに訊ねる。ゼイラルはまた少し考える素振りを見せた後、「ああ、そういえば」と口を開いた。


「ここしばらく姿を見せていなかったり、元々金銭的に余裕がなくて来たこともなかったような貴族の旦那方が、ここ一、二年の間によく顔を出すようになったって姐さん方が言ってた。公爵様との接点は、夜会で挨拶を交わしたとかそのくらいだけどね。けど、その旦那方が来始めた時期もまちまちで、正直、関係があるのかないのかもさっぱり」


 両手を軽く広げて息を吐くゼイラルに、ザイルもまた「そうか」と呟くに留める。それほど多くの情報が手に入るとは思っていなかったが、何一つ手に入らないというのもまた想定外だった。「とりあえず、その貴族たち同士に何か繋がりがないか調べといてくれ」と言えば、ゼイラルはにっこりと笑って「りょーかい」と呟いた。

 材料の入手に加工に組み立て。それ以外にも、運搬や引き渡しなど、情報が漏れそうな所は多数存在するというのに。


 何もない、とはな。徹底してやがる。


 うんざりと思うも、何度訊ねようとないものはないわけで。「引き続き頼む」とゼイラルに伝えれば、彼は心得たというようにこくりと頷いていた。

 と、ちょうど話の切れ目を見計らったかのように、隣の部屋からジェイルが戻ってくる。「ザイル様、そろそろ……」と声をかけてくる彼に、ああそういえばとザイルは席を立った。もうすでに茶会が始まって随分と時間が経っている。少しでも自分が顔を出した方が、ラテルティアも安心するだろうと思い、ノイレスはジェイルと共に置いておいて良いから、ついでにゼイラルのことも紹介しておこうと彼に声をかけようとして。

 こんこんと、扉をノックする音が聞こえた。

 今日は他に来客はなかったはずだがと思いつつ、視線をジェイルの方へと向ける。彼は心得たというようにさっと動き、扉の方へと向かって僅かにその扉を開く。何やらジェイルは、扉の向こうの相手と言葉を交わして。

 「ザイル殿下」と、彼はこちらを振り返り、困ったような顔で呼び掛けてきた。


「皇帝陛下より、予定が変わったため、今からであれば時間が取れる、とのことです」


 「いかがいたしましょうか」と訊ねてくるジェイルに、ザイルは思わず頭を抱えた。忙しい時間を割いて会ってくれるというのは、とても有難いのだけれど。


 ……初日だから、少しでも同席してやりたかったんだが……。


 これでは、茶会には間に合わないだろう。

 仕方がないと内心で苦笑しながら、扉の向こうの使者に向けて「今から行くと伝えてくれ」と声を上げた。


「ジェイル、ゼイラルの相手をしといてくれ。すぐに戻る」


 軽く身だしなみを整えながら言えば、ジェイルは頭を下げて「承知しました」と静かに応え、ゼイラルは「行ってらっしゃーい」と手を振って、歩き出したザイルを見送っていた。

 同じ皇宮内にいるというのに、皇帝である父、クィレルに会う機会は週に一回有れば良い方だろう。長い廊下を歩き、角を曲がり、階段を上って再び廊下を進んで。辿り着いた扉の前で、使用人が扉をノックするのを眺める。部屋の中から応答があり、使用人が開いた扉の方へと進んだ。

 「失礼いたします」と声をかけて中に入れば、「おう」という返事が聞こえた。


「久しぶりだな、ザイル。ラティティリスは楽しかったか? 俺に何か話があるんだろう」


 壁に沢山の書物が並んだ、ザイルの執務室よりも二回りほど大きな部屋。執務机についた、自分によく似た姿の男が、書類から顔を上げずにそう訊ねてくる。ザイルは静かに礼の形を取り、「お久しぶりです、父上」と口を開いた。


「お時間を頂きありがとうございます。少々お願いがございまして。……良ければ、人払いを」


 言えば、クィレルは動きを止めて、ザイルがここに来て初めて顔を上げた。周囲に軽く手で合図し、傍に控えていた側近や使用人たちを下がらせる。「これで良いか?」という彼の問いに、「ありがとうございます」と、ザイルは再び礼の言葉を口にした。


「珍しいな。お前が俺に何かを願うというのは。エリルもそう変わらんが、お前たちは遠慮ばかりで、自分の欲しいものは自分で手に入ようとするからな。一体、何が望みだ?」


 クィレルはそう言うと、執務机に頬杖をついてこちらを見遣る。どこか楽しそうなその様子が先程までの自分と重なって、やはり血というのは争えないと、変なところでそう思った。

 「それほど大それた物ではありませんが」と、ザイルは苦笑交じりに呟いた。


「母上のこと、そして俺自身のことを、ラテルティアに教えても構わないでしょうか? 彼女には、正しい過去を知っておいて欲しい。また、今回彼女が茶会を開くに至った経緯も伝えておきたいのですが。彼女を護るために何も教えまいとしておりましたが、ある意味その方が、危険なこともあるかと思いまして。それに、彼女は優秀なので、俺や兄上とはまた違った視点から、何かを見つけてくれるかもしれないかと」


 何度も頭に反芻した言葉を、ザイルはゆっくりと口にする。クィレルは何も言わずに、そんなザイルを見つめていた。僅かに浮かんだ暗い表情は、ザイルの母、ルミネアのことを思いだしたからなのか。

 一つふっと笑みを浮かべて、クィレルは「構わん」と呟いた。


「お前の婚約者となった以上、知る必要のあることだろう。お前も随分と執心のようだから、この期に及んで婚約を解消するなど言い出すこともないだろうし、教えておくと良い。……ルミネアも、その方が喜ぶだろう」


 柔らかく、僅かに切なさの滲む笑みを浮かべて、クィレルはそう呟いた。「ダリスには、俺から言っておく」と、彼は続けた。


「それに、茶会の件はお前たちに任せている。好きにすると良い。……ただ、気をつけろ。人間を傷つけることを何とも思っていないやつらは、思ったよりもすぐ近くに存在する。お前の最愛を奪われたくなければ、これまで以上に周囲に目を光らせておけ」


 それはきっと、過去の忌まわしき経験ゆえの、忠告。

 鋭くなったクィレルの視線に、僅かにぞくりと背筋に冷たいものが走るのを感じた気がして、ザイルは小さく息を呑み、礼の形を取った。

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