第47話 やっぱ、野球をわかってんじゃん!

 高卒の選手がすぐにプロで活躍できるケースがあるように、軟式しか経験していない生徒が華々しく高校野球の舞台で活躍できるかもしれない。


 淳吾がそう思えたのは、間近で高校生になったばかりの相沢武のピッチングを見ているからだった。バッタバッタと連続で三振を奪うまではいかなくとも、十分すぎるほど通用してるように見える。


 初心者ばかりのバックもエラーはするものの、肝心なところはきっちり守って、相手に得点を許さない。扇の要である捕手の土原玲二を中心に、守備はきちんとこなせている。


 地力では相手が勝っているが、私立群雲学園にも決して勝機がないわけじゃない。それが序盤を見ていて、淳吾が得た印象だった。


「さあ、そろそろ点を取ろうぜ!」


 相沢武がハッパをかけ、チームメイトが「おうっ!」と元気に声を上げる。まだ序盤ではあるが、ここまで互角に戦えてるのが皆に自信を与えてるみたいだった。


 試合は4回の裏まで進んでおり、群雲学園は1番の田辺誠が打席に入る。ベンチに入った淳吾を見つけると同時に、土原玲菜の心をこの試合で奪うなどと宣言してきたりした。


 本当に奪われたら困るのだが、そのくらい気合が入っているのだろう。いつになく真剣な表情で、打席内の田辺誠は投手のボールを待っている。


 本格派と呼ばれる海洋高校のピッチャーが1球目を投じる。真ん中付近の真っ直ぐに全力でバットを振るも、田辺誠は狙ったとおりの打球を飛ばせずに打席内で1回転をする。その様子を見ていた相沢武が、やや大げさにため息をつく。


「田辺っちってさあ……どうして、ヒットを狙わないんだろうね」


 記録員としてベンチに入っている紅一点の栗本加奈子が、浮かんだばかりに違いない疑問をぼそっと口にした。普段から群雲学園のグラウンドで練習をよく見学していただけに、淳吾よりも田辺誠の人となりをよく知ってるのだろう。


「ミートする能力はそれなりにあると思うんだけどな。本人がホームランに魅力を感じすぎてるからな」


 答えたがらない相沢武に代わって、ほとんど選手兼監督みたいな立場の土原玲二が説明をする。能力どうこうよりも、単純に性格の問題だというのはよくわかった。恐らくは周囲も田辺誠に忠告をしているが、当人が頑なに聞き入れない状況なのではないか。淳吾もよく知ってる草野球チームの男性と似てるので、そんな気がしてならなかった。


「そうだよね。足もかなり速いし、ミートに徹すればいい1番打者になれそうなのにね」


「初心者マネージャーがずいぶん言うじゃないか。一体、誰からの入れ知恵だよ」


 自分たちが守備についている間に、栗本加奈子が淳吾から何かしらの情報を得ていたと疑ってるのかもしれない。しかし残念ながら、そうした内容の会話をした覚えはなかった。


 相沢武が初心者だと侮っている栗本加奈子が、単純に野球の知識をつけてきているだけだ。きっと周囲が知らないだけで、本人なりに一生懸命勉強しているのだ。そう考えると、以前に部外者などと呼んでしまった淳吾は失礼すぎる。あとでしっかり謝罪をするべきかもしれない。


 淳吾がそんなふうに思っていると、相沢武に嫌味も同然の台詞を言われた栗本加奈子はベンチに座りながら胸を張った。どうよと言わんばかりの態度を示したあとで、どうして自分が急速に野球の知識をつけているのか説明する。


「最近、携帯ゲーム機の野球ゲームを買ったのよ。あれって面白いし、やってるうちに選手起用とか考えるようになるから、いい勉強になるよね」


 にこにこしながら野球ゲームについて熱く語る栗本加奈子を目の当たりにして、相沢武が口をあんぐりさせてベンチからずり落ちそうになっている。一方の淳吾はそうした光景を横目で眺めながら、やっぱり謝罪はしなくていいかなどと考えていた。


   *


 最後まで長打を狙っていた田辺誠があっさり三振し、2番打者の港達也がバッターボックスへ入る。源さんと同じ苗字なので息子かとも思ったが、違うことがはっきりしている。


 他ならぬ源さんに聞いたからで、高校生の息子はいないと教えられている。そんな港達也の特徴はと聞けば、部員の誰もが堅実なところと答える。


 実際にバッティングセンスはさほどないが、バントなどの小技は得意らしかった。守備も派手さはないが自分の守れる範囲を正しく認識し、無理せずしっかり守ってくれるので、私立群雲学園野球部ではかなり重宝されている選手みたいだった。


 以前に、練習試合で見かけたことがある。その時は相手の変化球に対応しようと、打席内で色々と工夫していた。


 本来は科学部希望で研究者タイプの学生だが、相沢武の勧誘によって野球部へ入部したのだという。今では本人も野球を研究する楽しさを覚えたみたいで、練習にも熱心に参加していると、マネージャーになったばかりの栗本加奈子が教えてくれた。


 何でもかんでも振り回していた田辺誠とは違い、港達也は初球から振りにいくそぶりは見せない。1打席目もそうだったが、じっくりと相手投手の研究をしてるみたいだった。


 私立群雲学園みたいな弱小高校では、対戦する相手高校の試合映像を手にするのは難しかった。昨年の地区予選が、テレビ放映された時の映像を入手するのがやっとだったと聞いている。


 去年から大幅にメンバーも変わっているし、ほとんど参考にはならないが、相手投手だけは2年生の頃からエースだったらしく投球の映像を見られたらしい。それでも実際に打席で見るのとでは、印象が大きく変わってくる。傍目からは打つのが簡単そうに見えても、いざ自分が打者になると頭で描いていたとおりのバッティングをするのは相当に難しい。追い込まれてから際どいコースのボールをカットするというのも、打者にかなりの技術があって初めて可能になる技だ。


 しっかりとコースを見極めるのは可能でも、さすがにそこまでの技術を初心者に近い選手に求めるのは酷だ。港達也なりに精一杯粘ろうとしたが、結局は球数をあまり放らせることもできずに三振してしまう。


「やっぱり、相手の投手は凄いね……」


 感心してるのではなく、悔しそうに栗本加奈子が呟く。最近では熱心に野球部の練習を見学してたからこそ、相手投手に抑えられる現実が歯がゆいのだろう。元から簡単に打ち崩せるピッチャーではないとわかっていたはずなのに、試合が実際に始まると勝ちたくなる。選手でなくとも、関係者なら抱いて当然の気持ちだ。


「まあな。けど、うちのピッチャーだって負けてなかっただろ。1点勝負のような展開にできるだけでも、1年だけのチームなら上出来だよ」


 3番の相沢武が打席に向かっていくのを見て、今度は4番の土原玲二がネクストサークルへ入ろうとする。その際にベンチを出る必要があるので準備をしていたら、途中で栗本加奈子の悔しげな呟きが聞こえてきたのだろう。だからこそ通り過ぎる時に、彼女へ言葉を残したのだ。


 土原玲二の口からは、負けてもともとなんて感じは微塵もなかった。チームメイトやマネージャーを励まし、安心させながらも、試合に勝ってやろうという野望が強く伝わってくる。感化された淳吾以外の部員の顔つきが、一段と気合の入ったものに変わっていた。


 ベンチがそんなことになってるとも知らず、打席に相沢武が立つ。金属バットを構え、土原玲二にも負けないくらいの勝ちたいオーラを放出する。さすがに経験者だけあって、田辺誠や港達也とは纏ってる雰囲気が決定的に違っていた。


   *


 淳吾にもわかるくらいの違いに、相手校のバッテリーが気づかないはずがなかった。前の2人とは異なり、捕手のリードも相沢武に関してはより慎重になる。


 これまでの打者とは違い、最初はまずボールコースに1球を投じて様子を見る。思い返してみれば、相沢武の1打席目には他のバッターと同様に勝負して、かなり強いライトライナーを打たれていた。


 続く4番の土原玲二にも勢いのあるライナーを前の打席で飛ばされてるので、相沢武ともども、この2人だけは注意しようとベンチあたりで話しあったのだろう。


 多少とはいえ内情を知ってる淳吾からすれば、最高の判断だと賛辞を送りたくなる。なにせ私立群雲学園野球部は守備の上達を急ぐあまり、打撃練習はほとんどしてないからだ。


 練習時間のほぼすべてを守備や送球に費やしても、部員が初心者ばかりでは草野球レベルに到達するのさえ簡単ではない。それは淳吾も、実際に身をもって理解している。


 小笠原大吾の草野球チームの練習に毎朝参加させてもらってきたが、他人に披露できるほどの守備レベルにはいまだに到達していなかった。下手をしなくとも、群雲学園の野球部員よりも下だ。


 間違っても守備固めで出場するのだけは避けよう。それがベンチに座っている淳吾の本音だった。基本的に試合に出場するつもりはないので、あれこれと理由をつけて断るつもりではあるのだが。


「なんか相沢の奴、相手から勝負を避けられてるんじゃない?」


「……彼のことは、愛称で呼ばないの?」


 質問に質問で返すのは感心されないが、どうしても聞いておきたかった。すぐ側にいる栗本加奈子という女性は、誰に対しても名前の下に「~っち」と付けて呼ぶ癖みたいなのがある。


 現に淳吾もほとんど話をしたことのない間柄だったにもかかわらず、いきなり「仮谷っち」と呼ばれて、ずいぶんと面食らったものだ。その栗本加奈子が、相沢武にだけはそれをしないのが不思議だった。


 もっとも、理由については大体想像がついている。相沢武と犬猿の仲だからだ。相手が誰でも簡単に懐へ入り、すぐ仲良くなる栗本加奈子にしては珍しい。その点も淳吾は気になっていた。


「相沢みたいな、人の恋路を邪魔するような奴は呼び捨てで十分でしょ」


 案の定な返答を聞いて、栗本加奈子が土原玲二に想いを寄せていたのを思い出す。実ったかどうか聞きたいところではあったが、そんな真似をしようものなら、反撃として淳吾の恋愛模様をあれこれ聞かれるのは想像に難くなかった。君子危うきに近寄らずではないが、わざわざ蛇がいるとわかってる藪をつつく必要もない。


「アタシのことはどうでもいいじゃん。それより何で、相沢は勝負を避けられてんの?」


「……仮にもマネージャーが、補欠の俺に聞いてどうするんだよ」


「だって、アタシのやってる野球ゲームじゃ、こんなことないもん」


 それはそうだろう。ツーアウト、ランナーなしで勝負を避けてくる野球ゲームなんて、そうそう売れるわけがない。だからこそ、現実とは変わった思考や演出を組み込んでいるはずだ。


 そんなゲームの仕組みを説明しても栗本加奈子が納得してくれるかわからないので、仕方なしに淳吾は自分の勝手な憶測と断った上で状況の説明をする。


「ツーアウトでランナーがいないんだから、この状況で相手が怖がるのはホームランだけだ。で、その可能性があるバッターのひとりに打席が回っている。となれば、素直にストライクカウントを取りにはこないだろ」


「あ、そっか。じゃあ、別に勝負を避けてるわけじゃないんだね。さすが仮谷っち、やっぱ、野球をわかってんじゃん!」


「当たり前の話をしただけだろ」


 などと言いながらも、褒められて嬉しくなってるのだから手に負えない。改めて淳吾は、自分のお調子者ぶりを痛感させられた。

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