第46話 私は大会に参加している彼氏の姿を見たい

 それからも早朝の練習に参加したりして日々を過ごしていたが、そうしてるうちに私立群雲学園野球部も参加する大会が翌日に迫ってしまっていた。


 どうするか考え続けながらも明確な結論は出せず、夜に例のバッティングセンターでがむしゃらにバットを振っていた。


「何か悩んでるみたいね、少年」


 からかうような口調で、小笠原茜が声をかけてきた。先ほどまではいなかったので、今到着したばかりなのだろう。


 ひとりで悩んでるのも苦しかったので、ケージから出たあと淳吾は大会へ参加すべきかどうかだけを相談した。


 返ってきたのは「淳吾君次第でしょ」という実に当たり前の回答だった。


「淳吾君が何のために朝早くから、お父さんの草野球チームの練習に参加していたのか、その理由をよく考えてみたら?」


「そう……ですね。うん、そのとおりだと思う。一応は茜さんも社会人なんですね。少しだけ見直しました」


「あのね……。どこからどう見ても、立派な大人のレディでしょう!? 勤務中もあのままの態度らしい、安田学さんとは一緒にしないでほしいわ」


「え!? 働いてる時も、安田さんってあんな感じなんですか?」


「らしいわよ。よくあれで職を失わないで済むわよね。ある意味、尊敬するわ」


 そう言って小笠原茜は仰々しくため息をつく。わざとオーバーなリアクションをとってみたりなど、あくまでも淳吾を元気づけるために話してくれたのだというのが伝わってくる。


 笑うための材料に使われた安田学には少しだけ同情するが、草野球チームに所属してるメンバーの中では一番精神的ダメージを受けなさそうな人物なので、遠慮なく淳吾は笑わせてもらった。


「それで、試合っていうのはいつなの?」


「ああ、明日です」


「へえ、そうなんだ……って、明日が試合なのに、どうしてこんなとこにいるのよ!?」


「どうしてって言われても……気晴らし?」


「気晴らし? じゃないでしょ! 明日、試合があるのなら、今日はゆっくりしてなさい!」


 何故か怒鳴りまくられた淳吾は、小笠原茜の剣幕に押されるままバッティングセンターをあとにする。


 悶々とした気持ちはいつしかなくなっていたので、素直に小笠原茜の言葉に従って帰宅する。


 ランニングによってかいた汗を帰宅直後の自室で拭いていると、携帯電話が珍しく鳴りだした。誰だろうと思って出ると、かけてきたのが恋人の土原玲菜だと判明する。


 携帯電話の番号は教えていたが、かかってきたのは今回が初めてかもしれない。それだけ記憶に残ってないし、稀な出来事だった。だからこそ、着信画面に表示されていた電話番号を見てもピンとこなかった。


 交際してからというもの、土原玲菜が専用の携帯電話を持ってないのもあって、今時には珍しくメールなどのやりとりもしていなかった。今回かけてきたのも、番号で固定電話からだとわかる。


 夜に付き合ってる美人の先輩と電話で話をする。たったそれだけなのに、妙にドギマギする。どうしたのという言葉ですら、震えてしまう。


「夜遅くにごめんなさい。淳吾が明日、どうするのかと思って……」


「あ、ああ……そうなんだ」


 あくまで野球関連の話題とわかって多少がっかりするものの、相手側から電話をかけてきてくれた事実だけは、やはり嬉しく思える。


「さて、ね。ただ、基本的な回答は以前にもしてると思うけど」


「ええ、そうね。参加するのもしないのも、淳吾の自由だと思う。でも……私は大会に参加している彼氏の姿を見たい……かな」


 彼氏という単語を聞いただけでドキドキするあたり、改めて淳吾は自分に女性への免疫がないんだなと実感する。


「それを伝えたかったの。それじゃあ、もう切るね」


「……あ、うん。わかった」


 電話が切られ、受話口からツーツーという音だけが聞こえてくる。寂しさよりも、彼女に電話をしてもらえた嬉しさの方が強く残っている。


 いつの間に自分は、こんなにも土原玲菜に惚れてしまったのだろう。そんなことを考えながら、淳吾も携帯電話を切った。


   *


 大会当日。淳吾は以前に土原玲二から貰ったプリントを頼りに、開催場所となる球場へやってきた。


「やっぱり来たな。事前にメンバー登録をしていて正解だったよ」


 制服姿の淳吾に入口で声をかけてきたのは、野球部の主将をしている土原玲二だった。どうやら来るのを見越して、入口で待っていたようだ。隣には土原玲菜の姿もある。


 嬉しそうな微笑を見せたあと、土原玲菜は「はい」と何かを淳吾に手渡してきた。それは10という背番号が縫いつけられている私立群雲学園野球部のユニフォームだった。


 ユニフォームの着方などは朝の練習に参加した際、小笠原大吾や源さんから教えてもらった。誰の助けも得られずに着られるが、ここまで準備万端だとは思わなかった。


 土原玲菜からユニフォームを受け取る。球場内に用意されているロッカーで、着替えるように指示される。場所がわからない淳吾を、土原玲二が案内してくれるみたいだった。


 土原玲菜とはここでお別れになり、あとはスタンドから他の生徒と一緒に応援するという話だった。別れ際に「頑張って」と言われた淳吾だったが、つい「応援はね」と応じてしまう。


 あくまで試合に出る意思がないのをアピールしたつもりだったが、もっと他に言い方があったのではないかと思える。しかし、一度口にした言葉を引っ込めるのは不可能だった。


 悲しそうにするかと思いきや、意外にも土原玲菜は「わかってる」と頷いた。その上で自分も応援を頑張ると言い、淳吾や弟の土原玲二に背中を向けた。


 土原玲菜の背中が小さくなるのを見送ってから、土原玲二に「行くぞ」と促される。先に歩き始めた野球部主将を追いかけながら、淳吾はふと頭に浮かんできた疑問を口にする。


「もしかして、昨日の電話はそっちの計画だったのか?」


 弟の土原玲二や相沢武が頼みこみ、淳吾の恋人でもある土原玲菜に電話をかけさせて大会への参加をお願いしてもらった。決してありえない話ではない。


 今にして考えれば、急に電話をかけてきた時点で少しは怪しむべきだったのだ。球場で土原玲二と一緒に淳吾を待っていた土原玲菜を見て、奇妙な違和感をずっと覚えていた。


 しかし当の土原玲二は、あっさりと淳吾の言葉を否定する。


「おいおい。あまり疑い深くなるなよ。それとも、自信がないのか?」


「まったくないね。俺を野球部へ参加させるためだけに、交際を申し込んできたくらいなんだからさ」


「まあ……そう言われると、どうしようもないけどな。ただ、今の姉さんが仮谷をどう思ってるのか。それは普段からよく一緒にいる、お前が一番わかるんじゃないか?」


「わかってないから、さっきの質問になったんだよ……」


「はは、なるほどな。さあ、ロッカーについたぞ。早く着替えてくれよ。本当はユニフォーム以外は禁止なんだ」


 言われてみれば、先ほどから通り過ぎる選手たちは全員がユニフォーム姿だった。


 試合に出るつもりはなくとも、ベンチへ入るために球場まで来たのに変わりはない。土原玲二から言われたとおりに、淳吾は急いでユニフォームに着替えるのだった。


   *


 他のチームメイトと一緒に開会式へ参加したあと、すぐに第一試合が開始される。私立群雲学園が出場予定になっているので、早く準備をする必要があった。


 顧問だが野球知識のない教師が、今回の大会にも監督としてベンチに入る。采配は、主将の土原玲二にお任せするみたいだった。


 監督と2人でベンチに座る。グラウンドで守備練習をする私立群雲学園野球部ナインを見つめる。相沢武に試合へ出ろと言われるかとも思ったが、淳吾が大会に参加してくれただけでも満足そうな感じで特に何も言われなかった。


 私立群雲学園野球の初戦は県立の海洋高校で、過去には強豪と呼ばれていたが、現在ではさほどでもないチームらしかった。それでも3回戦くらいには進める戦力を有していて、実力では群雲学園を遥かに凌ぐのは、丁寧に説明されなくとも理解できた。


 プロ注目とまではいかないが、相手高校の投手は本格派タイプらしく、県内でも割りと名前が知られている選手みたいだった。これらはすべて、試合前に伊藤和明から教えてもらった情報だ。


 よほど淳吾が大会へ参加したのが嬉しいのか、聞いてもないことまで色々と教えてくれた。その伊藤和明は現在、ライトのポジションで守備練習をしている。


 私立群雲学園が裏の攻撃になったので、まずは最初に守備をする必要がある。投手は相沢武で、捕手は土原玲二が務める。初心者だらけの高校と、2,3回戦レベルの高校。どちらが勝利に近いかは明らかだ。


 両高校の応援席も対照的だ。吹奏楽部が応援に来てくれている海洋高校と違い、私立群雲学園はわずかな人間が観戦に訪れているだけだった。その中には土原玲菜の姿もある。


 恋人に格好いい姿を見せられないのは残念だが、メッキが剥がれるよりはマシだ。ベンチでチームの応援をしようとグラウンドを見る。


 直後に、誰かが目の前に立ち塞がった。


 視界を遮られた淳吾は、何事だと視線を上げる。そこには、野球部の帽子だけをかぶった制服姿の栗本加奈子が立っていた。


 どうしてここに、なんて尋ねるまでもない。栗本加奈子はマネージャーとしてこの場にいるのだろう。


 淳吾が質問する前に「私は関係者だからね」などと説明してくる。


 以前に部外者呼ばわりされたのを、いまだに根に持っているのだろう。何度も関係者だと連呼しては胸を張る。いい加減に鬱陶しく思えてきたので、マネージャーの仕事をしなくていいのか聞いてみる。


「さっきから色々準備をしてたじゃん。仮谷っち、見てなかったの?」


「まったく見てなかった」


「ちょ……! マジで信じられないんだけど。ま、今回は許してあげる。これから試合が始まっちゃうし。アタシ、記録員しなきゃいけないんだからさ」


 どうやら公式大会でマネージャーがベンチへ入るためには、記録員になるしかないらしかった。だから高校野球のテレビ中継などでも、女性のマネージャーが何人もベンチに座ってたりしないのかと、淳吾はひとりで納得する。


 栗本加奈子もベンチに座り、記録員としての役目をこなそうとする中、ついに試合が開始される。マウンドに立っている相沢武が振りかぶり、海洋高校の1番打者に初球を投じる。


 淳吾も打席で何回か体験したストレートが決まり、相手打者はスイングもできずにワンストライクを失う。最初から相沢武は、全力で飛ばしていくみたいだった。


 中学時代は不遇な経験しかしてないというし、もしかしたら公式大会で投げるのを楽しみにしていたのかもしれない。夢みたいに感じていたマウンドにピッチャーとして立ち、打者と対戦できる興奮を隠そうともしていなかった。


 さすがにニヤニヤしたりはしないが、全身から楽しそうな雰囲気が伝わってくる。アドレナリンが大量に分泌してる感じだ。先ほど投じた真っ直ぐにもキレがあるように見えた。


 自分だったら打てそうにないなとベンチの中で苦笑いしつつ、淳吾はグラウンドでプレイする私立群雲学園野球部の面々を見守る。

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