第48話 ここが勝負の分かれ目になるかもしれないぞ

 自分の性格についてはこの際、棚に上げておこう。そう決めた淳吾は、何気なく球場のスコアボードを見た。対戦相手の海洋高校の背番号1をつけている選手の名前が高橋というのに気づく。


 本来なら最初に確認すべきなのだが、自分が試合に出るはめになるんじゃないかという心配をしまくっていたので、そこまで気がまわってなかった。名もない投手扱いできるような実力ではなく、中学までしっかり野球をしてきてる相沢武でも打つのに苦労していた。


 守備はなんとか形になっていても、打つほうで期待できるのが相沢武と土原玲二の2人ではなんとも苦しい。得点を期待できる打者の前にランナーも溜められていないし、仮にヒットを打ってもホームまで帰ってこられる可能性はかなり低い。


 そうなれば3番、4番の長打で試合を決めるしかなく、相沢武と土原玲二の2人にかかる負担はさらに大きくなる。道理でセンスありそうな奴がいれば、誰彼構わずに声をかけるわけだと納得する。


 相沢武にスカウトをされていたのは、淳吾だけじゃなかった。これといった新入生にはくまなく声をかけたみたいだが、快く参加してくれたのはひとりもいなかった。それでも試合に出るだけの人数は確保できたのだから十分だと、いつか事情を説明してくれた土原玲二は笑っていた。


 周囲から評価されてるとおりの実力が淳吾に備わっていれば、なんとしても欲しい人材になる。だから執拗にスカウトされた。可能なら期待に応えてあげたい。生憎とそこまでの力量は備わってない。せめてもの手伝いとして、ベンチに座っているくらいしかできないのだ。


 海洋高校の高橋投手の慎重な責めに、相沢武が調子を崩されたように首を捻る。他の打者にはストライクコースでバンバン攻めてただけに、不思議がってるのかもしれない。けれど相手だって勝つのに必死なのだから、怖いバッターに単調な勝負を挑むような真似はしない。


 だがストライクとボールの投げわけはしっかりできていても、微妙なコースに投げるコントロールはないみたいだった。本格派と呼ばれるのに相応しい球威で、力勝負を挑んでいくのが相手投手のスタイルなのだろう。


 それを曲げてでもチームの勝利を優先しようとするあたり、高橋という名前の投手の性格がわかるようだった。甘いコースへいかないように苦慮しながらも、低めを意識して重そうな直球を投げ込んでくる。


 相沢武が真っ直ぐに照準を絞ったと判断すれば、躊躇いなく変化球も投じる。結果として本来のバッティングをさせずに、アウトをひとつ積み重ねる。


 三振こそしなかったものの、相沢武は力ないセカンドへのポップフライで終了。今回も私立群雲学園のスコアボードにはゼロが記される。試合は投手戦の雰囲気が強くなり、両チームのエースが全力で対戦相手を抑える。


 4番の土原玲二が次の回にレフト前ヒットこそ放ったものの、やはり後続が続かない。あっさりとスリーアウトにされ、相沢武が代わりにマウンドへ上る。


 こちらも気迫のこもったピッチングを披露し、格上と思われる海洋高校に得点を与えない。緊迫感が強まるにつれ、ベンチの中での会話も激減する。


 なんとかしてやろうという相手ベンチの雰囲気とは違い、私立群雲学園の方はまるでお通夜みたいな有様になっている。誰もが力のなさを痛感し、相沢武に詫びたがってるように見えた。


 そんなチームメイトを鼓舞するかのように、延々と相沢武はエースとしてマウンドの上で腕を振り続ける。なんとか1点を取りたい。ベンチに座っている淳吾にも、周囲の願いが痛いくらいに伝わってきた。


 逆に私立群雲学園の野球部員たちは力むようになってしまい、普段以上にまともなバッティングができない。そして試合は終盤の7回に突入する。


   *


 表の攻撃で海洋高校の打者と対戦する相沢武にも、徐々に疲れが見えるようになっていた。試合開始してからずっと、全力での投球を続けているのだ。最高の球威を維持できなくなるのは、むしろ当たり前だった。


 タイミングが悪く、上位打線である2番打者から対戦がスタートする。懸命に腕を振って硬球を投げ込むが、ベンチから見てても当初ほどの勢いがなくなってるのがわかる。


 もちろん相手打者もその点はしっかり理解しており、なおかつ私立群雲学園のチーム事情も十分に把握できてるみたいだった。相手高校の2番打者は極端にバットを短く持ち、際どいコースなどはカットして相沢武の投球数を増やさせる。


 相手打者が執拗に粘る様子を見ていたマネージャーの栗本加奈子が、ベンチ内で怒りを露にする。


「あれって、絶対にわざとやってるよね。あんな真似をされたら、ピッチャーが疲れちゃうじゃん!」


 自分に言わないでくれと内心でため息をつきつつも、淳吾は「それが作戦なんだろ」と栗本加奈子に説明した。


 確かにベンチ入りの投手数がプロほど多くない高校野球では、過度のカット作戦は賛否が分かれるところだ。極論を言えば、ひとりの打者が延々とファールを打ち続け、ピッチャーの球数を増やさせて、疲労で誰ひとり投げられないような状況に持ち込めば簡単に勝利を掴める。


 しかしそれこそプロではないのだから、途中で打ち損じも出てくる。なおかつ突出した技術がなければ、延々とファールを打ち続けるのは難しい。集中力を必要とするのは、なにも投手に限った話ではないのだ。


 とはいえ、選手層の薄い私立群雲学園を相手にする場合には有効な作戦だ。ベンチ入りをしてるのは淳吾くらいで、数少ない控えなのだから今のピッチャー以上に優秀な可能性は極端に低い。


 相沢武が肩を壊さない程度に球数を投げさせ、降板に追い込もうと考えても不思議はなかった。仮に粘られるのを嫌われても、フォアボールで塁に出られる確率が上がる。


 きっちりストライクかボールかを見極め、際どいところを含めたストライクコースにきたボールだけをカットする。この戦術に、さすがの相沢武も苛々する様子を見せる。


 ますます相手の思う壺だ。力んだボールに従来ほどの球のキレはなく、いともあっさりファールにされる。余計に頭に血を上らせては、怒りに任せた投球をする。


 先ほどから盛んに捕手の土原玲二がジェスチャーで相沢武へ落ち着くように指示するが、まったく目に入らないほどに自分を見失っている。1点もやれない緊張や、ピークに達しているこれまでの疲労で、普段どおりの精神状態を維持できないでいるのだ。


 ずっと先にある勝利を欲するあまり、目の前の勝負が見えなくなる。今の相沢武はそんな感じだ。


 イラついたまま投じた甘い1球が、相手打者によって外野フェンスにまで運ばれる。


 結果論にしかならないが、いっそフォアボールを与えていた方が、相沢武にとってはうまく気持ちを切り替えられたのかもしれない。ムキになって、カットを続ける相手打者に勝負を挑み続けた挙句に長打を許した。


 外野手の頭上を越える打球を放たれ、守備がもたついている間に3塁まで一気に到達される。私立群雲学園はノーアウトで、サードランナーを背負うという最悪な展開を迎える。


 海洋高校にとっては最高のチャンスになる。なにせ次からはクリーンナップを迎えるのだ。得点するには、ここ以外にない。打者も集中力を高め、相沢武を攻略しようとするはずだ。


 キャッチャーの土原玲二がすかさずタイムをとり、ショックを受けている相沢武のもとへ駆け寄る。


   *


 短い時間で何かを話しあったあと、相沢武は多少の冷静さを取り戻せたみたいだった。やはり投手にとって、捕手の存在は大きいと改めて思わされる。マウンド付近での光景をベンチで眺めながら、マネージャーの栗本加奈子が何度も「大丈夫かな」と淳吾に尋ねてくる。


 可能なら「大丈夫だよ」と言ってあげたいが、本当にそうなのかどうかは淳吾にはわからない。ただ、ここを乗り切らないと勝利は遠ざかる。それだけはバッテリーでなくとも理解できた。


 ノーアウト3塁で迎えるバッターは3番打者。間違いなく相沢武に、そして私立群雲学園野球部にとっての試練になる。普段は挑戦的な言動の多い男が、緊張の面持ちで大きく息を吐く。


 絶対に点はやらない。心の中で燃えている気持ちが、オーラとなって相沢武の全身を包んでるみたいだ。


 相手打者も負けてはいない。気迫を前面に押し出して、なんとか点をとってやろうと集中する。


 相沢武が投じた1球目は、大きく外れてボールになる。キャッチャーの相沢武が、中腰にならないと捕れないようなコースだった。それを見た栗本加奈子が、反射的に「ああ、もうっ」と苛立たしげに叫ぶ。


「こういう時こそ、ストライク先行になるよう努力すべきじゃないの!?」


 基本的には栗本加奈子の言うとおりだが、すべてのケースで当てはまるわけじゃない。とりわけ今回みたいな状況では、普通に打ってくるだけじゃなく、スクイズという攻撃も十分に考えられる。投手も内野手も、備えておく必要がある。


 おもいきり前進守備ができれば楽だが、極端な真似をすればすぐに強打へ切り替えられる。内野の陣形を前のめりにしすぎれば、正面をつくゴロやライナーでない限り、素早い反応は不可能になる。内野を抜けるゴロヒットの確率が通常よりも上昇するのだ。


 だからこそわかりやすい前進守備はとらずに、1球ごとに内野手の配置や動きを改めて指示する必要が出てくる。その役目を担うのが、グラウンドで司令塔となる捕手だ。スクイズを警戒して初球を外したのも、恐らくは土原玲二の指示だったのだろう。


 今にも立ち上がりそうなくらいベンチでそわそわしている栗本加奈子を横目で見たあと、頭の中に組み立てていた説明をあえてせずに試合へ集中する。意地悪をしたわけではなく、話をしている最中に大事な場面を見逃すのを恐れただけだった。


 相沢武の2球目は低目へ外れる変化球だった。スクイズの構えをするかどうかも含めて、色々な意味で誘いをかけた1球だった。しかし相手打者のバットはピクリとも動かないまま見送られ、これでノーストライクツーボールになる。


「ちょっと、ちょっと! しっかりしなさいよ、相沢のくせに!」


 どうして相沢のくせになんて言い方になるのかは不思議だったが、このまま延々とベンチで騒がれ続けても迷惑だ。仕方なしに淳吾はひとりで怒り狂っている栗本加奈子へ「簡単にストライクをとりにいって、スクイズをされたらどうするんだ」と教えてやった。


 それを受けてようやくボール先行の状況に納得ができたらしく、怒りを引っ込めて「あ、そっか」なんて言いながら頷いた。


「やっぱり仮谷っち、野球を知ってるね」


「いいから黙って見てろよ。ここが勝負の分かれ目になるかもしれないぞ」


 長年見てきたプロ野球ファンとしての知識が多少役立っただけだ。賞賛されるだけの知識を所持してるのかと問われれば、即座に「ノー」と答える。裏事情を教える必要はない。それ以上の会話は控えて、グラウンドに目を向ける。


 ここでスリーボールにしてしまうと、バッテリーが不利になる。フォアボールを嫌がると判断されて、ノースリーからスクイズにこられる危険性も出てくるからだ。ここはなんとしても、ひとつストライクが欲しい。しかし、そうした心理は当然、相手打者やベンチに見抜かれている。


 相沢武の女房役を務める土原玲二は、何を要求するのか。自然に呼吸をするのも忘れた淳吾が真剣に見つめる中、3球目が投じられる。

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