第13話 必ず、心から好きになるわ

 貴方にひと目惚れをしたから。


 そんな理由が告げられるはずもないのは、わかっていた。それでも心のどこかで期待してしまうのが、男というものだ。


 それはともかく、淳吾は心の中でやっぱりなと頷いた。他に土原玲菜が、恋人付き合いをしたがる理由が思い当たらない。


「私の目から見ての話だから確証はないけれど、弟にはかなりの野球の実力があると思う」


 まだおかずが残っている弁当箱を太腿の上に乗せたままで、土原玲菜が理由について説明してくれる。


「小さい頃から野球をやっていて、すぐに打撃の能力は認められたわ。でも、本人は頑なに捕手以外のポジションをやりたがらなかった……」


 それなら、試合に出られないのも自業自得ではないのか。人事なので淳吾はそう思えるが、身内である土原玲菜の感想は違うのかもしれない。


 余計な口を挟まずに黙って聞いていると、少しだけ悲しそうにしながら美貌の女先輩は言葉を続ける。


「幸いにも打撃の力を見込まれて、希望の守備位置でプレーする機会を与えられたわ。けれど、今度は左投げというのが災いした」


 淳吾も一度だけ、間近で土原玲二の捕手風景を見た経験がある。相沢武と勝負した際のことで、その時点でもかなり珍しいという感想を抱いた。


 素人の淳吾でもそうなのだから、野球経験のある指導者なら尚更だろう。仮に逆の立場だったなら、すぐに右投げへ矯正させようとするかもしれない。


 現にそうだったのだと、土原玲菜が説明してくれた。


「小さい頃から、左投げの捕手というのにこだわりをもっていたのね。試合に出たいなら右投げにしなさいと、家族が言っても首を縦には振らなかったわ」


 そこまでくると、さすがに頑固すぎる。試合に出たいのであれば、少しくらいの妥協は必要になる。何も全部が全部を直す必要はなく、監督と話し合って最低限の変更にすればよかったのだ。


 喉元まで声がでかかっていたが、下手な発言をして嫌われるのを恐れた淳吾は途中でなんとか飲み込んだ。そうしてるうちに、土原玲菜が説明を続ける。


「あまりにも頑なだったから、やがて私たちもあの子を応援するようになった。でも、どこのチームでも必ず監督と衝突した」


 弟の過去について話してる間、土原玲菜はずっと悲しそうなままだった。そんな姿を見てるだけで、淳吾の胸が締めつけられそうになる。


「理解してくれるチームメイトもいたけれど、あの子は……玲二は決して助言を聞かなかった。あくまでも左投げの捕手にこだわったの」


 本人のポリシーなら他人は何も言えないが、問題がひとつある。それは野球という競技において、投手と捕手は共同で作業をする間柄だということだ。


 捕手のリードに、投手が信頼して投げ込む。関係が上手くいってるバッテリーほど、能力をいかんなく発揮できる。


 淳吾の野球に関する知識は、プロ野球好きのそこらの中年男性と大差ないが、それくらいは十分にわかっていた。


「万が一、監督があの子を認めてくれたとしても、肝心の投手が信頼してくれなければ意味はないわ。それは玲二もわかっていた。だからこそ、中学時代はずっと補欠でも文句は言わなかった」


 左受けの捕手に投げて、感覚がズレると困る。そう言って、中学時代の投手陣はブルペンでも土原玲二を拒絶したみたいだった。


 ひとり黙々と練習するだけの中学三年間。あまりにも意固地になるものだから、監督は土原玲二を代打でも使ってくれなかった。


 決して所属する人数が多かったわけでもないのに、一度としてベンチ入りをした経験もないのだと、俯き加減の土原玲菜が教えてくれた。


「弟の現状を知っていた私は、迷わずにこの私立群雲学園へ進学するように勧めたわ。そして、承諾してもらえるとすぐに、当時の先生方に掛け合って野球部を存続してもらったの」


   *


 私立群雲学園の野球部は上級生がおらず、存続が危ぶまれる状態へ追い込まれた。


 ゆえに受験生用の案内にも、野球部の項目がなかったのである。ところが、実際は細々と活動をしていた。


 去年までは他の部活から助っ人をかき集めて、なんとか大会に出場していたくらいの活動実績しかないらしい。


 そんな部活がどうして今年も残ったのか疑問だったが、どうやら目の前にいる美貌の女先輩が尽力したみたいだった。


「幽霊部員でいいからと、当時の同級生に頼んで野球部に籍を置いてもらっていたの。だから実際はともかく、名目上はきちんと部員が存在していたことになるの」


「……なるほど」


「新入生で部活が存続できなければ、廃部という条件だったわ。弟ひとりでは厳しいと思っていたけれど、あの子はやる気だった」


 確かにこれまで聞いてきたような事情があれば、なんとしても自分で野球部員を集めようとするだろう。


 勘違いとはいえ、強打の長距離打者がいると聞けば、何がなんでもスカウトしたくなるのは当然だった。


「そして入学したあと、予期せぬ出来事が起きた。それは弟にとって、嬉しい誤算だったわ」


 嬉しい誤算というのは、淳吾にも大体の想像がついた。恐らくは、土原玲二と現在バッテリーを組んでいる相沢武の存在だ。


「相沢武君がすでに野球部の情報を得ていて、部活を存続させようと躍起になっていたのよ」


「そこへ弟さん……玲二君が合流した……」


「そうよ。自宅で弟からその話を聞いて、私はとても嬉しくなったわ」


 土原玲二は過去のこともあるので、相沢武には事細かく自分の現状を説明したらしい。


 そうすると豪快な投手は、左受けでも全然問題ないと笑った。こうしてバッテリーが組まれるようになった。


 その点を説明している最中、土原玲菜が自分のことのように嬉しそうにしてるのが印象的だった。


「弟と友人になってくれた子がいるなら、あとは任せようと思った。だからこれまで、余計な手助けはしなかったの」


 道理で土原玲二と仲の良い相沢武が、最近まで土原玲菜の存在を知らなかったわけである。


「なんとか試合ができる人数は集められたけど、まだギリギリだった。そこへ有望な選手の情報が舞い込んできた」


「……それが俺ですか」


「ええ、そうよ。今度スカウトに行くんだと言っていた弟の笑顔を見て、私は本当に私立群雲学園への進学を勧めてよかったと思ったわ」


 しかし結果は惨敗。翌日の土原玲二は、かつてないくらいに落ち込んでいたらしかった。


 あまりに落胆していたので、心配になった土原玲菜は状況を事細かく聞きだした。


「恋人が欲しいから野球部へは所属せずに、アルバイトをする。それもひとつの人生で、否定する権利はないと弟は笑っていたわ。でも……」


 弟に全力で野球をやらせてあげたい姉こと土原玲菜は、いてもたってもいられなくなった。


 そして淳吾の情報を得ると、恋人関係を築こうとしたのだ。野球部へ入部してもらうために。


「今になって考えれば、私も悪かったわ。貴方の気持ちをまるで考えていなかった。恋人になってもらえるのなら、誰でもいいというわけではないものね」


 そう言う土原玲菜の瞳には、わずかに涙が滲んでるように見えた。


 飛び跳ねた心臓が口から顔を出しそうになるくらい、淳吾はドキリとした。憂いを帯びた土原玲菜の顔が、あまりにも美しかったからだ。


「ごめんなさい。貴方が望んでないのに、私が恋人になると言っても意味がないわよね」


 女性を顔で判断するつもりはないが、土原玲菜の容姿は淳吾の好みだった。


 連れて歩いていたら誰もが羨むような美貌に加えて、意地らしい性格の持ち主でもある。


 お調子者の血が一気に目覚め、淳吾は無意識のうちに口を開いていた。


「いや、そんなことはないよ」


   *


 淳吾の言葉に、驚いた土原玲菜が顔を上げる。相変わらず綺麗な瞳が涙と太陽の光で輝いており、それだけで魂まで奪われそうになる。


 もしかしたら出会った時点で、すでに惚れていたのかもしれない。臆面もなくそう考える淳吾は、やはりお調子者なのだろう。


 自分でもわかっているのに、どうしても土原玲菜との交際を諦める気になれなかった。


 恋人を求めてアルバイトもしようとしていた淳吾にとって、綺麗な女性と出会えて親密になるのは高校生活の目的のひとつでもあった。


「それなら……私と、恋人付き合いをしてくれるの……?」


「え……あ……いや……」


「……やっぱり、駄目なのね。ごめんなさい。無理強いをするつもりはなかったの」


「ち、違うんだ。決して、無理強いをされてるわけじゃなくて……」


 土原玲菜みたいな美人と付き合えるのなら、是非ともお願いしたい。けれど、円満な恋人生活を送るためには、決して無視できない事案が存在する。


 土原姉弟や相沢武を始めとした数多くの人間が誤解してるだけで、淳吾に野球の才能も実力もない点だった。


 そのことを正直に白状して、それでも付き合ってくれるか確かめよう。そう決めて、拳を強く握り締める。


 もしかしたら向こうから交際を拒絶してくるかもしれない。それでも、嘘をついて付き合うよりはマシだと考えた。


 しかし正直な心情を告げようにも、開いた口から言葉が出てきてくれない。言うべき台詞は確かに頭の中で完成してるのに、相手女性へ伝えるための最後の過程をクリアできないのだ。


 評価を下げられるのが怖かった。嘘つきと罵られるのが嫌だった。誤解をとくべきなのはわかっていても、勝手に勘違いした方が悪いと何度も心の中で自分を正当化した。


「私……貴方が許してくれるのなら、淳吾と呼びたい。きっと……いえ、必ず、心から好きになるわ」


 冷静に考えれば、出会ったばかりに等しい女性が、好意の欠片も抱いてなかった男性を心の底から愛するようになるなんて夢物語も同然だった。


 けれどこの時の淳吾は恋愛ドラマのワンシーンみたいな展開に心をトキめかせ、すっかり舞い上がってしまっていた。


 そのために相手の言葉の真意を考えようとはせず、お調子者根性を発揮して土原玲菜の言葉を嬉々として受け入れる。


「どっちにしろ、俺は野球部へ所属するはめになったんだ。なら、特典はきちんと貰っておこうかな」


 明後日の方を向きながら、わざと格好をつけた言い方をする。夜に自室でひとりになれば、調子に乗りすぎたと頭を抱えることになるのはわかってるのに、どうしてもこの悪癖を直せなかった。


 ドキっとするほどの美人に涙目で「好きになる」と言われ、心を動かされない男の方が珍しい。淳吾が、こんな有様になるのも当たり前なのだ。


「よかった……それじゃあ、これからよろしくね」


 こうして正式にお互いの意思で、淳吾と土原玲菜は交際をすることになった。


 少しはスキンシップでもをと思っていると、いつかと似たようなタイミングで土原玲菜の弟こと土原玲二が現れた。


 狙っていたのではないかというくらいの絶妙さだったが、その点はあえて尋ねずに淳吾はスルーを決める。


「今日も一緒に昼食か。仲がいいな」


「ええ。恋人同士ですもの」


 弟のひやかしに、姉が笑顔で応じる。この姉弟も、なかなかに仲良さげだった。


「そうか。ところで、仮谷君。昨日は申し訳なかったな。騙まし討ちみたいな真似をして」


「いや、いいよ」


 本人の口からではなくとも事情を聞いてしまった以上、ふざけるなと責めるつもりもなくなった。


 納得できる手法でなかったのは確かだが、淳吾も土原玲菜と付き合うことになったのだから、余計な文句を言う資格を失っている。


 改めて淳吾は、土原玲二にも野球部への所属を了承する旨を告げる。

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