第8話 貴方が望むのであれば

 ポカポカとした雰囲気に包まれる中庭にて、淳吾は綺麗な女性とひとつのベンチに仲良く座っていた。


 他にも中庭で食事をしている学生たちが、ちらちらと淳吾たちを見てくる。


 友人同士で何事か言い合ってるのは、恐らく淳吾と隣にいる女性が恋人なのかどうかが気になってるからだろう。


 実際に淳吾も気になっている。どうして自分が、中庭で女性と並んでベンチ座っているのか、いまだに謎なのだ。


 名前も知らない美女に手渡されたのが、お弁当であるのは判明した。そして今、その女性と一緒に昼食をとろうとしている。


「何が好きか、よくわからなかったから、適当に見繕ったけれど……大丈夫?」


「え? あ、はい……好き嫌いはないので……」


 愛想笑いを浮かべつつ、言うべき台詞はそれじゃないだろうと、淳吾は心の中で己にツッコミを入れる。


「よかった。さあ、遠慮しないで食べて」


 どのような意図があるのかはまだ不明だが、とにかく隣にいる美女は淳吾と一緒に中庭でお弁当を食べたいらしかった。


 長年憧れ続けたシチュエーションなのにあまり嬉しくないのは、女性が何を考えているのか、さっぱりわからないせいだ。


 袋から取り出したお弁当箱のふたを開け、美味しそうですねと感想を言う前に、淳吾には相手女性へ質問すべきことが幾つもあった。


「あの……食べる前に聞きたいんですけど……貴女は誰ですか?」


 ようやくできた質問に対して、帰ってきたのはひと言だけだった。


「……玲菜」


 どうやら女性は、玲菜さんと言うらしい。これでひとつめの疑問は解消されたが、万事解決とまではいかない。


「名前……ですよね」


「そうよ」


「その、玲菜さんは、どうして僕にお弁当を?」


「決まってるわ。食べてもらうためよ」


「そうですよね。失礼なことを聞きました。あはは……」


 頭を掻きながら、二度目の愛想笑いをするものの、それじゃあ答えになってないよと地団太を踏みたくなる。


 ベンチの上で膝に置いてあるお弁当箱の中には、卵焼きやウインナーなど、美味しそうなおかずが並んでいる。綺麗に区分けされ、彩りも鮮やかだ。


 仕切られた残り半分のスペースに白米が敷き詰められている。少しぎゅうぎゅうな感じがしなくもないが、男子高校生が食べるお弁当と考えれば相応のボリュームになる。


 一方で玲菜と名乗った先輩女性のお弁当にも、同じおかずが使われている。弁当箱は淳吾のよりひと回りは小さいので、ボリュームとしては女性の平均くらいに思える。


 本来なら気候と同じ春の雰囲気に心を躍らせながら、綺麗な女性との昼食を楽しめるはずなのだが、淳吾の現在の心境ではそれが一番難しかった。


「……食べないの?」


「ああ……食べますけど、どうして俺――いや、僕にお弁当を作ってきてくれたんですか」


「……だって、食べたかったのでしょう?」


「……はい?」


「女性が手作りをしたお弁当を、お昼に中庭で一緒に」


 思考が一瞬、停止する。確かにどこかで、発言をした覚えがある。


 記憶が正しければ、先日の野球部のグラウンドでだ。どうしても入部したくない淳吾は、つい己の願望を語ってしまった。


 思い出すだけでも恥ずかしいのだが、何故か隣にいる女性はそれを知っている。もしかして、あの場にいたのだろうか。


 仮にそうだとしても、願望を聞いただけで実行させてあげようとする女性なんているものなのか。考えるほどにわからなくなる。


 淳吾にひと目惚れをしてくれたのかもしれない。都合が良すぎる解釈だが、そうとでも考えない限り、現在の状況を説明できないのも確かだ。


「え、ええと……ということは、ですね。その、俺と……あの、恋人になりたい、なんてことは……あったり、なかったり……」


 男らしく相手の気持ちを聞こうとしたのに、気がつけばコメディタッチな感じになっていた。


 それでも先輩女性は笑ったりせず、真顔のままだった。


 これはもしかして脈があるのか。心臓をドキドキさせる淳吾に、玲菜という名前の女性が小さな声ではあったものの、返事をしてくれた。


「……貴方が望むのであれば」


   *


「の、望む。望みますっ」


 一瞬にして、淳吾は天にも昇る心地になった。多少変な性格をしているかもしれないが、隣に座っているのは紛れもない美少女なのだ。


 そんな女性が自分に好意を抱き、お昼にお弁当まで作ってきてくれたのだから、嬉しくならないはずがなかった。


 玲菜という女性は淳吾にひと目惚れし、お弁当から告白するという流れを仕掛けてきたに違いない。


 テレビドラマで見るような青春のひとコマに、淳吾は心の中でこれだよ、これと歓喜する。


「じゃ、じゃあ、遠慮なくいただきますっ!」


 何かの悪戯じゃないとわかったのもあり、淳吾は生まれて初めて食べる同年代の女性の手料理をがっつき始める。


 行儀良くしなければと思ってはいるが、女性の手作り弁当を前にしていては冷静な思考を維持するのは不可能だった。


「美味しいよ。卵焼きもウインナーも」


「それは、よかったわ」


「玲菜さんて、料理が上手なんだね」


 相手が確かな好意を抱いてくれてるとわかってから、淳吾は年上女性にもタメ口を使うようになった。


「よく、わからないわ」


「よくわからない?」


「ええ。お弁当なんて、初めて作ったもの」


 初めてという単語に、何故か無性に興奮する。


 これだけ綺麗な女性の初めての手料理を、自分が今食べている。それだけで幸せになる。


 ますます感動した淳吾は、あっという間にお弁当を平らげた。すると、待っていたかのように、ペットボトルのお茶を差し出してくれた。


 ありがとうと受け取り、喉を潤して昼食が終了する。あとは残りの時間を利用して、お互いに関する知識を深めよう。


 淳吾がそう考えていると、玲菜はまったく予想していなかった台詞を口にしてきた。


「これで……野球部に入ってくれるのよね」


 何から聞こうか考えていた淳吾の思考が緊急停止する。


 うららかな春の日差しを浴びながら、ベンチの上で背伸びをして爽やかな空気を肺一杯に吸い込む。


 遠くの空を見つめ、穏やかな気分になったあとで、微笑を浮かべながら淳吾は玲菜に向き直る。


「……今、何て?」


「入るんでしょう? 野球部」


 どうやら聞き間違いでないのがわかり、淳吾の頭の中では大勢のクエスチョンマークが仲良さげに肩を組んで踊る。


 一体全体、何がどうして淳吾が野球部に入ることになるのか。混乱したままで、相手女性に説明を求める。


「貴方が野球部に入らないのは、お昼に中庭で、恋人の手作りのお弁当を食べたいからなのだと聞いたわ」


 誰にと尋ねる前に、玲菜は言葉を続ける。


「貴方は交際するのを望んだし、私も受け入れた。望みは叶えられたわ」


 当たり前のように真顔で話してくる相手に、淳吾は「はあ」というなんとも微妙な相槌を返すのが精一杯だった。


「だから、野球部に入部できる」


「い、いやいやいや」


 淳吾は顔の前まで上げた右手を、勢いよく左右に振った。


 どこをどう通ってくれば、そのようなゴールに辿り着けるのか。そもそも、どうしてこの女性は淳吾を野球部に入れたがるのか。疑問が次から次へと湧いてくる。


「俺は野球部に入るつもりはないんだよ」


「どうして?」


「どうしてって……」


 それを聞かれるのがどうしてなのと言えず、淳吾が黙っていると、いきなり誰かが「姉さん」と声をかけてきた。


   *


 声のした方を見ると、意外そうな顔をした土原玲二が立っていた。


「君は仮谷君か」


 どうやら土原玲二が「姉さん」と言った張本人みたいだが、淳吾にかけたわけではないようだ。となると、残りはひとりしかいない。


 慌てて淳吾は隣に座っている女性を見るが、やはり平然とした顔つきでひとりお弁当を食べていた。


 一緒に食べてはいたのだが、淳吾の方が早く食べ終わってしまっていたのだ。そこで取り残された形になった玲菜が、会話しながらもお弁当を食べ続けていた。


「一緒にお昼を食べていたのか」


 淳吾の横にある空箱を目にして、土原玲二は何かを思い出したかのように「ああ」と口にした。


「今朝、早くから一生懸命作っていたのは、その弁当だったのか。姉さんと仮谷君は知り合いだったんだな」


 中庭のベンチに仲良く並んで座ってお昼を食べていれば、土原玲二でなくともそう考える。


 けれど実態は違う。淳吾と玲菜は今日が初対面であり、事前にお弁当を作ってもらう約束も交わしてはいなかった。


 そのことを説明すると、さすがの土原玲二も驚いたように目を丸くした。


「確かに……今日が初対面だったけれど、私たちはもう恋人同士」


 ようやく自分の分のお弁当を食べ終わった女性が、ハンカチで口元を拭きながら、とんでもない爆弾発言をしてくれる。


「……そうなのか。それはおめでとう」


「ああ、ありがとう……じゃなくて!」


 何故か恋人関係になった淳吾と玲菜を祝福してくれた土原玲二に、慌ててツッコミを入れる。


「俺にはよく状況がわからないんだ。彼女……玲菜さんは、土原君のお姉さんなのか」


「そうだ。姉さんは黙っていたのか。だとしたら、驚かせたかもしれないな。すまない」


「い、いや、謝ってもらうほどのことじゃ……そ、それよりも! これは一体何なんだ。もしかして、新手の入部勧誘なのか」


 怒鳴るような淳吾の問いかけにも慌てず、土原玲二は「入部勧誘?」と首を捻る。


 突然の展開にもあまり動揺しないところを見ると、土原玲二と玲菜はやはり姉弟なのだなと実感する。


 今度は土原玲二が、姉の玲菜に「どういうことだ」と質問した。


 少し長めの髪の毛をポニーテールにしている玲菜は、弟の問いかけに対してさも当然といった感じで「そういうことよ」と答えた。


「何が、ということ……なのか、俺にはさっぱりなんだが」


 姉弟だけに短い言葉のやりとりで会話が成り立つのかと思いきや、そういう漫画みたいな特殊能力は持ち合わせてないみたいだった。


 昼休みも残り少なくなりつつある中庭では、持参したボールを使って、女生徒が中心にバレーなどを楽しんでいる。


 僅かな休憩時間を堪能しようと、皆が笑顔で遊んでいるため、淳吾たちを気にしている生徒はほとんどいなかった。


 土原玲二にしても、たまたま通りかかっただけなのだろう。もしかしたら、野球部の部室で昼食をとった帰りなのかもしれない。


「すまないが、説明をしてもらえるか」


 そう言って土原玲二は、食後のお茶を飲んでいる実姉ではなく、隣に座っている淳吾に改めて説明を求めてきた。


 現状をなんとかするためにも仕方ないかと、淳吾が諦めていちから順に教える。


 すべてを聞き終えた土原玲二は、腕組みをして立ったまま「なるほど」と頷いた。


 ここでも焦ってる様子はないので、ひょっとすると玲菜はもとから突拍子もない行動をするタイプの人間である可能性が出てきた。


「昨日の夕食の席で、俺がついうっかりと仮谷君のことを話してしまったせいだな。重ね重ね、すまない」


 入部を強要するでもなく、姉の突飛な行動への謝罪だとばかりに土原玲二は頭を下げてくれた。


 そんな弟の姿を、姉の玲菜が理解できなさそうな様子で見つめていた。

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