第7話 甘ったるい日々を過ごしたいんだ

 淳吾の発言を受けて、周囲からブーイングが発生する。好勝負を期待して野球部のグラウンドまで見に来たのに、結局三球三振で終わったのも影響してるのだろう。


 こういうのは下手に抗議すると、火に油を注ぐだけの結果になる。多少腹が立っても、今は無視をするのが一番だった。


「うるさいっ! 用が終わったら帰れよ!」


 何も言わない淳吾に代わって、何故か相沢武が苛々した様子で不満げなギャラリーを追い払おうとする。


 中には上級生もいたはずなのだが、一切臆したりしていない。これまでの反応で大体わかってはいたが、改めて相沢武の気の強さを思い知らされる。


 悪態をつきながらも退散するギャラリーを尻目に、マウンドを降りた相沢武がゆっくりと淳吾に近づいてくる。


「お前……野球が好きじゃないのか?」


 わざと嫌いと言うべきか考えたが、好きなのと得意なのは違うと素直に答える。


「好きだよ。といっても、プロ野球を観戦するくらいだけどね」


「やるのは、あまり好きじゃないってことか? どこか怪我でもしてるのか?」


「いや、怪我はしてない。ただ、野球以上にやりたいことがあるだけだ」


「野球以上にやりたいこと、か。差し支えなければ、教えてもらえないか」


 いつの間にか土原玲二も、淳吾と相沢武の会話に加わっていた。


 どうするべきか悩んだが、自身を野球部に勧誘させるのを諦めさせるためには、多少の恥は仕方がないと割り切る。


「部活よりも、アルバイトをしたいんだ」


「アルバイト? 生活に困ってるのか?」


 先ほどから相沢武は、語尾にクエスチョンマークがつく発言ばかりを繰り返している。もしかしたら、なんとか淳吾を入部させるための手がかりを探してるのかもしれない。


「生活に困ってるってわけじゃないけど、ひとり暮らしをしてるからね。自分の小遣いくらいは稼がないと」


 栗本加奈子あたりは知っているが、相沢武や土原玲二にひとり暮らしの話をしたのは初めてだった。二人とも淳吾の境遇に驚き、同情を含んだ視線を向けてくる。


 絶対に誤解してると思ったので、慌てて特殊な事情でないのを説明する。単純に淳吾が群雲学園へ入りたかったため、ひとり暮らしをする形になっただけなのだ。


「そうだったのか。でも、仕送りしてもらえてるんなら、アルバイトはしなくてもいいんじゃないか?」


「生活のためにと考えれば、アルバイトは必要ないね。ただ、俺がしたいだけなんだ」


「学生の頃から働きたいって、変わってるな」


「そうでもないよ。だって、アルバイトには出会いがたくさんありそうじゃないか」


 これまで真剣な顔つきで話を聞いていた二人が、急にきょとんとした様子になる。


「で、出会いって……何のだ?」


 躊躇いがちに相沢武が聞いてくる。ここまで話した以上、隠し事をしても仕方ない。淳吾は堂々と自身の願望を口にする。


「異性との出会いだよ。せっかく高校生になったんだから、そうした青春を望んでも罰は当たらないだろ」


 野球部に入りたがらないのは、何か深刻な理由があるとでも思っていたのだろう。相沢武は目を大きく見開いて絶句する。


「野球で甲子園を目指すのも、異性にお弁当を作ってもらって、一緒に食べる中庭を目指すのも個人の自由だと思うよ」


「……確かに。俺たちの目指す頂は、大きく異なってるようだ」


 ひとり達観したように淳吾の言い分を理解してくれる土原玲二とは対照的に、相沢武は心から納得がいってないみたいだった。


「じょ、冗談だろ。ま、待てよ。恋人が欲しいなら、野球部に入りながらでも探せるだろ!」


「でも、デートをする時間とかは限られるだろ。俺は甘ったるい日々を過ごしたいんだ。だから、野球部の熱血な日々に誘うのは勘弁してくれ。それじゃ」


 あとは話すことはないとばかりに、淳吾は右手を上げて挨拶をした直後に相沢武たちに背を向ける。


 淳吾に三球三振を食らわせた投手はまだ言い足りなさそうにしていたが、相棒の捕手になだめられておとなしく背中を見送ってくれた。


   *


 これでやっと野球部関連の話から解放されると、安堵しながら登校した翌日。淳吾の姿を見るなり、クラスメートの何人かがひそひそと話し始める。


 明らかに不穏な空気が漂っており、昨日みたいに誰かが話しかけてきてくれるような気配はない。


 一体何なんだ。ため息をつきながら、淳吾が自分の席につくと、待っていたとばかりに栗本加奈子が駆け寄ってきた。


「ちょっと、仮谷っち。昨日のは一体、何だったのよ」


 見るからに怒ってる栗本加奈子の剣幕に、淳吾は若干押され気味になる。


「ど、どうして、そんなに怒ってるんだよ」


 いきなりの展開に驚きつつも、わけもわからず怒られるのは嫌なので、とりあえず抗議をすると同時に理由を尋ねた。


「男同士の勝負にわざと負けてまで、困ってる人たちを見捨てたいの!?」


 栗本加奈子の大声が教室中に響き渡る。昨日の勝負の件はすでに学園中へ広まっているらしく、そのせいで淳吾は朝からたくさんの学生に白い目で見られていたのだ。


 事情はわかったが、淳吾ひとりが責められる理由については、まったく納得できなかった。


「ちょっと、おかしくないか」


「何が!?」


 まさか反論されると思ってなかったのか、反抗的な態度を示す淳吾を、栗本加奈子が睨みつけてくる。


 一方的に説教したかっただけなのかもしれないが、いかに調子に乗りやすい淳吾だって、そのような展開はごめんだ。


「皆、野球部のことばかり言うけれど、どうして俺の都合は誰も考えてくれないのかな。自分の意思に関係なく、強制的に入部しないと駄目なのか。それじゃ、脅迫と同じじゃないか」


 淳吾に指摘され、栗本加奈子は「う……」と呻く。これまでの怒りが幾分和らぎ、徹底的に淳吾を戒めてやろうといった雰囲気は消滅する。


「俺が困ってると言えば、誰か助けてくれるのか。それによく悩んだ末に出した結論なんだ」


「で、でもさ。仮谷っちの言いたいこともわかるけど、何とかしてあげられないのかなって……」


「ごめんな。なんとかしてあげたいけど、俺にも都合があるんだ。許してくれよ」


「う、うん……なんか、アタシこそ……ごめんね」


 栗本加奈子だけではなく、先ほどまで周囲で淳吾の陰口を叩いていたクラスメートもシュンとしている。


 本来なら淳吾も助っ人扱いで野球部に入り、救世主のごとき活躍で存在をアピールしたい。そうすれば必然的に、異性からの人気も出る。


 昨日の相沢武が言っていたとおり、野球部に所属しながらでも青春はできる。むしろアルバイトをして出会うのとはまた違う、実に高校生らしい交際ができる可能性が高い。


 それをしないのは、ひとえに野球の実力が淳吾に皆無だからだ。何を間違ったのか、体育の授業なんかでたまたまホームランを打ったせいで、気がつけば現在のような状況になった。


 当初はクラスのヒーローになったような感じで気分も良かったが、今ではホームランなんぞ打たなければよかったと後悔している。


 けれどなんとか最悪の事態は免れた。昨日みたいにチヤホヤされなくなっても、白い目で見られるようなこともない。


 その後は普通に授業を受け、早くも昼休みの時間がやってくる。今日もコンビニで買ってきたおにぎりかとため息をつきつつ、自分の席でひとり昼食をとろうとする。


 昨日みたいに人が集まって来てくれないのは少しだけ寂しかったが、これが普通なのだと無理やり自分を納得させる。


 するとそんな淳吾のもとに、一連の騒ぎを引き起こしてくれた張本人も同然の栗本加奈子がやってきた。まさか、また何か言うつもりなのかと身構える。


「仮谷っちにお客さんだよ」


「客?」


「うん。呼んできてほしいって頼まれたの。廊下で待ってるよ。女の先輩に知り合いなんていたんだね」


「女の先輩?」


 淳吾は地元からひとりでこちらへ出てきており、知り合いと呼べる人間はクラスメート以外にまだできていない。女の先輩と言われても、心当たりはひとつもなかった。


 まさかひと目惚れをして、告白に来たとかいう夢みたいな展開なのか。淳吾は緊張半分、期待半分で廊下にいるという女性の上級生へ会いに行くために席を立つ。


   *


 教室の外に立っていたのは、髪をポニーテールにしているひとりの女性だった。廊下にいるので、当たり前だが群雲学園の制服を着用している。


 黒髪で身長は165cm前後だろうか。切れ長の目が印象的で、一見すると多少キツそうにも見える。顔立ちはお世辞抜きで整っており、どこのモデルをしてるんですかと尋ねたくなるくらいの容姿だ。


 制服の上からでも上半身の二つの膨らみの発達ぶりがわかり、全身に程よく脂肪がついている。タイプかどうか問われれば、淳吾は迷わずに「タイプです!」と答える。


「……仮谷、淳吾……君……?」


 凛とした声が耳に届いてくる。名前を呼ばれるだけで感動を覚えたのは、生まれて初めてかもしれない。緊張の度合いが強すぎて、淳吾はひたすら頷くことしかできなかった。


 ここで気の利いた台詞のひとつでも言えれば、もっと楽に女性とコミュニケーションがとれるのにそれができない。だから自分はモテないのだと、淳吾は頭を抱えそうになる。


 だが現在の問題は淳吾の性格ではない。本当にこの女性が呼び出したのかという点も含めて、確認すべきところはたくさんある。


「ええと、貴女が……僕を呼んだんですよね」


 緊張のあまり、柄にもなく自分のことを僕なんて呼んでしまう。苦笑でもされるかと思ったが、相手の女性はこれまでと変わらない顔つきで淳吾を黙って見つめている。


 慕情の視線というよりかは、得体の知れない生物を監視してるかのようだ。見つめるというよりも、凝視しているといった表現の方がしっくりくる。


「……そう。これ……」


 小さく頷いたあとに続けられたのは、極端に短い言葉だった。目の前にいる女性は確かに極上の美人だが、愛嬌という点では淳吾と同じクラスの栗本加奈子にはるかに分があった。


 布袋に包まれた正方形の謎の物体を、突き出すようにして淳吾へ渡そうとする。中身が何なのか説明されないまま、受け取ってよいものか悩む。


 少し大きめの単行本といった感じだが、見た目だけでは中に何が入っているのかはわからない。それでも女性がくれようとしてるのだからと、調子に乗りやすい性格の淳吾は謎の物体を受け取る。


 手に持った感想は重くもなく、軽くもなく。少し硬いものの、凶器が仕込まれてる様子はない。ますます女性が何を渡してくれたのか、淳吾はわからなくなる。


 このままでは駄目だと、淳吾はとにかく名前だけでも尋ねようとする。けれど名乗りもしてない年上の女性は、ひとり静かに歩き出している。


 一体何だったんだ。呆然とする淳吾が背中を見送っていると、階段がある付近で唐突に先輩女性がこちらを振り向いた。


「何をしているの? 早く行きましょう」


「……は? い、いや、ちょっと待ってくださいよ。俺には何がなんだか……。それにどこへ行くっていうんですか」


「決まってるでしょう。中庭よ」


「き、決まってるって……ますます、わけがわかりませんよ。どうして中庭なんですか」


「お弁当……食べるのでしょう?」

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