第4話 仲間になってほしい

「お前もって、どういうことだ」


 淳吾が無視しようと決めたのに対して、直接には何の関係もないでしゃばり男が相手から事情を聞こうとする。


 尋ねられた相沢武も、よせばいいのにわざわざ理由を説明しようとする。


「俺は中学の時も野球をやってたんだ。けどよ、監督に嫌われて一度も試合に出してもらえなかった」


 先ほどまでとは空気が一変し、なにやらお涙頂戴もののテレビドラマみたいな展開になる。このような状況で下手にツッコみを入れる勇気もないので、淳吾はひたすら貝のように口を閉じておく。


「それなりに実力はあった。練習でアピールもした。なのに! あいつは中学の三年間で、俺を一度もベンチに入れなかった……!」


「……辛かったね」


 いつの間にか他の女子までもが相沢武の話を聞いており、中には涙ぐむ者までいた。


 確かに本当なら同情すべき話だ。けれど、どうして誰も疑問に思わないのだろうと淳吾は首を傾げたくなる。


 単純に相沢武が自意識過剰なだけで、監督の見る目が正しかったとしたら、何も問題はなくなる。


 それどころか美談のような話は、単なる逆恨みとして片付けられる。いっそ聞いてみたくもなったが、この状況でそんな真似をしたら確実に空気が読めない男と評価される。


 淳吾の心の悩みなど露知らず、相沢武はなおも話を続ける。


「内申書も酷かったらしい。彼に野球をやらせては駄目だってね。おかげで野球の有力校に入れなくなったけど、むしろ良かったと思ってる」


 野球に関する適正を激しく損なっていると広められてしまったため、強豪校を受験しようとしても、野球部に入部しないと誓うように強要された。


 拒否をすると、当然ごとく突っぱねられた。野球部の監督が相沢武の通う中学で有力者だったため、味方をしてくれる教員は誰もいなかったらしい。


「直接志望校に直談判してみなかったの?」


 話を聞いていた女子生徒のひとりが、頭に浮かんだばかりであろう疑問を率直に口にした。


「もちろん、やったよ。でも、教員の主張を信じるで終わったよ。不満があるなら、もっと話し合えとね」


 高校側の対応は無難なところだ。なにせ向こうには、どのような生徒なのかまるでわからない。となれば、どうしても教師を信じる方に傾く。


 相沢武の話を全面的に信じるかどうかはともかく、そんな教師がいるなんて、淳吾にはとても信じられなかった。


 とはいえ、あくまでも他人である相沢武の話。淳吾が何らかの被害を受けたわけではないので、必要以上に憤ったりはしない。


 だが話を聞いていた他の面々は「頑張って見返してやれ」だの、好き勝手に励まして相沢武を煽る。


「だからこそ、俺はこの高校を選んだ。弱小校なら、野球に関しての適正についても気にしないだろうと思ってね」


 しかし相沢武曰く、意気込んできたはいいものの、私立群雲学園に野球部は存在しないも同然だったのを入学後に知ったらしかった。


 そこで職員室へ事情を聞きに行き、説明を受けた相沢武は自らの力で野球部を盛り上げようと決意する。


「でも野球をするには、最低でも九人が必要だ。俺ひとりじゃどうにもならない」


「なるほど。だから部員を探しているのね」


「ああ。そうしたら、プロ野球選手並みのもの凄いスラッガーがいるというじゃないか!」


 ここで相沢武の目が爛々と輝く。確かに相手の立場になれば、強打者は喉から手が出るほどほしいはずだ。


「俺はあくまで投手だからな。四番を任せられる打者が、是が非でも必要だと思っていたところだ」


 そう言って相沢武が、再び握手をしようと手を伸ばしてきた。


 周囲の目は応じてやれよと強く言っているが、淳吾にその気はなかった。何故なら、相手の手を握り返せば、なし崩し的に野球部への入部が決まってしまうからだ。


   *


 どうやってこの場から逃げ出すべきか。そのことばかり考えている淳吾のもとに、もうひとりの来客が訪れる。


 淳吾のというより、正確には相沢武が目当てみたいだった。


「こんなところにいたのか」


 坊主頭の男子生徒が、ズカズカと教室に入ってきて、淳吾の側に立っていた相沢武に声をかけた。


「お、丁度いいから紹介するぜ。こいつは土原玲二。俺の相棒だ」


 得意気に親指を立てているが、淳吾には相沢武が何を言いたいのか、いまいち理解できていなかった。


 こちらの表情からそれを察したらしい男子生徒が、ため息混じりに「少しは落ち着いたらどうだ」と相沢武を注意する。


「何言ってんた。落ち着いてなんかいられるかよ。うちの四番を見つけたんだぜ!」


 諌められた効果もなく、相変わらず安定ぶりで相沢武はひとり興奮しまくっている。


 会話をしていた連中も何故か一緒に頷いており、淳吾ひとりがアウェーにいるような状態だった。


「そうなのか? その割には、戸惑ってるようにしか見えないけどな」


 そう言って相沢武に、土原玲二と紹介された男性生徒が淳吾に挨拶をしてきた。改めて自己紹介をし、握手を求めてくる。


 これには気軽に応じ、淳吾も自分の名前を告げたあと、これまでの経緯を大まかに教える。


 すると土原玲二と名乗った男子生徒はまたもやため息をつき、相沢武の頭を軽く叩いた。


「い、いきなり何をするんだ。頭が悪くなったら、どうするんだよ」


「むしろ逆に良くなるかもしれないから、俺に感謝をしろ」


「そ、そうなのか……って、騙されるかよ。俺だって、そこまでアホじゃねえよ」


「それは何よりだ」


 漫才みたいなやりとりをしたあとで、土原玲二が相沢武を押しのける。


 ひとりで騒いでいた野球部員の代わりに、淳吾と話をしようとしてるのがすぐにわかった。


「仮谷君は……野球が得意なのか?」


 断定ではなく、きちんと問いかけてくれる。ようやく話のわかる人間が出てきたと、淳吾は少しだけ安堵する。


 今度こそ誤解を解くんだと、口を開こうとした矢先に、今度は栗本加奈子が余計な発言をしてくれる。


「体育でも凄かったらしいし、中学時代も野球部にスカウトされたみたいだから、かなり得意みたいだよ。ね?」


 最後の同意を求めてくる「ね?」が半端じゃなく余計だった。どうしてくれるという心の怒りを女子にぶつけるわけにもいかず、淳吾は曖昧に笑ってみせる。


 一方の土原玲二は栗本加奈子の発言を受けて、興味ありげな視線を淳吾へ向けてくるようになった。


「そうなのか。俺は野球部で捕手をしているんだ。すでに聞いているかもしれないが、相沢は投手だ」


 潰れかけの野球部のバッテリーがこの教室に揃ったわけだが、別に何の感慨も湧いてこない。相沢武も土原玲二も、学園のスターでも何でもないからだ。


「俺も相沢も中学時代は不遇だったせいで、ほとんど試合に出られなかった。だから、群雲学園みたいなとこを選んだんだ」


「え? ってことは、二人は同じ中学なの?」


 今時の女子高生らしい口調で、栗本加奈子が土原玲二に質問する。


「いや、違う中学だ。たまたま同じ目的で知り合って、一緒に野球部で活動している。過去の話は、その時にしたんだ」


 土原は嫌な顔をしたりせず、丁寧に栗本へ説明した。


 納得した栗本加奈子を尻目に、土原玲二は改めて淳吾に向き直る。


「残念ながら野球部は人手不足だ。そこで少しでも経験のある生徒は、是が非でも欲しい。どうだろう、入部してくれないか?」


 単刀直入に問いかけてくる男子生徒へ、淳吾はすでに相沢武へしていた返事を繰り返す。


「悪いけど、断らせてもらうよ」


   *


 相沢武は素なのか、狙ったのかはわからないが、淳吾の言葉をまともにとりあってくれなかった。


 しかし今、目の前に立っている土原玲二は違う。真剣にこちらの返事を受け止めてくれる。


「仮谷君にも事情があるのは承知しているけど、なんとか考え直してもらえないだろうか。力になってくれる人間が、ひとりでも多く欲しいんだ」


 確かに相沢武や土原玲二の事情を考慮すれば、優秀な部員の確保は最優先事項になる。


 けれど淳吾はあくまでも素人。ここで恰好をつけて「任せておけ」と言ったところで、すぐに化けの皮が剥がれて、方々から文句を言われて軽蔑されるのは目に見えている。


 それならば多少評価を落としても、野球部に入るのを何かと理由付けて拒否するのが得策だと考えた。


 何と言われようが淳吾の目的は楽しいハイスクールライフであり、部活に所属して熱血する理由はない。


「何でだよ! 野球が上手かったら、やればいいじゃねえか!」


 掴みかからんばかりの勢いで迫ってこようとした相沢武を、土原玲二が片手で制止する。


 おかげで事なきを得た淳吾は、つくづく彼が来てくれてよかったと実感する。


「野球が上手かったら、必ず野球部に入らないといけない理由はないだろう。俺たちの希望を、一方的に押し付けるのはよくない」


「け、けどよ……せっかくの強打者だぜ。俺たち以外は、ほとんど素人なんだ。勝つ確率を少しでも上げるためには……」


 淳吾に迫ろうとはしなくなったが、まだ諦めきれないらしく、今度は野球部仲間の土原玲二に食ってかかる。


 当の土原玲二はまず相沢武の言い分を聞いたあとで、少し落ち着くようになだめる。


 相沢武を感情型とするのなら、土原玲二は分析型といった感じだ。冷静さを崩さずに、事態に対処しようとする。


「お前の言いたいこともわかる。けど、強引に勧誘して何になる。望んでもないのに無理やり野球をやらされて、お前は楽しいか?」


 痛いところを突かれたとばかりに、相沢武が口ごもる。感情優先の男も、的確に指摘されれば何も言えなくなる。


 だからといって冷静な人間が、すべてにおいて優秀なわけでもない。時として後先考えずに、感情のままに動く人間が大成功を収めるケースもある。


 淳吾の個人的な感想としては大成功もするが、大失敗もするのが感情型。大きな成功こそないものの、大きな失敗もなく、手堅く成功していけるのが分析型のような気がした。


 もっとも性格だけで成功できるかどうかわかれば、誰も人生に苦労はしない。血液型診断と一緒で、せいぜいが話の種になるくらいだ。真面目に信じすぎると、視野が狭くなる。


「相沢が失礼した。でも、俺たちは本気で君に――仮谷君に、仲間になってほしいと思ってる」


 再び淳吾に向き直った土原玲二は、どこまでも真っ直ぐにこちらを見てくる。下手に策を練って勧誘するより、情に訴えてストレートにいった方がよいと判断したのだろう。


 調子に乗りやすい淳吾の性格を考えると、もしかしたら逆効果かもしれない。魅惑的な餌を見せられてこそ、心を動かされるタイプだからだ。


 とはいえ、自分のそんな恥ずかしい内情を誰彼構わずに暴露したりしない。加えて何度も繰り返しているとおり、淳吾に野球の才能があるとは思えなかった。


「熱意は伝わったけど、俺は野球部に入るつもりはないよ。何度も断って、悪いね」


 周囲からの抗議の視線など、気にしてる場合ではなかった。嘘つき野郎呼ばわりされる悲惨な高校生活を避けるためには、野球部に所属しては駄目なのだ。


「そうか。それなら無理強いはしない。けど、せめて……練習を一度くらい見に来てくれないか」


「……考えておくよ」


「頼む。それじゃ、戻るぞ、相沢。俺はお前に話があるんだ」


 土原玲二と、相沢武が並んで教室から去って行く。これでようやく、昼休みの厄介な一件が終わってくれたと淳吾は安堵した。

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