第2話 それは残念だな

「ひとり暮らしだと、やっぱりアルバイトしないと生活できないの?」


 淳吾の机の上に置いてある弁当箱から、美味しそうな卵焼きを箸で取りつつ、栗本加奈子が質問してきた。


 栗本加奈子は今現在、淳吾の正面に座っている女生徒であり、第一印象の時点ですでにお喋り好きとわかるタイプだった。


 そんな栗本の声は自然と高くなる。集中して耳を済ませていなくとも同じ教室にいれば、何を話してるのか、わかるくらいの音量だ。


 注意するほどでもないし、他人に聞かれてマズい話をしているわけでもない。淳吾はとりたてて気にせずに、栗本加奈子との会話に応じる。


「うーん……そういうわけでもないけど、アルバイトをした方が金銭的に余裕はできるよね。それに、出会いもありそうだし」


「あれあれ。仮谷っちってば、意外と積極派?」


「だったらどうする?」


 基本的に調子に乗りやすい淳吾とお喋り好きな栗本加奈子は波長が合いやすいのか、まともに話をするのはほぼ初めてにもかかわらず、結構な盛り上がりになっていた。


 騒がしいではなく、楽しそうにしているので、自然と周囲から人も集まってくる。


「何の話をしてるの?」


「俺も混ぜてくれよ」


 男女問わずにたくさんの人間が集まり、気がつけば数人分の机をまとめて、円を描くような形でたくさんの人間が同時に昼食をとるようになった。


 昼休みのひと時だけとはいえ、堅苦しい授業から解放されているので、口数は全員が普段よりも増えていた。


 栗本加奈子も他の人間と会話を始めており、淳吾も名前を覚えていない女子から話しかけられる。


 中学時代も女子と会話をした経験はあるものの、あまりモテたりはしなかった。大勢の異性に囲まれる生活なんて、漫画やドラマの中にしか存在しない。


 そう思っていたのだが、好意の有無はどうあれ、現実に淳吾はたくさんの女子に囲まれている。


 こうなれば良いところを見せたいと思うのは必然で、無意識に口も滑らかになる。


「けど、体育の時の仮谷は、本当に凄かったぜ」


 一緒に昼食をとることになったのは女子だけではない。男子もそれなりに混ざっている。


 淳吾と同様に恰好をつけたがる感じで、皆と同じブレザーを着用してはいても、着こなしで周囲に差をつけようとしている。


 そういった人間がファッションリーダーみたいに評価されると、にわかに人気も急上昇する。


 できれば淳吾もお洒落な方々の仲間入りをしたいが、生憎と衣服に関してはさほど興味がなかった。


 小学生の頃から異性にわりと興味を持っていたが、どこをどうすれば人気がでるかなんて考えたこともなかったのだ。


 それでも幼い頃はスポーツができたりすれば、クラスの人気者になれた。お調子者も重宝がられた。


 状況が変わってくるのは、中学生になってからだ。友人たちの中で交際をする男女が現れ始め、やっかみをうける反面、大人だと一目を置かれる。


 大人にとっては些細なことでも、子供の世界では己の価値を高める重要な意味を持ったりする。


 淳吾も異性へ一生懸命にアピールし、時には勇気を振り絞って告白もしてみた。けれど結果はすべて玉砕。青春の苦い思い出として、脳に記憶されただけだった。


 気のある異性に袖にされるのは、誰もが経験することであり、淳吾だけが特別ではない。ゆえにそれを苦にして、わざわざ地元を離れたわけではない。私立群雲学園に入学したのは、単純に気に入ったからだ。


「そんなに凄かったんだ、仮谷君って」


 クラスメートの男子の言葉に、女子のひとりが反応する。高校でもスポーツが得意な男性というのは、それなりに評価してもらえるみたいだった。


 実際の淳吾は万能と呼べるほど、運動に秀でているわけではない。それでも「まあね」なんて言ってしまうあたりは、生来の性格に原因があるのだろう。


   *


「狙いすましたかのようなホームランだったぜ。女子が見てたら、大騒ぎだったね」


 誰かは知らないが、淳吾のホームランを自らの戦果のごとく自慢げに披露している。


 当の淳吾からすれば大げさすぎるくらいなのだが、数多くの異性からチヤホラされれば悪い気はしない。


 制服姿の女子数人が、シャンプーの香りを振りまきながら、淳吾に近づいて当時の状況を聞こうとする。


「別に普通だよ」


 しれっと言ってはみたが、クールを気取って恰好をつけようとしてるのが丸わかりだ。


 意識的にやっているわけでなく、女子を前にすると無意識にそうなってしまう。悪い癖だとわかっていても、直せないまま現在に至っている。


「でも、栗本さんと話してるのを聞いたけど、中学の時は陸上部だったんでしょう。どうして野球が得意なの?」


 得意なのではなくて、完全なマグレです。いっそ、そう言ってしまえば楽なのに、あえて淳吾は修羅の道を突き進む。


「特に野球の練習とかはしてないんだけどね。そういえば、中学の時もよく野球部に誘われたな」


 昔を懐かしむ風に呟いてみるが、実際のところ、野球部にスカウトされた経験などなかった。


 もし事実を知っている人間がいたとしても、中学に入学したての頃に、仲の良い友人から一緒にどうだと誘われたと言えば問題ない。


 多少卑怯な手段の気はしなくもないが、嘘は言ってない。事実、本当に地元の友人に誘われた記憶はある。もっとも、冗談半分ではあったが。


「それでも野球部には入らなくて、最後まで陸上部に所属してたんだ。どうして?」


 やたら人のことを知りたがる女子だなと思いつつも、異性に囲まれて質問攻めにあう機会などそうそうないので新鮮な気持ちになる。


 調子に乗りやすいタイプというのは、冷静に物事を考えた上での発言はあまりしない。とにかくその場の雰囲気で、頭に浮かんだばかりの言葉をポンと口にしてしまう。淳吾も、そうした人間のひとりだった。


「走るのが好きだからだよ。陸上ではたいした成績を残せなかったけど、俺は満足してるんだ」


「へえ~。私だったら、活躍できそうな野球部にすぐ移籍しちゃうけどな」


「仮谷っちは、アンタみたいな人間じゃないってことよ」


 他の旧友と会話してると思っていた栗本加奈子が、いつの間にか淳吾の近くへ戻ってきていた。


 すでに昼食は平らげたようで、弁当箱を自分のバッグの中へ戻すために、自分の席へ行こうとしてる最中だった。そのあとを先ほどまで淳吾と話していた女子が「なに、それ。酷いよ、加奈子」と追いかける。どうやら、あの二人は知り合いのようだった。


 これでボロ出さずに、落ち着いて昼食をとれるかと思いきや、今度は違う女子が淳吾に話しかけてくる。


「そんなに野球が上手なら、高校でもスカウトされるんじゃない?」


 それはマズいと淳吾が思っていると、大昼食会になったあと最初に野球の話題を提供した男子が「それはないだろ」と口を挟んできた。


「この学園に野球部はなかっただろ。だから、仮谷がその才能を発揮できる場所はないはずだ」


 言われてみれば、確かに私立群雲学園のパンフレットには野球部の情報がなかった。存在そのものがないのだから、載っているはずがない。今さらになって納得する。


 淳吾にとっては渡りに船だった。今回の話が大きな噂になって、強制的に野球部へ入らされる危険性がなくなるからだ。


「それは残念だな」


 気楽にそう言った淳吾だったが、次の瞬間、内心で大きく動揺する情報を会話中の女子生徒から与えられる。


   *


「え? あるらしいわよ。ほとんど活動してないみたいだけど」


「……それは残念だな」


 他の人間には聞こえない程度の音量で、淳吾は呟いた。本当なら「話が違う」と騒ぎたいところだが、そんな真似をすれば一瞬にして人気者の立場を失うのは間違いなかった。


 そもそもこうして男女問わず、たくさんの人間に囲まれている状況が、いつまでも続くと確約されているわけではない。下手な行動は破滅のもとだ。にもかかわらず、散々調子に乗った発言をしてきたのだから、自業自得と言われても仕方のない状況にある。


「ほとんど活動してなかったら駄目だろ。将来のプロ野球選手候補を、そんな部に所属させられないって」


 誰がプロ野球選手の候補だ。今度こそは、大声でツッコみを入れたくなった。曖昧に笑ってはいるが、淳吾の側にいる男子はかなりのトラブルメーカーな気がする。


 もっとも淳吾が、最初から毅然とした態度で誤解を解いていれば、該当の男子生徒もここまで調子に乗ったりはしなかっただろう。そのとおりだと踊る自業自得の四文字が、一段と濃密な苦笑いを浮かべさせる。


「でもさ。だからこそ、仮谷君の力で、甲子園出場とかなったら恰好良くない?」


 目の前にいる女子生徒も、瞳をキラキラさせて淳吾の顔を覗き込んでくる。


 危うく「任せておいてよ」なんて無責任な言動をしそうになったが、それだけはマズいと、本当にギリギリのところで堪えた。


「そんなに都合良くはいかないって。野球はチームスポーツだからね」


 プロ野球をテレビ観戦するのは好きだが、実際に自分がやるとなると話は別だ。それこそ、中学の体育の授業程度でしか経験していない。


 甲子園へ連れて行くどころか、当の淳吾が一番足手まといになる。プロ野球の試合をテレビで見てるとはいえ、一流選手の模倣をするだけで自分も上手くなれるのなら、厳しい練習は不要になる。


 どのようなスポーツであれ、結局は基礎が大事になる。そこに才能というスパイスが加わって、初めて一流への扉が開かれるのだ。


 さらにそこからも険しい道が延々と続く。そのことは重々承知しているのに、おだてられればその気になりそうになる。


 改めて自分自身の調子の良さに辟易するものの、また話題が変われば同じ展開を繰り返す。懲りないという言葉は、淳吾のために存在してるのではないかとさえ思えてくる。


「そうよね。聞いた話によれば、その野球部だって去年はなんとか大会に出場してたけど、実際は他の運動部からの助っ人だらけだったみたいだし」


「そうなんだ」


 何故こんなに事情通なのかは不明だが、哲郎の隣にいる女子生徒はやたらと野球部の内情に詳しかった。


「うん。しかも部員は三年生だけだったから、卒業した今、壊滅状態らしいよ。それでも今年の新入生が入りたがるかもしれないからって、今年まで特例で残したみたいなの」


 野球に興味がなければどうしようもないが、話を聞く分には魅力的な部活な気がする。理由は、他に部員がいないからだ。


 部活動にとって一番大変な人間関係の中でも、もっとも苦労する上下関係を気にしなくていい分だけ、精神的な負担は軽くなる。


 だからといって淳吾には所属するつもりもないので、女生徒の話を他人事のように聞いている。


 自分は部活ではなく、アルバイトに精を出すつもりだから関係ない。そしてできれば、今日みたいにたくさんの女の子と話をして、ゆくゆくは彼女を作る。


 バラ色の高校生活を送るためのシミュレーションでもしてみようかと考えた矢先、まだ昼休み中の教室のドアが勢いよく開かれた。


 ひとりの男子生徒が廊下から教室に入ってきて、誰かを探すように視線を右に左に繰り返し移動させる。


 そして淳吾と目が合うなり、口端を吊り上げて、真っ直ぐにこちらへ歩いてきた。

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