罪と救済の狭間にて
彼は迷わずこちらに向かってくる。
「クラウスじゃないか、生きてたのか!」
何も言わずに歩いてくる。
鼻頭に何かが飛んできて、私の体は弾き飛ばされた。顔が酷く熱い。鼻を抑えると、粘ついた、熱い液体がへばり付く。
「臆病者め、逃げるだけでも飽き足らず虜囚となったか!」
電流が私を突き抜ける。私は、アントンを裏切ったから、彼が私にくれた物を全て投げ出して逃げたから、期待を裏切ったから。そんな臆病者の私は、クラウスに罰せられるべきだった。
「私は……」
「お前が何であろうと関係無い。確かなのは命令に背いた事だ。お前が逃げたせいでクルトは……」
死んだのか。彼は私より少し幼く、そして私と同じ新兵だった。彼は戦い、私は戦わなかった。彼は死んで、私はほぼ無傷でここに居る。私が居れば、彼は死ななかったのだろうか?私が逃げたから、彼は死んだのだろうか?
だとしたら、それは私のせいだ。私のせいで彼は死んで、そして原因である私はこの監獄でのうのうと"日常"を過ごそうとしていたのだ。私は、どうすれば良かった?私はどうすれば良い?
誰も答えない。誰も言葉を交わさない。チリチリと、雑音が酷く行き交い、私はただ一人取り残されて。
「よせ、クラウス。お前は少し気が強すぎる。もう少し優しくしてやれないのか?」
世界に色が戻ってくる。
「ヨハン、前から思っていたが、お前は少し甘すぎる。ザシャがやった事は許される事では無いし、クルツの件もある。むしろこれくらいで泣き言を言われては困る位だ。」
「確かにそうかもしれないが…… まあいい。少し経てばほとぼりも冷めるだろう。ザシャ、お前は確かに逃げてしまったかもしれないが、それもひとつの判断だった。気に病む事は無い。」
私は、何一つ答えられなかった。私は私自身に罰を与える事も、赦しを与える事も出来なかった。臆病者は臆病者らしく朽ちていくだけだ。
「まぁいい。お前もここで少し頭を冷やすと良いよ。ただ、これだけは覚えておいてくれ。俺も、クラウスも、アントンやクルトを失った事はお前よりも辛いんだ。特にアントンとは長年つるんできたからな。」
二人が去っていく。錆びた鉄の臭いを感じながら、その中で私はただ棒のように立っているだけだった。
「もう何も分からないよ。」
ただ、医務室にガーゼを取りに行こう。それ以外に何もする事は無いのだから。酷く重い体を引きずって、ゆっくりと歩いていく。
そんな事があっても、私達がする事は変わらない。怪我人だって、作業時間は減らされないし、優しくされる事だって有りやしない。
監視の兵士はいつも通り雑談らしいものを交わしたりして、適度にサボりつつもある程度はこちらを見張っている。
それでも、いつもと雰囲気が違う。なぜだか誰かに見つめられているような、そんな感じがする。と、誰かの肩がぶつかって来た。肩がぶつかったのなら謝らなければならないだろう。謝罪の言葉を口に出そうとした。だが、それより先に彼はこう言った。
「臆病者め。逃げて自分から捕虜になったらしいな。そんなに命が惜しかったのか?」
どうやら、クラウスとの一件で、私の事が知られたようだ。私だって、自分でも臆病だって分かっているのに、どうしてこんなにも責め立てるんだ。周りからは悪意が込められた視線が突き刺さり、私を蝕んでいく。
私だって自分を変えたいのに。変えられないからこそこうやって、日常を享受しようとしていたのに。どうして私の日常を壊そうとするんだ?
「ふん、言い返す気力も無いとはな!貴様のような腑抜けなど軍だって不要だっただろうよ。」
ああ、私は要らないのか。臆病者など不要だと言うのか。なら、せめて放っておいて欲しいのに。私は私の殻に閉じこもっていたいのに。平穏に過ごしていたいのに。
日常が壊れていくとしても、私はその壊れかけた日常の中で暮らしていくだけだ。だってそれのどこが問題なのだろうか?何もせず、平凡の中に生きて、腐り落ちて終わる。ごく普通の人間じゃないか。
彼らの言う臆病者に相応しい姿だろ?だから、もう、今日も眠ってしまおう。眠ればきっと全て忘れてしまえるから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます