ただ一歩でも
体に2本の鎖が絡みついている。鎖は私を雁字搦めにして、決して離そうとしない。目の前には鎖を切れと言わんばかりにナイフが置かれている。
左の鎖を切ろうとすると、痛みが走ってナイフを落としてしまう。右の鎖を切ろうとしても、同じように痛みにより落としてしまう。何度試しても、何度試しても、鎖は傷一つ無く
重い瞼をこじ開け、ゆっくりと体を起こす。……この監獄に来てから、変な夢ばかり見る。私は確かに間違っていたかもしれないが、夢にまで責められるいわれは無いだろう?
「だから、もう許してくれ。私を許してくれないか?」
ここには誰も、私の言葉に気づいてくれる人は居ない。ここにはただ静寂のみがあった。窓の外を見ても、日はまだ登っていない。私はただ、ぼうっとしながら日が昇るのを待ち続けた。
世界の端からゆっくりと光が漏れ出して、灰色の空が青色へと起きかわっていく。朝になれば、看守がやって来て牢の鍵を開けていく。
一番端の牢に右端の鍵を使い、その次の牢にその次の鍵を使い、17番目の私の牢に右から17番目の鍵を使って解錠する。
「ほら、点呼だ。さっさと行け!それとも死にたいのか?」
当然死にたくないに決まっているだろう。皆、何も言わずに歩いていく。そうやって点呼を受けて、朝食を取って、それからちょっとして、また今日の作業へと励んでいく。
「なあ?」
……無視しよう。どうせ昨日の奴らと同じような事をして来るのだろう?だったら構うだけ無駄だ。早く通り過ぎてしまおう。
「なあ、無視するなよ。お前を他の奴らと同じように責めたいわけじゃあ無いんだ。お前がああも目立ってたからな。なんであんな事になったのか知りたいって好奇心とか、人生の先輩からの助言とか、そんな感じだ。この年寄りの話を少し聞いていけ」
「……分かった」
信用した訳じゃない。だが、聞いてみる価値はあるだろう。この人は、なんと言うか、アントンに似ている。親鳥が雛を見つめるような、それに似た雰囲気があって、話しているとなぜか安心してしまう。
私は道具を置いて彼に着いていく。……初めて作業をサボる事になるな。あれだけ日常を好んでいたのに、こうも容易く捨てられるなんて。そうする程の価値が有ったのだろうか?
不思議と、彼の話を聞くことで何かが変わると確信出来る。これを逃せば取り返しのつかない事が起きるだろうとも。こんな気分は始めてだ。
しばらく歩いて物置に着いて、ようやく腰を下ろす。
「それじゃあお前さん、まずはどんな事があったか教えてもらおうか。」
「私は、逃げたんですよ。私の敬愛する人が、無惨に死んでいて、それで恐ろしくなったんです。そして、結局何も出来ずに捕虜になりました。皆に軽蔑されても当然でしょうね。」
自分でも、公開しているのだ。私が残っていればクルトだって生きていられたかもしれないし、部隊揃ってこんな所に押し込められる事にはならなかったかもしれないから。
それでも私はその過ちから目を背けていたのかもしれない。日常だの何だのと誤魔化したって、何も変わらないだろうに。
「ああ、そりゃあこうなるよな。戦場では親友が死ぬとか、そういう事はありふれた事だからな。俺も昔はそうやって逃げ出す奴は大嫌いだったから、いちいち突っかかって酷く責め立てていたよ。まあ、今ではそういう奴の気持ちも理解できるがな。」
ありふれた事だったとしても、あんな事に耐えられる訳が無いじゃないか。少し前まで話し合っていた人が物言わぬ骸になるなんて。
「私は、どうすれば良いんでしょうか?」
私は私の事が分からない。恐怖や絶望に振り回されて、今何を考え、何を成すべきかすら分からない。
「お前のこの先の事なんて俺にだって分からないさ。ただ、大切な事は立ち止まらない事だ。辛い事から逃げ出すのはそう悪い事じゃない。ただ、いつかはそれに立ち向かわなければいけない時が来るさ。学んで、考えて、悩んで、常に前へと進まなきゃいけないのさ。」
私は、もしかしたら、足踏みし続けていたのかもしれない。この問題から解き放たれたくて、それでも足を踏み出すのを躊躇して、だから自分自身を誤魔化す為に足踏みを続けていたんだろう。
「……そうですか。ありがとうございます。少しスッキリしました。」
だから、一歩だけでも前へと進まなければいけないだろう。私の為だけでなく、アントンの死を無駄にしない為にも。
それからしばらく彼と話をして、何事も無かったかのように作業に取り掛かる。これが終われば、ヨハンとクラウスに会って話をしなければな。クラウスは怒りを露わにしていたし、ヨハンもああ言ってはくれたが、きっと良くは思っていないだろう。
彼らと話をしなければ、きっと私は前に進めないまま終わってしまうだろうから。この胸の中にある罪悪感を背負ったまま眠りについてしまうだろうから。
作業が終わり、ヨハンの元へと歩いていく。
帰り際、ふと見張りの顔を見ると、なぜだか思い詰めたような顔をしていた。
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