TFTC!

湫川 仰角

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 映画や漫画や小説の舞台に見知った場所が出てきたとして、その場所を知る人は何を思うだろう。その場所を通り過ぎる度、あるいはそこに在る物を見る度、その物語を頭に思い浮かべるだろうか。それが、一見ゴミにしか見えない物であったとしても。


 東所沢公園には滑り台が二つある。

 一つはカラフルに彩られた樹脂製の新しいもので、子供たちが親に見守られながら滑り下りることに使う。

 もう一つは園内の舗装路を挟んで反対側。鋼材で作られた一本足の滑り台で、塗装は剥げ触ると錆の匂いが手に移る。滑り下りることにもたまに使われるが、少なくとも今はそうではない。6段しかない階段の裏側を、少年が食い入るように覗き込んでいるからだ。


「あった、絶対これだ!」

 中学2年生の田山勇太は、日に焼けたうなじを晒して喜びの声を上げた。

「翔、これだよこれ。磁石で階段裏にくっつけられてた」

 勇太は近くの東屋で本を読んでいた同級生、一ノ瀬翔に駆け寄った。

「ほら」と差し出した手には、泥と錆にまみれたミントタブレットの白いケースが一つ握られていた。

「うわ、汚っ」

 顔を仰け反らせて避ける翔は、勇太とは正反対の反応だ。だが、この小汚いケースの存在が、慣れ親しんだ公園が見せる初めての一面だということに少なからぬ高揚があった。


「開けるぞ」

「うん」

 ケースの中には、小さく折り畳まれた紙が一枚、ビニール袋に包まれ入っていた。広げた紙は20センチほどの細長いものであり、罫線で区切られた紙面の一行一行に小さな字で日付とサインが書き連ねられていた。

「……これが?」

 翔は一抹の不安を抱きながら、確かめるように聞いた。

「この紙がログシート。キャッシュを見つけた人が見つけた日と名前を書いていくんだよ」

 翔の不安をよそに、勇太は紙面の最下段に名前と日付、それから小さくTFTCと書き加えた。

「それでどうするの?」

「見つけて、見つけた証拠を書き残して、また隠す。それだけ」

 ログシートを仕舞い直し、ケースを階段裏へ元通りに戻した勇太は、まるで一つの偉業を成し遂げたかのように誇らしげだった。

「これがジオキャッシングってやつさ」

「……帰って本読んでいい?」

 大きな期待はずれ感と共に翔の興味は急速に薄れ、視線は再び手元の本に戻っていった。



「ジオキャッシング?」

 クラス替えを伴う2年生への昇級直後。新たな友達を作ろうともせず一人で本を読んでいた翔は、いきなり話しかけてきた勇太を訝しげに見た。


「スマホを使った宝探しゲームのことでさ、世界中のプレイヤーが隠したキャッシュっていう宝物を探すんだ。人の行ける場所全部が舞台で、地球上に300万個もあるらしいんだ、すごいだろ?」

「すごいね。それで?」

「日本にもキャッシュは何万個もあって。で、それをスマホのマップ見ながら探していくんだけど……」

 要は、スマートフォンを使いたいのだと翔は理解する。

「自分の買ってもらいなよ」

「高校からって言われたんだよ。頼む、一緒にやろうぜ!」

「僕はいい、本読んでるから」

 聞く耳を持たない様子の翔だが、勇太は食い下がった。


「それ、何の本?」

「……親から勧められたやつ」

「うわ、親に本とか渡されんの。どんなやつ?」

「昔のやつ」

「ふーん。俺も昔の本読んだことあるぜ」

「……何」

「なんか、見たまえって何回も言うやつ」

「何それ」

「名前は忘れちった。とにかく、近くの公園を一回探すだけでいいから!」

 それから懇願は一日中続き、ついに根負けした翔は近所のキャッシュ探しに付き合うことになったのだった。



 そうして見つけたのが、薄汚れた白いケースと紙切れである。

 宝物と見立てたキャッシュがゴミ同然だったのだから、落胆も仕方がない。一方、キャッシュを巡る世界規模のゲームに勇太はすっかり魅了された。一回だけのはずが、翔は毎週の様に勇太に連れ出された。

 ある週には、秋津駅から柳瀬川沿いに清瀬市をなぞり新座のインターチェンジまで、点在するキャッシュ7個を見つけ出した。その翌週、クラフト飛行機を空高く飛ばす大人たちを尻目に、航空公園内のキャッシュ16個を探し出した。そのさらに翌週、関越自動車道と川越街道を東西に横断して置かれたキャッシュ36個、その全てにTFTCの言葉とともにサインを残した。

 ガードレール裏、看板の死角、木の洞の中。どのキャッシュも、勇太や翔が普段通り過ぎていた場所に隠されていた。



 日が暮れた頃、ようやく帰ってきた翔の泥に汚れた姿を見て、母親はため息をついた。

「また勇太くんと遊んだの?」

「うん」

「遊びもいいけど勉強して。この前渡した本もまだ読み終わってないでしょ」

「今読んでるところ」

 翔はそれだけ言うと、家の中へ入った。


「親が勉強しろってうるさくて」

 これで少しは頻度が減ると思われたが、勇太はすかさず答えた。

「じゃあ次は、勉強っぽい所に行くか」

「どこ?」

「東大」

 今週末は東京大学に行くと恐る恐る言うと、翔の母親は少し嬉しいような顔をして、すんなり許してくれた。


 本郷三丁目駅。初めて聞く駅、初めて降りる土地に、二人は緊張した。

 駅から並木道を北へ歩くと、やがて右手に大きな赤い門が現れた。

「赤門って本当に赤いんだな」

「勝手に入っていいの?」

「大丈夫だろ。キャッシュもあるし」

 照りつける陽射しを背中に受け、マップを確認しながら敷地を進むと、大きな池が現れた。池の向こう側は高い崖で、その後ろには赤煉瓦の建物が見えた。

「あ……」

 その光景を見たとき、翔は不意に気づいた。

「ここ、今読んでる小説に出てくる場所だ」

 母から勧められた本、文豪が綴った一人の青年の物語だ。

「ふーん、綺麗な場所だもんな」

「ここにもキャッシュがあるんだね」

「小説が書かれた時にはなかっただろうけどな」

 木立と水面のさざめきの中、二人はしばらく池を眺めていた。


 帰り道、翔が新宿御苑に行きたいと言いだした。行ってみると、園内入り口のキャッシュはすぐに見つかったが、翔は庭園に佇む東屋に感動していた。

「ただの休憩場所になんでこんなに人いるの?」

「みんな感動したんだよ、きっと」

 翔が何を見てそう言っているのか、勇太にはわからなかった。


「なんか、ずるいな」

 不意に勇太が呟いた。

「同じものを見てるのに、見えてるものが全然違う」

「その場所が出る話を知ってるだけだよ」

「悔しいから、次は俺が知ってる話の場所に行く」

「どこ?」

「八国山」


 西武園駅。そこにはトトロの森のモデルとなった山があり、林道を30分程進んだ先に一つだけキャッシュがあった。

「なぁ翔」

 登りの林道を進みながら、勇太が語りかけた。

「小説とか映画って面白い?」

「面白いよ」

「どんなところが?」

「いろんな物に話があるところが面白い」

「仲の良い友達が引っ越す話はある?」

「わかんないけど、たぶんある」

「二人が水面を眺める話は?」

「どうかな、ありそうだけど」

「知らないだけで、きっとあるんだろうな」

「キャッシュみたいだ」

 

 二人がキャッシュを見つけた頃には、日が暮れ、翔のスマートフォンもバッテリーが切れていた。


「こんなに汚して! また田山君と遊びに行ったの?」

 連絡なく遅く帰った翔は厳しく叱られた。道端のキャッシュを探していたと説明すると「そんな汚いもの触らないで!」と一喝された。

「しばらく田山くんとは遊ばないように、向こうのご両親に言っておくからね!」


 しかし、母親の言いつけを守る前に、二人の宝探しは勇太の引越しによって終わることになる。



 勇太が引っ越す前日。二人は滝の城址公園に来た。

「所沢に城があったなんて知らなかった」

「この先は神社だけどな。ここは小説の舞台になってないの?」

「知らない、なってないんじゃないかな」

「そっか。よっし、着いた」

 高台に建てられた神社からは、雲ひとつない空の下に広がる平野が一望できた。眼下には柳瀬川が流れ、その上を武蔵野線が西から東へ横切っていく。視線の先、地平線と混じり合う遥か先に、東大も新宿も見えるようだった。

「この景色に数え切れないくらいのキャッシュが隠れてるって、すごいよな」

「うん」

「この辺は昔、何もない野原だったらしいぜ」

「そうなの?」

「昔読んだ本に書いてあった気がする。ススキとかばっかりだったって」

「今からじゃ想像もつかないね」


 風が強く吹いた。

 木々のざわめきと川のせせらぎが混じり合い、武蔵野線が東から西へ走り去っていく。

 その時、翔の目の前にススキ野原が広がった気がした。それはどこまでも広大で、果てがないほど何もない。それはとても美しい光景だけれど、人はいなかった。

「でもそれだと、キャッシュの隠し甲斐がないね」

「そうだな」

 何もない場所にキャッシュを隠しても、誰も探さないし、誰も驚かない。野原にポンと置くだけでは、キャッシュは宝にならない。

 たくさんの人が行き交い、多くの人が見慣れて素通りする場所だからこそ価値がある。多くの物が溢れる場所で何かを探すことが宝探しなのだから。

「勇太、TFTCってどういう意味?」

「……知らずに書いてたのかよ」

「勇太のサインなのかと」

「違うよ、あれはな……」



 そうして勇太は知らない場所へと引っ越した。

 十数年がたち、翔は中学を卒業し、高校生になった。大学に入学し、就職し、会社員になり、やがて翔も地元を離れた。

 縁も所縁もない土地を歩いていると、ふと、キャッシュの存在が頭を過ぎることがある。

 あの薄汚れた宝物は、その隠し場所を知らないだけできっとこの土地にもあるに違いない。物語の舞台のように、誰かがそこに作っているはずだ。


 人がいる限り、キャッシュは残る。物語は出尽くすことも、色褪せることもない。それどころか、どんどん増えていくはずだ。

 誰かがどこかに、キャッシュを潜ませるだろう。誰かがどこかを舞台に、物語を紡ぐだろう。

 この世界は宝物に満ちている。

 そう思い至る度に、翔は勇太に教えられた言葉を思い出す。

 Thanks For The Cache、と。

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