糸の震え

【本編情報】


『糸の震え』

――全ては偽りかもしれぬ。全てが幻かもしれぬ。

https://kakuyomu.jp/works/1177354055466343578

第三回こむら川小説大賞参加作品。


異世界ファンタジー

12,998文字



   *   *   *   *   *   *



 新規書き下ろし、テーマ『空』、3000~13000字、完結済、というレギュレーションで2020年12月21日~2021年1月23日に開催された自主企画『第三回こむら川小説大賞』のために書いた作品です。

(自主企画ページ: https://kakuyomu.jp/user_events/1177354055349935844




◆お題「空」


 「空」というお題の難しさは、「結局のところどんな物語も空の下で起こっているのでは(何らかの設定のあるファンタジー除く)」とか「空を含んだ『手垢のついたフレーズ』が案外多くて使いにくい」とかの部分かなー、と思います。それだけに、お題を織り込む手並みの面白さがありますね。面白いというのも人の作品を見てるときの感情であり、自作を書く前にはだいぶのたうち回りましたが……。

 ともあれ、真っ直ぐにSKY自体を舞台とするか、主要登場人物の間で空を含む何かが特別な意味を持っているか、空をソラではなくカラの方に捉えてカラの何かを描くか。私は「むなしい」「くう」の方に振ってみましたが、「く」「く」「うつろ」とも読めるのでまだまだやれることはありそう。「うろ」でホラー書くとかできそうな気がしますし。


 今回、テーマを見て最初に意識に上がってきたのが「空即是色」でした。でもそれを表す物語を書くのはハードル高いじゃん、と思いボツに。でも最終的には近いものをやろうと試みてるので直感は大事っぽいです。

 で、「空即是色」の次に上がったのが、

「Vanitas vanitatum omnia vanitas(空の空、空の空、すべては空しい)」

というフレーズでした。旧約聖書のコヘレトの言葉だそうですが、私は旧約を読んでこれを覚えたわけではありませんでした。美術館に象徴派展の講演を聞きに行ったときに「なんか厨二ソウルに刺さってくるやつ」として記憶したものです。そうです、基本的に展覧会も講演もすべてネタ元と考えております。

 vanitasとは人生の空しさをあらわす静物画のジャンル名で、豊かさや生の盛りの象徴である花や楽器などとともに死の象徴である頭蓋骨、時計、腐りゆく果物などが一緒に描かれます。メメント・モリ的な考えであり、ペスト禍の衝撃に端を発するともいう「死の舞踏」寓話と相通ずるものがあります。

 講演では、「モチーフが何らかの意味を象徴している絵」の一例としてvanitas絵画が取り上げられ、この骸骨は避けられない死の運命をあらわす、時計は人生の短さをあらわす、貝殻は突然割れて消えるしゃぼん玉の石鹸液を入れるもので突然の死をあらわす、など描かれたモノがそれぞれに象徴している意味が紹介されました。

 展覧会のメインテーマであった象徴主義サンボリスムは19世紀後半のフランスやベルギーなどで起きた運動なのですが、vanitas絵画は16~17世紀に今のベルギーやオランダにかかる地域でよく描かれた画題でした。象徴主義サンボリスム絵画以前から、枯れ葉なり糸杉なり「描かれたモノ」は多くの場合何かを象徴していて、見る者もその一種の暗号コードを分かっていて絵の意味を読み解くのはある程度当然のことだった、というような話だったかと思います。


 で。

 空の空、空の空、すべては空しい。

 今回、お題にも合ってるしちょっとかっこいいんでこれで書けたらいいかな、と思いました。

 それで何でインド神話風世界観に接続したのか覚えていないんですが、おぼろげな記憶によるとサンティという名前が先に決まり、やなやつだということがすぐ決まり、旅している姿が西洋風でもなければ和風でもなかったんですよね。砂漠だったし。砂漠。どこ?(急な砂漠でした。鍋島名物「急なやつ」です)




◆世界観とネーミング


 いや、それで何でインド神話風世界観に接続したのかって話ですよね。

 ブラウザ履歴からいうと、ヴァニタス→死の舞踏→死の勝利→空(仏教)→ガンダルヴァ、と急にガンダルヴァに到達している。

 考えられるのはWikipedia「空(仏教)」のページに出ている大品般若経の引用と註ですかね。


――諸法は幻の如く、焔(陽炎)の如く、水中の月の如く、虚空の如く、響の如く、ガンダルヴァの城[注釈 3]の如く、夢の如く、影の如く、鏡中の像の如く、化(変化)の如し


となっていて、注釈3をみると、


――音楽神であるガンダルヴァが幻術で作り出す城で、蜃気楼のこと


とある。

 このへんが私の心にギュインときた可能性が高いです。蜃気楼いいよね! 城が蜃気楼いいっすね!


 とにかくガンダルヴァ。乾闥婆です。

 乾闥婆といえばけんだっおうです!

 『カラヴィンカの祝福』のときも言いましたね、私はいにしえのCLAMPオタクだと。『聖伝』で覚えたインド神話と仏教系の名前は迦陵頻伽カラヴィンカだけではないのだよ。ウルトラロングストレート黒髪おねえさん楽師にして謎のヴェールに包まれていた東の武神将こくてん、そんなことよりクソデカ感情百合があのたいしゃくてんにも認められた(多分)超大物だよ! 私の性癖はめちゃくちゃにされたんだよ。はいここまで一息です。


 ただ、一般には乾闥婆ガンダルヴァは男の方が多そうなのですね。「女のガンダルヴァもいる」みたいな感じらしいです。今回は何で女にしなかったかというとやっぱ聖伝のけんだっぱちゃん様のイメージが強すぎて尊いのと、あと、なんとなくです。多分。記憶ないんで!

 ともあれ乾闥婆は楽師であって香をもとめる。てことで香が登場したと思われます。「沈香」などをググった形跡がありますが結局ただの「香」となり、そのかわり読みがアグルとなりました。これは沈香の説明でサンスクリット語を拾ったんですね。もう語感揃えた方がよさそうだから他のネーミングもサンスクリット単語のページ参照しよ! となり色々検索しました。

 以下、参考にした語を分かる範囲でメモりますね。


[サンスクリット単語アルファベット表記:意味(一部)……この語を下敷きに使った作中名詞]

gandharva-:ガンダルヴァ(太陽と関係のある守護神、天上の音楽師)。(仏教)乾闥婆……乾闥婆ガンダルヴァ、そのまま。

aguru-:沈香じんこう……アグル

akṣan-:目、眼……城に住み砂漠を巡回する鳥、千目鳥アクシャ

rahasya:秘密……城に住む少女、秘密ラハシャ

dhairya-:堅固、確固不動、心変わりしないこと……乾闥婆ガンダルヴァ不動デリヤ

para-:次の、遠い、他の、後の、最後の、最上の……城に住み不動デリヤ秘密ラハシャに仕える大きな鳥、遠見鳥パルラ

nīla-:青い……青眼の少女、ナイラ。ナイル川の「ナイル」もこの語にルーツを持つ説があるようです。

saṃsāra-:輪廻……輪廻サンサーラ、そのまま。


 それぞれ参考にしつつも音は「近い」程度で変えてあり、文法や品詞の様子も分かっていませんので変な当て語になってる可能性はあるのですが、偉いもので実在する言語からの借用に統一すると何となく語感が揃うのは面白いですね。自分で作るより揃う。これが長い時間に磨かれた言語の味というものだなと思います。




◆空中庭園


 何人も辿り着けぬ蜃気楼の孤城、石造りの壮麗なその城の奥高く、築かれた空中庭園にとざされて誰かの帰りを待つ手負いの少女。これがファーストインプレッションでしたので、そのまま行きました。

 高いところで空が開けているので、乾闥婆ガンダルヴァ自身も空からダイレクトアクセスしますし、何ならこの乾闥婆城には門も扉も無いかもしれない。陽炎の城ですから人を迎える気がそもそも無いのではないか、と思います。そのかわり、当然鳥たちはいるものと最初から考えました。乾闥婆ガンダルヴァが鳥の要素を持つ神ですので、眷属はやはり鳥でしょう、と思って千目鳥アクシャ遠見鳥パルラを設定しました。

 また当初、城には他の乾闥婆ガンダルヴァたちも住んでいる想定でしたが、書き進めるうちにその辺りの描写は一切なしでもいいな、と思って削りました。世界の構造から言えば、結局のところ不動デリヤしかいない可能性もあります。




◆ストーリー


 例によって何ら計画のないまま「そうだvanitasで書き始めよう」だけでスタートし、乾闥婆ガンダルヴァに辿り着いたことから何となく古代インド神話風のアレになってはいったものの、当初ストーリー想定は特に無かったのでした。不遇少女が保護されてるということ以外は。酷いですね。真似しないでください。

 永遠の命をもたらすアグルを求めて人々がチャレンジする死の砂漠! みたいな感じにはなりましたが、「えっ、それで……?」と思いながらこう、書いては消し、書いては消し、かれこれ5000字は虚空に消えていったのではないだろうか……。


 ぐねぐねと書きながら、最終的には一人一章みたいな感じになっていくのですが、まあサンティ・従者・王子・僧侶はひとしく脇役です。

 ナイラがどうやって死に、何を望んだか、というところを書くまでにだいぶ時間がかかりました。

 それも不動デリヤが喋り出すまで話の外形が定まっていなかったんですが、


「今は俺の眷属だ。死に際の夢に命のアグルと救いを求め、無我に戻れず輪廻サンサーラからこぼれ落ちたので拾い上げた」


 この台詞一本で世界の形がつきました。

 どういうことかというと、「今は俺の眷属だ」と書いた段階でまだ何も決まっていなくて、ここでどう話をさせようかその次の言葉が出るまで少し時間が掛かったんです。

 だってこの子死んだのでしょう? それが何でここにいるのだろう? と考え考えしているうちに、「死に際の夢に」という続きが出てきた。

 で? 夢と乾闥婆ガンダルヴァに何の関係があるの? 蜃気楼と夢の近縁性、まぼろし? そうかもしれない。乾闥婆ガンダルヴァナイラの夢をのかも。

輪廻サンサーラからこぼれ落ちたので拾い上げた」

 神だからね。そんなこともあろうか。

 あるか?

 そんな、輪廻から外れるなどと、世界のことわりに外れることがあるか? てか急に出たな輪廻サンサーラ。これはどっかで覚えていた言葉で急に使いたくなったし、ちょうどサンスクリットだし、まあいいんじゃないでしょうか?

 などど思っているうち、不動デリヤが続けて喋ったのですね。


――輪廻サンサーラの糸からちたナイラが助けを求め、俺が生まれたのだ。


 。多分これでこの世界のことわりがはっきりしました。この乾闥婆ガンダルヴァは本当にナイラのために生まれたのです。

 そして、輪廻サンサーラの輪を外れたとか道に迷ったとかではなくて、糸から墜ちた、と書いた理由は今もって分からないのですが、とにかくここで「輪廻サンサーラの糸」が突然像を結んできました。いや正直突然の糸でしょ。突然の砂漠に続き突然の糸。糸かよ。糸て。

 それで、天地の果てまで塗り込めたような真っ黒の虚空に渡された一本の糸と、そこを歩いていく少女が見えました。

 歩いて、そして、墜ちる。

 その時、糸は弾かれて、振動する。

 びやん、と鳴るだろうなと思います。あまり大きな音ではなく。糸がはるかに長いので振動も粗くやや長く続き、そしてまたおさまる、そこまで減衰していく音、空気の震え、糸の震え。

 『糸の震え』。

 そのほんの短い時間だけの何か。

 刹那。

 この世が砂に砕けるまでの長い長い一瞬。

 の、夢の物語か、これは。

 蜃気楼を統べる楽師ともモチーフ的に噛み合うし、そうか、と思いました。

 あらやだなんか、うまいこと整頓できたんじゃなくって? わかんねーけど。


 で最後をどうしようかなと書いてて、「この蜃気楼世界がいつか終わるんだろうなあ」と思って、急に(急に三回目)銀の翼と忘却のことを設定つけて書いて、それで、


 それで最後急に(急に四回目)空海ブチ込むことあります?????


 いやさすがに少しは躊躇した。しました。ほんとだよ。さすがに。話は仏教モチーフぽくなってきてたから空海まあいいけど出発点が旧約聖書じゃん。これ宗教的に非常にやばい所業なのではないですか? 私は仏教からも「アホか」と言われカトリックキリスト教からも「千切るぞ」と言われることになるのでは?

 と思ったんですけど言われたところで別に困んねーよな! と気づいたのでそのままやりました。どちらかというと両方の言葉の表層部分で合わせてしまったところがあるので原典を理解してる人が読んだらヒッドいのかもな、という点だけ心配ですが私の理解を越えてるため無理です。分からないことは気付けないです。ごめんねでも百年経ったら多分みんな死んでるわけだしこのくらいのこと別によくない?


――生生生うまれうまれうまれうまれて暗生始せいのはじめにくらく

――死死死しにしにしにしんで冥死終しのおわりにくらし


 反復がリズムを生むので歌っぽいよなーと思って捨てがたかったからしょうがないです。

 あと読み下し文のかたちにしないで漢文調のままとしたのは、そもそもこの『糸の震え』の世界が日本語圏ではないので、乾闥婆ガンダルヴァは日本語で歌わないので。一度読み下し文で書いたのですがなんか、嘘くさかったんですよね。少し翻訳みがある今の形の方がしっくり来ました。

 あとは、物語の冒頭の言葉がラストにも来るの好きなんでvanitasの反復をかけて、もう一行つけて、おしまい。



 あとメインキャラの話ちょっとだけ!



秘密ラハシャナイラ


 学のない奴隷の子なので仏の教えなんぞ知りません。人は死して輪廻するということも多分知らなかったでしょう。たった一度のこの空虚な、苦しみ痛み寂しさ報われなさの沼に沈められたような生、何も受けとることがない空っぽの生、と思うからこそ最期の時に強く深く嘆いた。

 母親が西方の鬼人族、というのはコーカソイドの混血を想定しています。通常青い眼と茶の眼では茶のほうが優勢に出るのでしょうが、まあ確率だからね。青かったということです。おそらく顔立ちや肌、髪の色・質も、周囲の人の多くとは何か違ったかもしれない。コミュニティの中の卑しい鬼子です。

 いまは不動デリヤと鳥たちに全力で甘やかされていますが、みんな基本的に物静かなので、ほんとに淡々と過ごしていると思います。不動デリヤの歌ってくれる声が好き。眠くなる。誰かに守られ安心して眠ることなんか生前は無かったのに今は眠れる。無に戻る準備運動のように。



不動デリヤ


 ナイラ輪廻サンサーラの糸を震わせたために生まれた乾闥婆ガンダルヴァ。その命のはじめの瞬間にも、おわりの瞬間にも、ナイラ秘密ラハシャのことを思うであろう唯一の存在。

 普段は城の周りの白い砂漠を見回って侵入者が城に到達してしまわないか監視したり、泡世界を出て天帝の御前に参上し楽の音を捧げたりしていますが、必ず城の秘密ラハシャのもとに戻って歌を聴かせます。

 秘密ラハシャの声を、「蜜と雪の混じり合う香のように心地よく沁みとおる声」と感じています。良い香りのみを食して生きる乾闥婆ガンダルヴァですから、これはかなり高い評価と言えるでしょう。彼にとって秘密ラハシャが命の源。




 以上です。

 うわー難しいお題だどうしよう! と悩み悩み書き始めましたが終わってみればお気に入りの話が書けて本当によかったです。読んでくださった方、ありがとう。これから読もうかな? と思ってくださった方もありがとう、よかったら読んでみてください。



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