ロリータ・バイカーと僕の逃亡一夜

夏山茂樹

Lolita Rides on the Motorcycle

 それは夏の騒がしい夜のことだった。一年半後の受験を控えて、進学塾に通っていた僕はいつものようにその塾の入居する建物から降りていく。階段は一段一段が少し険しくて、建物の古さを強調するようだった。


 疲れ切っていた僕は内心、早く帰って寝たい気持ちでいっぱいだった。受験が終わって、就職してもこんな日々が続くのか。そんなことを虚になりかける脳内で考えていた。


 可愛くて優しい奥さんと、可愛い子供達に囲まれながら東京のタワーマンションで暮らす妄想をしていた。港区に建つ、海の見える億ションに暮らす妄想をしながら階段を降りていった。

 だが、そんな妄想を終える頃には、僕はコンビニと古い家屋の間に立って、これから僕の迎える未来に絶望を覚えていた。


 実は妹の通う女子校に、僕の妄想に似た生活を送る教師がいたのだ。当時、東京の男子校から来たという彼はクラスでいじめを受けていた教え子に手を出して、クビになったあげく東京に戻ったという。

 だが今でもその生徒とは遠距離恋愛をしていて、たまに仙台の高級ホテルで一夜を過ごすのだそうだ。


 その元教師は元気にインスタに優雅な生活を投稿し、フォロワーたちに自慢してみせる。いわゆる『港区女子』やグラビアアイドルが、端正な顔をした、有名俳優と有名女優の一人息子である彼に媚びるコメントでいっぱいだ。


 選ばれるようになるのではなく、元から選ばれたのが彼だっただけなのだ。僕は仙台駅近くのタワーマンションに、妹と父の三人で暮らしている。亡くなった母のことは忘れ去られ、今では僕も東京の大学での生活に憧れを覚えている。

 そんな夢と現実を混同した生活の中で、コンビニでふと何か食べたくなって中へ入る。そこには同じ塾の棚田たなだがタバコを買う声が聞こえた。


「マルボーロ一つ」


 その低い声に無機質な感情を剥き出しにして、女性店員はマルボーロを手にして代金を要求しようと声を上げる。だが、その数秒前に棚田が代金を置いて、ただただ店員のそれを待とうとする。


 あわあわした様子の彼女に怒りが募ってきたのか、少しずつ舌打ちが増え始める。同じ塾の帰り、ただ晩ご飯を買いたいだけの僕にもその怒りがよく伝わってくるし、何しろ彼の後ろで飴の袋を手に持ったロリータ少女がかわいそうだからやめて欲しかった。


「マルボーロでございます」


「ちっ、おっせーよ」


 その二言で会計が終わると、棚田は外へ消えていった。当の僕は弁当を買って、前で会計をしているおかっぱロリータが気になった。ミルクティー色の髪をした彼女は、後ろの僕に気づいたようで、軽く会釈した。

 あれ、会ったことないのに。そんなことを思いながら、彼女もイチゴ飴の袋とコーラ、そして店員にまた棚田と同じことを言い出す。


「マルボーロ一つください」


 そして慌ただしい店員の対応を待ちながら、僕の方をチラチラみてくる。なんだか気味が悪いな。そう思いながら、彼女の反応を直と見つめる。なんというか、よく見るとどんな髪型でも似合うほどの美少女だ。


 ロリータは衣装の一つ一つが高いから、きっとお金持ちの娘なのだろう。そう推理していると、彼女が会計を済ませたようで、やがて夜の微睡の中へ消えていった。

 さて、コンビニから出ると棚田が待ち構えていたようで、僕にのりのようについてきた。


「なあサク、オレさ、今月の小遣い全部パチンコですっちまったんだよ。バイトもできねえし、今月貸してくんね? 三万くらい」


「残念ながら僕はそんなにもらってないんで」


「嘘だろ? あんなタワマンの高層階に住んでさ、妹をお嬢様学校に入れられる財力の家の癖に金がねえのか? 嘘に決まってんだろ? なあ……」


 やがて駅前まで粘着してくるので、僕はそのまま逃げようと思って走り出した。だが、すぐに。


「おいっ、紅葉こうようのヤツが逃げたぞ! 応援頼む!」


 すると目の前のヤンキーに前を塞がれ、僕はそのまま後ろを振り向く。やはり敵は四方に及び、僕の逃げられる場所はない。ヤバイ。


「よおよおよお、サックン。お前はいつもそうやって逃げてばっかだよなあ? 日本人の美徳は『逃げない』ことなんだよなあ」


 ヤンキーの戯言で終わった。そう思った途端、後ろから何か黒い影がヤンキーの頭を殴る。さっきのコンビニで見かけた、ロリータと同じ服装をした彼女はヘルメットをかぶっていた。顔が見えないまま、ヘルメットは彼女に襲いかかってくる棚田の腹にも一発、ゴルフクラブでお見舞いする。


 鳩尾きゅうびをちょうどいい位置で一発、お見舞いされた棚田はバス停の近くで倒れてずっとうずくまっている。頭を中心に、殴るヘルメットロリータを僕は押さえ込んで、そのまま暴れる彼女に怒鳴りつける。


「もういいだろ?! これ以上殴ったら死ぬから! とりあえず、助けてくれてありがとう」


「殺したいのよ! この豚を罰しない限り、私はここを離れないんだから!」


「経歴に傷がついてもいいのか?!」


「もうどうでもいいから! 離して!」


 すると、騒動を聞いたのか警察官がやってきて、人々は僕たちを冷たい眼差しで見つめている。ネオンの止まない小さな都会で、暴走ロリータ女を押さえる僕は、彼女をとりあえず近くの駐車場の中へ向かわせた。


「とりあえずヘルメットをかぶってるんだから、バイクにでも乗ってきたんだろ? 駐車場はどこだ?」


 すると、彼女は小さな声で「ここよ」といって、二輪駐車場へ向かう。すぐ裏にあった駐車場は寂れていて、人っ子一人いない。その中に、小さなバイクがポツンと置いてあった。


「私のダーク・オックスは無事みたいね。家はどこ? 助けてくれてありがとう。送ってあげるわ」

「えっ……。その……」


 女の子とろくに会話を交わしたことのない僕は、突然降って湧いた出来事に困惑しながらも、家のある道を教える。


五橋いつつばしなんだけど……」


「ふうん。道は逆だけど、まあいいわ」


 出会ってからずっとヘルメットを外さない彼女にどこか恐れを抱いていた僕は、彼女に尋ねる。


「ヘルメット、取らないの? あ、あと名前も聞いてなかったな……」


「そうね」


 彼女はヘルメットをとって、その短い髪を整える。コンビニで見たあのミルクティー色のおかっぱ、言い換えればショートボブには三日月の髪飾りがついていて、さっきの行動とは違っておしとやかささえ感じる。


「君は……」


「ミカ。私、澁谷美佳しぶやみか。六月三十日生まれの十八歳よ」


「お、おう……。僕は紅葉柵こうようさく。四月一日生まれの十七歳……。ということは、僕は敬語を使わないといけませんね。ミカさん」


 何気に微笑んでみると、彼女はどこか安心した様子で笑い、真夜中のひんやりとした空気の中で静かに言った。


「ヘルメットは二人分あるから大丈夫よ、サク。……あっ、ケーサツがやって来る。早く逃げないと」


 そう言って彼女はヘルメットをかぶり直すと、運転席に閉まったもう一つのそれを僕に投げてきた。慌ててキャッチして、僕もかぶって、エンジンをふかしていた彼女の後ろに跨った。


「どっ、どこを掴めばいいんですか?!」


 すると彼女は僕の手をつかんで、静かに自身の胸の下部分にあてがう。胸の温かさと柔らかさに思わず慌てる僕だが、彼女は冷静に、いや、むしろ興奮を抑えきれない様子でエンジンをふかしまくって急スピードで駐車場を出た。


「振り落とされんなよ! いい? あなたの住所は五橋だったわよね? どこらへん? 五橋の」


「あの青いタワーマンションです」


「OK! そのまま向かうわよ!」


 彼女は警官の目をごまかして、そのまま仙台駅前から五橋方面へとバイクを走らせる。丈の長いロリータ服のひだが邪魔ではないかと思ったりもしたが、彼女はそんなことさえ、一つも感じていないようだった。


「……ロリータのひだ、邪魔じゃないですか?」


「好きなものは自由に着たいでしょ? 学校じゃないんだから」


 まあ、僕の通う高校も私服で通う高校なのだが、ロリータを着て登校する女子は目立つからかなかなかいない。同じくらいの歳をした顔つきの彼女は何歳なのだろうか?


「どこの学校なんですか?」


 ロリータを着て、バイクに跨っている地点できっと大学生かそれ以上なのだろうが、僕は学校名を聞いて、思わず驚いた。


「上杉学院高校。でも、私はお嬢様じゃないから」


 上杉学院といえば、この仙台ではお嬢様が通うことで有名な女子校ではないか。確か校則が厳しくて、バイクの免許なんて取れないだろう。


「……大丈夫ですか?」


「なにが?」


 仙台駅前方面に向かう救急車が僕らとすれ違う。彼女は救急車を振り向いて、ニヤけ顔で叫んだ。


「ご愁傷様!」


「あっ、ちょっと逆走してますよ!」


 僕の注意でバイクはなんとか左側通行に戻り、誰もいない仙台の郊外へ行く道を走りつづける。

 警察のパトカーや救急車とすれ違うたび、僕の心は内心ヒヤヒヤしたが彼女はむしろ、それを楽しんでいるようでならなかった。


 法の番人である彼らを挑発する彼女は、どこか社会への敵愾心を燃やして、怒りと復讐心のような心持ちで、どこか暴走しているようだった。


「おう、やっと五橋か!」


「あそこの公園で降りましょう」


「ええ」


 時々男らしい口調が溢れる彼女は、公園で止めるとロリータ服のひだを膝あたりで集めて、そのままバイクを降りた。

 初めてバイクに乗った僕は、彼女と乗ったダーク・オックスとやらに触れてじっと観察していた。


「黒煙石のように黒いパーツと、マフラーかあ……。アチッ」


「どうしたの?」


「間違えてマフラーに触っちゃったみたいっす」


 すると彼女は腹を抱えて笑いだし、そのままさっきのコンビニで買ったタバコに火をつけた。口からタバコの白い息を吐き出した彼女は、やはり僕を見つめて笑っている。


「ミカさん、もう笑わないでくださいよ!」


「あはは……。ああごめんなさい。仙台の夜に、こんなに純真な子がいたんだって思うとつい……」


「そんなミカさんこそ、高校生なのにタバコを吸って、不良を怪我させて、バイクで逃げるなんて……。そんな、ヤンキーじゃないんですから……」


 すると、彼女は黙って僕の言葉を聞きながらタバコを吸って自論を展開し始めた。仙台の夜は冷えて寒いが、彼女の舌はこれでもかという程よく回る。


「上杉学院はああ見えて最近、政治的になってきたの。署名とか、授業のボイコットを続けて抗議すれば先生たちは折れてくれるようになった。それでね、アクタ・ノン・ベルバってローマの言葉。サクくんは知らないでしょ? その言葉を知ってからわたし、恋人と一緒に活動するようになったの。言葉じゃなくて行動で。そしたら学校の方から変わっていったわ……」


 遠い目で見つめてくる彼女に、僕はどこか恐れを抱きながらもさっきのヤンキーとの喧嘩、というか暴行については黙っておくことにした。彼女が僕を助けてくれなかったら、倒れていたのはきっと僕だろうから。


「好きなものを着て、好きなバイクに乗って、好きなタバコを蒸して生きるってどんな気持ちですか?」


 受験で心を縛られていた僕はふとそう聞いていた。そよ風が彼女との間に吹いて、見えない柵のようなものを作り出す。


「んー、楽しい。でも苦しいよ。自由は責任が伴うし、私はさっきのヤンキーに痴漢されたことがあって……。その仕返しで探していたの、あいつを」


 仕返しには責任が伴うが、それを負えばしてもいい。そんな態度で凛とした様子の彼女に震えながら、僕はお礼を言って去ろうとした。


「さっきは助けてくださってありがとうございました。僕はそろそろ。明日も学校なので……」


 踵を返そうとした僕の腕を掴んで、彼女はもう一度こう聞いてきた。


「キミ、紅葉って苗字なんでしょ? なら家族は?」


「妹がいますが……」


「もしかしてさちちゃん?」


「なんで分かるんですか?」


 すると彼女は、静かに「あの子によろしく伝えて」と言い、僕の腕を離した。自由になった僕は、リュックの重みを感じながら、またバイクに跨って帰ろうとする彼女に手を振った。


「おやすみなさい! いい夢を!」


「そちらこそおやすみ! いい夜を」


 彼女はまたバイクを蒸して、あの騒がしい仙台の駅前方面へと消えていった。五橋のタワマン近くは静かなのに、どうしてか、仙台はバイク音が騒がしい。きっとミカさんの仕業なのだろうが、僕はその様子をバルコニー越しに見ながら、静かに棚田を心配していた。


「あいつ、大丈夫だったかな……?」


 翌日の塾は、馬鹿らしいほどに荘厳な空気が流れていた。教室では生徒たちが講師を待ちながら黒板を静かに眺めている。


 塾の教師が頬に絆創膏を張って、教室に現れる。どこで怪我をしたのだろう、彼はどこか痛々しい傷を包帯で負って、教壇に立った。


「ええ、昨日の夜なんだが、棚田が誰かに殴られて病院に運ばれた。頭と腹をゴルフバーで殴られ、全治一ヶ月だそうだ」


 残念だが、教師がそう言って一度「コホン」と咳払いをする。


「私も棚田を殴ったであろう犯人に、襲われてな。夜の闇で顔は見えなかったが、ロリータを着ていた。既に警察には届け出たよ」


 もしかして、ミカさんに昔何かしたのか、この教師は。ミカさんは復讐のためにゴルククラブで人を殴っているようだった。


「誰かに復讐されたとかじゃないんですか?」


 そう聞いてみると、教師は思いついたような顔を一瞬するが、それからまた元の姿に戻って「そんなことはない」と僕に返した。


 真相はどうだろうか。僕には分からないが、復讐のために罪を犯す者がいる。そのことを忘れてはいけないと思った瞬間だった。

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