帰宅


「ただいま」

「家の玄関開けるような気安さで空間開けて来ないでね?死ぬほどびびったから今」


 元の縁側に面する中庭に戻ってきた時、まず大仰に跳び退る当主旭の姿が視界に入った。

「まだ、やってるの」

 そしてぎゃあぎゃあと喚き散らす晶納と冷静に正論をぶつける日昏。

 時間の経過に異常が無ければ二、三十分はああして言い合いを続けていたことになる。この炎天下にどちらもよくやるものだ。

「日和ちゃん!?おかえりなさい!」

 そして小走りにこちらへやってくる昊。

 そのままゆっくりと減速して、日和の前でぴたりと止まると両腕で抱き締められる。

「大丈夫でしたか?痛いところは?怖いことなかったですか?お腹すいてません?」

「大丈夫。痛くない怖くない。お腹はすいた」

 律儀に全て答えると、ようやく安心したように抱擁を解いて、改めて日和の全身をくまなく観察した。

 本当に傷も、怪我もない。微かな疲労からくる空腹感はあったが。

 そんなことよりも。

「ごめん昊姉ぇ。着物、汚れた」

 肩口の縫合は千切れ、裾と袖もボロボロ。溶岩の熱で炙られた箇所もいくつかある。

 せっかく昊に見繕ってもらったお気に入りだったというのに。

「そんなのぜんぜん。すぐ直せますよ。それより日和ちゃん!ちょっと髪の毛焦げてません?」

「うん?どれ…あ、本当だ。草履もずたずた。というかよくこんな履物で行ったな…」

 昊と旭が前後左右から日和の身体をチェックしていくが、それこそ日和にとってはどうでもいい。

「そんなんより、ふく。服が」

「女の子なのにそんなんじゃないですよ一大事ですから着物なんかより!ほらーほっぺにも黒い汚れが…これ煤ですか?」

「火事場にでも行ってきたのかい?あーあこりゃお風呂直行だな。今沸かしてくるよ」

 止める間もなくのっそりと当主直々に湯沸かしに向かい、日和は昊のされるがままに応急的なお手入れをされる。




「あ?オイいつの間に帰ってきてんだよ日和」

 うるさいのが来た。と心中でだけ呟く。

「んだとコラこのクソガキ」

 あれ。

 口に出てた?

「顔に出てる」

 また対応された。こわ。

「で、どうだったんだ?異界の敵とやらは」

「強かったよ」

 晶兄ぃの後ろから昏兄ぃが訊いてきた。なんでいつも晶兄ぃの口喧嘩に付き合うのか心底わからない。無視すればいいのに。

「晶兄ぃ百人分くらい、かな」

「ブチ、殺す、ぞ?」

 めっちゃキレてた。誉めたつもりなのに。

 兄ぃ百回死ねば倒せるんだよ?

「晶納さま、日和ちゃんは疲れているのでその辺にしてあげてください」

 後ろから昊姉ぇに抱き留められた。私の背後を取れるのは昊姉ちゃんか旭兄ぃくらいのもの。

「……チィッ!」

 テレビで見た悪役みたいな舌打ちして晶兄ぃが引き下がる。みんな姉ぇには弱い。

「お前がそこまで疲弊するのも珍しいな。相手は神格持ちか」

 火の点っていない煙草を口に咥えて、昏兄ぃがいい推理をする。火ついてないからセーフだけど、昊姉ぇの前で吸ったら腕吹き飛ばすよ。

「こっちでいう、魔神種下位くらいはあった。対神術式撃ちまくったし」

「なるほど。それは三百晶納くらいの強さはあるな」

「勝手に人の名前を単位に使ってんじゃねェよボケカス」

 また喧嘩始まりそう。昊姉ぇとめてめんどくさいから。

 ちなみに精鋭揃いのこの面子でも、私以外は対神術式を単身で使えない。でも神格持ちの全力を単身で止められるのは私と昊姉ぇだけ。女の子の方が強いのは自明の理。はっきりした。

 ふふん。

「クソ平べったい胸張ってんじゃねェよまな板ァ!」

「───……真名解放───!」

「日和ちゃん待って!?それはだめですよ!」

 いくらなんでも言っていいことと悪いことがある。殺そう。

「なんでちょっと目を離した隙にこうなるかなぁ…」

 後ろ頭を掻きながら旭兄ぃが戻ってくる。苦味はあるけど、こんな時でも笑顔を絶やさないその度量。昊姉ぇと同じくらい好き。

「喧嘩吹っ掛けたのはコイツだぞ旭ァ!」

「違う。晶兄ぃは喧嘩どころか戦争の引き金を引いた」

「観戦してた他の二人、ジャッジよろしく」

「「晶納(さま)が悪い(です!)」」

「決定。晶納が有罪ギルティ

「うおおおォォぉぉい!!?」

 相変わらず喧しい人。どうしてこんなにいつも騒いで喉が枯れないんだろう。いっそ潰れちゃえばいいのに。

「んッだとてめコラァァァ!」

 だからなんでわかるの。こわこわ。

「上等だテメェらまとめて掛かってこいやオラァァああああ!!」

 それで、またいつもみたいに晶兄ぃが大暴れして。みんなでそれを止める流れ。

「いやもうやめてくれないかなぁ!?毎回これされると僕の当主としての尊厳に関わるっていうかなんていうかさー!?」

「諦めろ旭。里の皆がもう分かっていることだ。この阿呆はどうしようもないとな」

 旭兄ぃと昏兄ぃが嘆息して、

「えと、えっと!と、とりあえず周りに被害出ないように結界!張っておきますね!」

 昊姉ぇが目を回しながら対処して。


「…まったく。いっつもこれ、なんだから」


 そして私がうんざりする。

 こんな時の私が、どんな表情をしているのかは、私が一番よく知ってる。

 旭兄ぃは苦笑。日昏兄ぃは微笑。昊姉ぇも苦笑。

 私は。

 …私は?




「…………ふふっ」




     ─────


 こんなにも幸せだったから、わからなかった。知らなかった。


 ここから一年経たずして、陽向の特異家系が滅ぶだなんて。


 あの人が裏切るだなんて。


 あの人が死んでしまうなんて。


 あの人が、あんな風になってしまうなんて。


 私が、ああなるだなんて。


 誰も、何も、知らなかった。


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陽向日和(自主企画用) ソルト @salttail

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