自ら墓穴を掘ってしまった、バラン氏の20年後は、興味が尽きないです。
続き、すごく楽しみです。
作者からの返信
雨さん、コメントありがとうございます。
墓穴を掘ってしまいましたね。一度知ってしまったものはもう取り返しがつかないって、残酷ですね。
次回が最後のエピソードです。
私が興味があったのはここです。この孤独地獄の部分、小説の他の部分(そちらはコメディ的ともとれる)から浮きあがるように、すごい熱量で書かれていますよね。泣きながら書いていたのかも。実体験した人しか書けないような描写があります。先生は大切に取っておいた題材(体験)を、ここで使ったのだと思いました。この小説がどんな時に書かれたのかはわかりませんが、渾身の投球で、新聞の毎日の小説のひとつとしたはもったいないというか、重いですよね。
柊さんはあの長くて辛い葛藤部分を、こんなふうにさらりと要約するのは簡単じゃなかったと思います。この三倍くらい書かれて、削られていったのではないでしょうか。拍手。
作者からの返信
九月さん、コメントありがとうございます。
やっぱりこの孤独地獄の部分ですか。本当に、執拗に書いていますね。二人を追い出す第一章でのジョルジュへの執着と疑念が膨れ上がるところも長いですが、この二章での孤独と喪失の描写は特に熱がこもっていると思います。
これは仮定ですが、先生も自分の子どもとこっそり会う機会があって、そのときの子どもに対する皮膚感のある愛情がジョルジュに投影されているかも知れないし、ひとりになったときの虚しさがパランに投影されているのかも。
いずれにせよパランに憑依して書いているような真実味がありますね。
要約してあっさりしてしまうのももったいないですし、どこを使ってどこを削るかは難しいです。だからこの作品はぜひ原作をお勧めしたいですね。
パラン氏、かわいそう・・・この時点での救いようのない感じがモーパッサンですね~容赦ない・・・パラン氏、なにも悪くないのに涙
作者からの返信
神原さん、コメントありがとうございます。
ほんと、なにも悪くないのに……。
ここでは短くまとめてしまいましたが、原作ではパラン氏の感情に重点がおいてあって、孤独な日々が彼の目線で切々と語られていて、読んでてつらいです。