倹約道をきわめる主婦「雨傘 Le Parapluie」

 突然ですが、皆さんはケチ、じゃなかった、倹約家ですか? 僕は自慢じゃないけどケチ、もとい、倹約家です。だって収入は増えないのに物価は上がるばかりだもの。出費が怖い。お金を使わないに越したことはない。

 あ、今うなずきましたね。今回はそんな方にお送りする、フランス流倹約道のお話です。


 オレイユ夫人は40歳の主婦。小柄なキビキビした女性ですが、顔にはもう皺が寄り、しょっちゅうイライラしています。そしてケチ、あ間違えた、倹約家です。とにかく財布からお金が出て行くことが大嫌い。必要不可欠な出費にも胸が張り裂け、夜も眠れないほど悔やんでしまいます。


 この奥さんを持って一番つらいのが夫のオレイユ氏です。お小遣いひとつにも大変な苦労。この夫婦には子どもがおらず、財産収入だってあるのですが、とにかく一銭でも稼いでおけという妻の命により、小役人として働いています。

 ケチネタに小役人が加わりましたよ。モーパッサンはこういうプチ・ブルジョワを書くとき、すぐに夫を小役人にしますね。


 オレイユ氏は2年間ずっと、穴にをした雨傘を持って通勤していて、職場の笑いものになっていました。うんざりして新しいのを妻にお願いすると、在庫一掃セールの傘を買ってきて3カ月でダメになるという始末。おかげでオレイユ氏の傘はますます同僚たちの格好のネタになり、テーマソングまで歌われてしまうほど。


 え、傘なんて買い替えればいいのでは? と思うのは現代の中国製ナイロン傘のイメージのせいです。当時の傘は絹張りなんですね。だから在庫一掃セールですら8フラン(1フラン=1000円として8000円)もします。

 オレイユ氏は今度こそ恥をかかないよう20フランの高級絹織の傘を買うよう妻に命じました。20フランだと2万円。今の感覚だと高いなあと思いますが、ブルジョワのお洒落アイテムとすればこれが相場だったと考えた方が良さそうです。


 でもやっぱり微妙に2フラン節約して18フランの傘を買った奥さん。悔し紛れに、

「これで5年間はもたせなさいよ」

 と捨てゼリフを吐きました。


 ところがです。夫が仕事から帰ってみたら、せっかくの高級絹織の傘はタバコの穴だらけ! 奥さん怒ったの怒らないの。傘を夫に投げつけ罵詈雑言の嵐。こういう家庭内紛争が起こるときは平和な男にとって戦場にいるよりも恐ろしいシーンが繰り広げられるのである、と先生は書いています。

 職場の連中の嫌がらせに違いない、と夫が必死で弁明しているとき、

 ピンポーン。

 お友達が夕食にやってきました。

 夫人は友人にもことの顛末を話し、もう二度と傘は買わないと断言してしまいます。

「そんなに傘が欲しけりゃ、台所のハエ除けカバーでも持ってきゃいいのよ!」

 それを聞いた夫はかちーん。

「なんだと! そんなら俺は辞職する! いくらなんでも台所のハエ除けカバーなんて持ってけるか!」

 また喧嘩が始まってしまいました。


 しかし、そこで友人がひらめきます。

「だったら保険会社に言えばいいじゃないか? 家の中の損害なら保険がおりるはずだよ」


 目から鱗の奥さん。そうだ、その手があったんだ!


 翌日、奥さんはわざとマッチで傘を燃やし、保険会社へと向かいます。心の中は緊張しっぱなしです。実は奥さんは内弁慶なので、外に出て誰かと口をきくのが苦手。夫にしか強気に出られないのです。

 立派な建物にひるみながらも、18フランの損失を思うと諦めるわけにはいきません。勇気を振り絞って中へ入っていった夫人が通されたのは損害補償請求のオフィス。こういう場所で聞こえてくる金額はウン10万単位の話です。奥さん、場違い感がハンパない。


「マダム、本日はどういったご用件で?」


 事務局長に恭しく話しかけられて緊張マックスの奥さん。でもこうなったら覚悟を決めねばなりません。果敢にもスケルトン状態の傘を相手に差し出し、

「これです」

 事務局長は同情するような声で、

「えっと……だいぶやられていますね」

「20フランもしたんです」

「そんなに。……で、当社となんの関係が?」

「こ……焦げたんですけど」

「見れば分かります」

「私、お宅の保険に入ってるんです。だからこの損害の補償をしていただきたいの。あ、もしなんでしたら、そちらで直していただきたいの」

 

 局長は思わぬ要求に当惑を隠せません。


「あの……マダム、うちは傘屋じゃないんですよ。こういったいつ燃えるか分からない少額の品はですね、当社の保険適用外となっておりまして、補償はいたしかねるのです。どうかその旨をご理解いただきたいのですが……」


 でも夫人はご理解しません。18フランのためには戦わねばならぬのです!


「あの、実は去年うちの暖炉が火災になって、500フランの損害が出たんです。でもお宅には何も要求してませんわ。だから傘ぐらい直してくださるのは当然でしょ!」

 無理やりこんな嘘をつきますが、局長にはお見通し。

「ならどうしてその火災の損害は請求されずに、こんな5、6フランの傘修理の請求をなさるのですか」

 痛いところを突かれました。でもそれで引き下がる奥さんじゃありません。


「お言葉を返すようですが、暖炉は、この傘はなんですの。だからそれとこれとは話が別です!」


 ──ダメだ、この女性の相手をしてたら日が暮れる。

 時間の無駄を察知した保険屋さん。


「……分かりました。被害額はいかほどで?」


 折れました。やりました、奥さん粘り勝ち。

 修理代を払わせる約束を取りつけると、オレイユ夫人は意気揚々と高級そうな傘屋へ。そして余裕たっぷりの声でこう申しつけるのです。


「修理をおねがい。一番上等な絹を使ってちょうだいね。お代はいくらかかっても構わないことよ!」


 おほほほほーっ!

 奥さんの高笑いが聞こえてきそうなオチのひと言。倹約道というより、ただの言ったもん勝ちじゃん。夫人の真似は難易度が高いですが、一銭でも守ろうとする鋼のメンタルだけは見習いたいですね。

 それにしてもまずい前例を作っちゃったなあ、保険屋さん。奥さんがまた何か燃やして来なきゃいいけども……。

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