「小さな恋のメロディ」という映画の中で、マーク・レスターが、ラテン語なんて使わないし、と先生にくってかかったような記憶があります。
アメさんが書いてるけど、ちょうど日本の学校の漢文みたいですね。あるいは古文か。
しかしこの不幸な境遇の先生と、洗濯女子がどうなるのか、僕の悪戯が楽しみです。
作者からの返信
レネさん、コメントありがとうございます。
そんなシーンがあるんですね。ということはラテン語の授業が必須だったんですね。
漢文って中国でも古文あつかいなんでしょうか。古い言葉だから日本はおろか中国でも使わないかもですね。
僕の悪戯、たぶん想像されてると思いますけど、どうぞ見守ってやってくださいませ。
編集済
うわあ……なんか高学歴プア問題を彷彿とさせて生々しいですね。先生は学位がないわけですが、学があって社会経験のない人の居場所のなさって今のヨーロッパでも変わらない気がします。しかも現代は文系だと博士号もってても就職口がない……
ラテン語は読めるようになりたくて名刺の格変化だけは全部覚えましたが、動詞で挫折した思い出。話者がいない言語はやる気の維持が難しいです。辞書もテキストも買ったんですけどね~´ω`
作者からの返信
橋本さん、コメントありがとうございます。
そうそう、まさに高学歴プアを体現した人ですね。でも仰るとおり、学位があっても仕事がない現代の方がもっとシビアだと思います。今はバカロレア受験の段階から文系は損という認識がありますよね。とりあえず科学で受けないと後々の融通がきかないという常識になっていて。
中世を研究されてたらラテン語はやっぱり必要なんでしょうか。でも話し相手がいない言葉はたしかに手応えが感じにくいでしょうね……´ω`
編集済
僕と、僕の周辺の人たちが、いかにもいそうで、そこがモーパッサンの作品の素晴らしいところですよね。
相変わらず、とても面白くて、すごくタメにもなりますよね。
ラテン語って、日本の漢文みたいな勉強なのかもしれませんね。わたしの知っているラテン語は、聖書の言葉かな?
作者からの返信
雨さん、コメントありがとうございます。
ちょっと時代背景や職業の説明に文字を割いてしまいましたが、こんな感じと分かっていただけたら幸いです。
ラテン語ってかなり特殊で例えるの難しいですね。日本で習う漢文はもう中国でも古い言葉なんでしょうか。
ラテン語はなんか重厚なイメージがあるので、標語とかでも使われてますね。読めませんけど(笑)
わあっ!続きが非常に気になりますっ!
何のために学ぶのか?
私も社会適格性の低い人間で『実生活の役に立つから学ぶのではない、世を問い自らを問い、生きる活力とするため楽しむために学ぶのだ』と思うタイプですから、ピックダン先生に親近感が湧きそうです。しかし、ピックダン先生が活路を見出だすには、そう、今の安住の枠組から飛び出すしかないんですね。未知の世界に飛び込んだとき、初めて知識は血肉となり、学びは生きることそのものになる。
…その誘因は、やはりヒロインで。
偉大です(#^.^#)
作者からの返信
呪文堂さん、コメントありがとうございます。
実生活の役に立つことを学んだうえでさらに楽しむための勉強をするのなら理想的なんだろうなと思います。この時代は労働者かインテリかの溝が特に顕著ですが、生活の役に立たない学問を選んだものの目的に到達できなかったインテリの悲哀がピックダン先生に表されていますね。殻を破るというのはとても勇気が要りそうですが、きっかけになるのはいつもヒロイン登場ですね。ヒロインの存在は大きいです(#^.^#)
ラテン語のお話ですね。
ラテン語がありがたく思われていたのは、「ローマ国家が健在だった時代に築き上げられた、文化的な威信のせい」と「カトリック教会の公式言語になったこと」が影響していると聞いたことがあります。
しかしモーパッサンが生きた時代に議論されていたように、普通の生活では使われないので、習得する意味がないというのも確かだなと思います。
ピックダン先生、「僕」の悪戯でどうなってしまうのでしょうか。
作者からの返信
「ローマ国家が健在だった時代に築き上げられた、文化的な威信のせい」と「カトリック教会の公式言語になったこと」
威厳のかたまりのような言葉ですね(笑)
今でも中学や高校の第三言語の選択肢にあったりしますね。普通の生活で使わないとしても、ラテン語の箔はずっと残るんじゃないかなと思います。