夢見る一夜の結末は…「パリの経験」②
思わぬ偶然で大人気作家とお近づきになれた彼女。今日一日自分の願いを聞いてくれるとあって、テンションは上がりまくりです。
で、ヴァラン先生にこう尋ねます。
「普段、この時間には何をなさいますの?」
作家はちょっと困りながら、
「えーっと、散歩ですかね」
「では森へ!」
というわけで森へお出かけした二人。そこで作家は「女性イレブン」系の女性たちの名前を挙げ、その習慣やあまり褒められない暮らしぶりやアヴァンチュールなどをこと細かに暴露せねばなりませんでした。
散歩が終わると、
「この時間はいつも何をなさいますの?」
「アブサンを飲みに行きますよ」
今度は大通りの有名カフェでアブサンタイム。そういう場所には同業者が集うものです。今をときめく作家たちを紹介されて有頂天の彼女。キャーどうしよう。脳内ではこの言葉がグルグル回ってます。──あたしったら。ついに! ついに!
ひとしきり過ごすと、
「今度は夕食の時間かしら」
「仰るとおり」
流行りのレストランでお食事のあとは芝居見物。しかも特別待遇のバルコニー席! 有名作家と一緒の彼女はここでも他の観客から熱い注目を浴びて、最高の気分に酔いしれます。
さて、芝居が終わったあと。
「いやあ、今日は楽しい一日でしたよ。そんじゃさいなら……」
「ちょっと待って。いつもこの時間は何をなさいますの?」
「へ? いや、家に帰りますが」
「では一緒に帰りましょう」
ついに背徳への夢にリーチをかけます。内心は逃げたい気持ちに襲われながらも、この機会を逃すわけにはいきません。このまま最終目的まで突き進むのみ。そこからはお互いに口もきかず、とうとう作家のアパートまで来てしまいました。ドキドキ展開♡
寝室に入った途端、サクっと衣装を脱いで先にベッドに入った彼女。期待と興奮は最高潮へ──。
でもね。
彼女は所詮、田舎から出てきたフツーの奥さん。
作家は手練手管で男を悦ばすことに長けている、恋愛上手なパリの高級娼婦たちに慣れているのです。要は洗練された愛人には事欠かないということ。どう転んでもそのへんの素人の奥さんなどに手を出すことはないのです。
で、奥さん無視して寝ちゃいました。
彼女は隣で寝落ちした小男を横目で眺めました。出っ張った腹がガス風船みたいにシーツを持ち上げています。オルガンのパイプのような音でいびきをかき、ほげーっと鼻が鳴ってはウグッと息が詰まる音が滑稽です。20本しかない髪の毛は、荒廃した頭を隠す使命に疲れたかのごとく、束の間の休み時間をむさぼって好き勝手に逆立っています。そして半開きの口もとからは、ひとすじのよだれがツーっと……。
ザ・幻滅。
人気作家の名前に目がくらみ、有名カフェや劇場で注目される快感に浸っているうちに、男の実態が夫となんの変わりもないことが見えなくなっていた彼女。ここでようやく現実を目の当たりにする残酷さ。
夜が明けると同時にそそくさと身繕いをして部屋を出て行こうとした瞬間、ヴァランが目を覚まします。朝だから帰りますという彼女に作家はこう尋ねます。
「今度は私が尋ねる番ですよ。マダム、あなたは昨日からいったい何がしたかったんです? 私にはさっぱり分かりませんがね」
すると彼女は赤くなりながらこう答えます。
「私……知ってみたかったんです。は、背徳ってものを。でも、でも……面白くもないものですわね」
通りに出ると掃除夫の一団が箒で道を掃除しています。道から道へ、まるで操り人形のように機械的にゴミを下水溝へ掃き落としていく掃除夫たち。それを見ていると、自分の中の何かも一緒にドブの中へ掃き捨てられていくように感じます。それはあれほどにも自分を駆り立てていた、浮ついた夢。
彼女の頭にはもう掃除夫の姿しか残りませんでした。家に着き、寝室に入った彼女は思い切り泣いたのでした。
モーパッサン作品には「都会人と田舎人」とか「夢と現実」とかの対比が出てくることがありますが、これもそういう作品のうちのひとつですね。以前に取り上げた『夜会』の女性バージョンのようでもあります。やみくもな憧れと、それを打ち砕く「面白くもない」現実がコミカルに、ほろ苦く描かれている一編です。
あ、ただひとつだけ気になったんですが、布袋さんの置き物はいったいどうなったんだろう。古道具屋の店主ひとり丸儲けだったような……。
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