赤ちゃんはどこからやって来るの?「車中にて En Wagon」
「ねえ、赤ちゃんはどこからやって来るの?」
もしあなたが子どもにこう訊かれたら、なんと答えますか?
「コウノトリが運んでくるんだよ」
あたりがクラシックな答えでしょうか。
フランスでは、コウノトリ説に加えて、
「キャベツから生まれるんだよ」
という農業国っぽい説もあります。キャベツ畑で葉っぱの中に隠れているバブちゃん👶 かわいいですね。
カトリックの教育が厳格だった時代は、こういうデリケートな話はオブラートに包んで、ついでにキャベツの葉にも包まれていたのでしょう。しかし時にはそんな呑気なことを言っていられない事態も勃発するわけで……。
ここはフランス中部から少し南へ行ったところにあるオーベルニュという地方です。季節は7月末。公園に集まった3人の裕福な良家のお母様方が、なにやら心配顔で相談事をしています。
お母様方が心配しているのは、パリのカトリックの寄宿学校にいる息子たちのことです。もうすぐ夏休み(当時は8月から9月末)なのでパリまで迎えに行かなければなりません。でも自分たちは行きたくない。
パリからオーベルニュまでは今でも列車で3時間ぐらいかかりますから、当時の機関車だとまる一日、あるいは夜行でひと晩の旅という一大イベント。しかもこの機関車にはパリから娼婦たちが乗り込んでは、毎日のように往復しているらしいのです。ああいやだ、汚らわしい。宅の品行方正な息子たちがアバズレ女どもと乗り合わせちゃったら大変、何を教えられるか分からないザマすわ。
当時の機関車の構造は、通路に個室が並んでいるタイプです。列車に入るとまず窓側に通路があって、反対側に6人掛けぐらいのボックス席のドアが並んでいます。ボックス席はそれぞれ壁で仕切られているので、ドアを閉めてしまえば完全な個室になるんですね。カラオケボックスみたいな感じでしょうか。息子たちはそれぞれ15歳、13歳、11歳。なのでお母様方は、完全個室のなかでうぶな少年がピンク色の世界に染められるのではないかと心配しているのです。誰か無菌状態で連れて帰ってくれる人はいないかしら?
困っているところへ別の裕福な良家のお母様が通りかかり、若くて真面目な神父さんを紹介してくれました。これは有り難いと飛びつくお母様方。
かくて指令を受けた神父は3人の中学生を連れて帰るべく、パリへ向かいました。
無事3人の少年を従え、ヒヨコを連れた鶏のごとく列車に乗り込む神父。ピンク色のボックス席を避け、なるべく「健全な」個室を探していると、育ちのよさげな若い女性が年配の両親に見送られるところへ遭遇しました。ここなら健全だ、とばかりに神父はそのワゴンに席を確保します。
機関車はオーベルニュへ向けて出発しました。野を越え森を越え橋を越えて全速力で進んでいく列車。
しかし、神父が少年たちに夏休みの課外授業を説明していると、突然女性が苦しそうな唸り声を上げます。
「どうしました、大丈夫ですか?」
「いえ、何でもありませんわ神父様。このところ体調が思わしくなくて。列車が揺れるのが辛いだけです」
そう言いながらも女性の顔は蒼白。それからしばらくは眠っていましたが、何時間たっても何も食べずにいる女性を見て、よほど病気なのだろうと神父は想像していました。
しかし、あと2時間で駅へ着くというときに、またもや女性が苦しみ始めたのです。座席からずり落ちそうになる体を手で押さえながら、視線もうつろに「神様! ああ神様!」と繰り返すばかり。
神父は驚いて、
「いったいどうされたのですか?」
すると女性は、
「私……私……出産しそうです……!」
なんですと?!
神父はそこに突っ立ったまま唖然としてしまいました。頭の中はパニックです。まさか妊婦だったとは! いったいどうすりゃいいんだ?!
3人の中学生は目を丸くして苦しむ女性を見ています。
どうしよう、このままではこの人は亡くなってしまう。自分の目の前で、自分が何もできないばかりに。自分のせいで。
神父は覚悟を決めました。
「マダム、私がお助けします。生きとし生けるすべての者を苦しみから救うのが私の任務!」
そして3人の少年に向かって、
「君たちはドアから顔を出して向こうを向いていなさい。振り返った者は宿題を倍増するからそのつもりで!」
個室のドアの窓を開け、それぞれの頭を通路に向けて突き出し、カーテンを閉めてさらに念を押します。
「ちょっとでも動いたら夏休みのお遊びも禁止だ!」
そして司祭服の袖をまくりあげ、女性のもとへ歩み寄りました。
さて、個室の外に顔を突き出している3人の少年たちは訳が分かりません。女性のうめき声が聞こえるたびに振り返りたい衝動に駆られるのですが、そのつど神父から怒声が飛びます。
「ゴントラン、君は『違反』という言葉を20回ノートに書け!」
「ロラン、君は1カ月間デザート禁止だ!」
そうしているうちに突然、女性の叫び声が止まりました。そして代わりに仔犬のような鳴き声が聞こえ始めたのです。
少年たちが振り返ると、そこには呆然と赤ん坊を抱き、笑いたいのか泣きたいのか分からない、ありとあらゆる感情で顔じゅうの筋肉を引きつらせている神父が立っていました。
「男の子だ」
それから神父は網棚の水筒を取らせると、その水で生まれたばかりの赤ん坊の額を撫でてこう告げました。
「父と子と聖霊の御名によって、そなたに洗礼を授けます」
列車は無事、駅へ到着しました。迎えに来たお母様は3人の子どもが4人になっているワゴンを見てびっくり仰天。しかも神父は汗まみれで司祭服はヨレヨレ、シミだらけ。
「こちらのご婦人にちょっとアクシデントがありましたもので。あっ、子どもたちは何も見てません。誓って何も見ておりません。まったく何も見ておりません!」
お母様方は何も言えず、気まずい視線をお互いに交わすだけでした。
その晩、3組の家族は息子たちの帰りを祝って一緒にディナーをすることになりました。その席で一番年下の11歳の少年が訊きます。
「ねえ、ママ、神父さんはどこで赤ちゃんを見つけたの?」
「その話はやめなさい」
「だって汽車にはお腹の痛い女の人しかいなかったんだよ。神父さんは手品師なのかな?」
「黙りなさい。赤ちゃんは神様が授けて下さったのよ」
「でも僕は何も見てないよ。どこから入ってきたの? ドアから?」
しつこい息子にお母様はイラっとして、
「もうその話はおしまい。赤ちゃんはキャベツから生まれるのよ、知ってるでしょ」
「でも汽車にキャベツなんかなかったよ?」
すると一番年上の少年が、悪戯っぽい目でニヤリとしてこう言います。
「いや、キャベツはあったんだよ。ただ、それを見たのは神父さんだけだってことさ」
おわり。
カトリックバリバリの潔癖なお母様方に、好奇心旺盛な少年たち。そして生真面目な若い神父。配役が絶妙ですね。ピンク色のワゴンを避けたつもりが、もっと深遠な性教育の場に遭遇するという展開。思わぬ場面で「助産夫」になった神父が、みずから取り上げた赤ん坊に洗礼を施す場面はちょっとかっこいいです。
ラストシーンで必死にごまかすお母様の滑稽さと、最後の少年のひと言がいいオチになってます。カトリック培養の子どもたちがキャベツ畑から目覚めるのも、そう遠くないかも知れません……?
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