私を捕虜にしてください「ウォルター・シュナッフスの冒険 L'Aventure de Walter Schnaffs」
モーパッサンは普仏戦争で兵隊として戦った経験があるため、この戦争を扱った話が多いのはここまでお読みくださった皆様もご存じかと思います。どの作品もフランス人が主人公でしたが、今回のお話は変わり種、プロイセン兵を主人公にした物語です。
ウォルター・シュナッフス氏は名前のとおりドイツ人。プロイセン軍の兵士としてフランスに入った時から、自分を世の中で一番不幸な男だと思っています。
当時のプロイセンは成人男子はみな徴兵されることになっていましたので、シュナッフス氏も戦争となれば否応なく兵隊として従事しなければいけません。彼は太っちょでのろまで、機敏な兵隊なんてガラではありません。穏やかで優しい性格で、争いごとなんて大嫌い。4人の子どものパパであり、若く美しい妻を心から愛しています。ゆっくり起きて早く寝て、のんびりと美味しいものを食べてブラッスリーでウォッカ(じゃなくて)ビールを飲むのが楽しみ。
そんな日常の生活を徴兵でもって奪われた彼は、あらゆる銃や鉄砲や大砲や、何よりも取り扱いが苦手な銃剣(銃の先に剣がついた武器)を憎んでいます。
夜になり、仲間と毛布にくるまって野宿しながら、残してきた家族のことを思い、おれが死んだら子どもたちはどうなるのだろうと涙を流す、そんな日々でした。
ある日彼は少人数のグループで偵察を命じられます。向かった先は人けのない渓谷の村でした。しかし、油断している隙にいきなりの銃声。フランスの義勇兵がこっそりとプロイセン兵を狙っているのです。シュナッフスは恐怖にすくみます。逃げようにもカメのような足取りの自分では、ヤギのような義勇兵に勝てるわけがありません。
と、その時、目の前に大きな草むらが。えいやっとばかりに飛び込み、草むらに穴をあけてどさりと岩の上に落ちた彼は、怯えながら四つ足でその場から遠ざかります。さっきまで聞こえていた銃声もそのうち止んで、あたりはすっかり静かになりました。
たちまち襲ってくる不安と孤独。
どうする。仲間のところへ戻るか。でもどうやって?
それに戻ったところでまた危険と隣り合わせの辛い毎日が待ち構えているだけ。かといってずっと穴に隠れてるわけにはいかない。腹も減った……。
そのとき彼ははたと思いつきます。
そうだ、捕虜になればいいんだ! 捕虜になれば食事も寝る場所も与えてもらえる。大砲にも剣にも怯えなくていい。これはいいアイデアだ!
しかし、農夫に見つかれば熊手で八つ裂きにされるだろうし、義勇兵に見つかれば笑いながら銃弾を撃ち込まれるに違いない。フランス軍に見つかれば偵察兵と思われてすぐに射殺だ。どうすればいい……?
悶々としながら穴倉で迷うこと数日。もう彼は空腹で我慢がなりません。美味しいピロシキ(じゃなくて)ソーセージを思い出してよだれが出てきます。意を決して向かったのはすぐそばのお城でした。肉の焼けるいい匂いが漂ってきます。たまらず窓から覗くと、屋敷の使用人たちが台所でテーブルを囲んでいるところです。腹の虫がおさまらない……。
食卓をガン見していると、使用人のひとりが気づいて叫び声をあげました。当然です。シュナッフスは先のとがったプロイセン兵のヘルメットをかぶっているのですから。
「大変だ、敵だ! 敵がやってきた!」
部屋の中はてんやわんやの大騒ぎ。みんなものすごい勢いで逃げ去ります。
その間に侵入したシュナッフスは残された食べ物を見てゴクリ。空腹が限界に達していた彼はもう抗うことができません。テーブルの上のものを片っ端から食い尽くし、酒を飲み干します。そして満腹になったところで、テーブルに突っ伏して……爆睡してしまったのです。
翌日の朝。
台所でぐっすりと眠っていたシュナッフスは、「突入!」という怒声とともに台所へなだれ込んできた50人のフランス兵によって取り囲まれてしまいます。
「お前は捕虜だ。身柄を拘束する!」
腹の先に50の銃口を向けられながら、シュナッフスは頭からつま先まで縛り上げられました。フランス軍の指揮官は他のプロイセン兵たちが逃走したと思っています。こうしてフランスはたった6時間に及ぶ侵略から城を奪還したのです。なんだそれ。
シュナッフスはついに念願叶ってフランス軍の捕虜になることができました。仲間たちが収容されている牢屋でひとり小躍りするシュナッフス。やっと捕虜になれた! おれは救われた!
ちなみに彼を拘束したフランス軍の指揮官は名誉勲章をもらったということです。
おしまい。
モーパッサンはコメディとして描いていますから、僕もコメディとして紹介しています。が、笑いがあるほどに同じだけペーソスが漂ってきます。空腹に耐えきれず台所の食事をむさぼるシーンなど、とてもコミカルなのに無性に悲しく、捕虜になったことも、その後の彼の運命を考えれば本人が喜んでいるほどこちらは笑えません。おそらく彼は愛する妻や4人の子どもたちのもとには帰れないでしょう。
フランス人のモーパッサンは、この太っちょでのろまな敵兵のおじさんを笑いものにすべく書いたのかも知れませんが、この愛すべきキャラクターがかえって戦争の残酷さを際立たせてしまっています。
普通の暮らしを奪われるのは敵兵だって同じこと。前線に駆り出されるのは立派なスーツを着た独裁者ではなく、いつも名もない兵隊たちだということ。
コメディの皮を被っていても、ここにも拭い切れない戦争の現実があります。
このお話は19世紀が舞台ですが、20世紀でも21世紀になっても、人間は同じことを繰り返す動物なのでしょうか。
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