最愛の妻が遺したものとは「宝石 Les Bijoux」

 以前「首飾り」という作品をご紹介しましたが、覚えておられるでしょうか。高価なネックレスを失くしたばかりに多額の借金をこしらえる夫婦の話、オチが残酷でした。

 さて、こちらはその対極を行くお話です。


 ランタンさんは内務省に勤めるしがない小役人です。例によって小役人。何かというと小役人。どこまでネタにするのか。モーパッサン大好物か。

 でも彼はみんながうらやむような素敵な美人と結婚して、幸せな毎日を送っています。小役人なので給料は例によって薄~いんですけど、この妻はなんともやりくり上手でひもじい思いをさせません。美しく性格もよく賢い、まさに理想の妻です。


 しかし、夫にとって彼女には二つだけ欠点がありました。それは観劇好きなことと、チープなアクセサリーをコレクションすること。

 確かに俺の給料じゃ本物の真珠やダイヤモンドを買ってあげられないけどさ、偽物の、安物の、プラスチックの(これはない)ネックレスをジャラジャラさせて芝居に行くとかさ、嫌なんだよね……。


 とはいえ妻の楽しみを奪うこともできない夫。


 ところがある日の観劇の帰りにひいた風邪をこじらせて、妻はあっという間に帰らぬ人となってしまいます。冒頭から突然の悲劇。


 最愛の妻を失くしたランタンさんは絶望の底に突き落とされます。亡き妻の寝室に閉じこもって涙にくれる日々。そしてやりくり上手のいなくなったやもめの家は、経済的にもキツイことになってきます。財布は空っぽ。昨日から何も食べてないよ。一体彼女はどうやって家計を切り盛りしてたんだろう。

 

 こうなったら何か売って凌ぐしかない、と思った時、ランタンさんは妻のアクセサリーに目をつけます。そもそも妻が亡くなったのだって、あのジャラジャラをつけて観劇したせいだ。にっくき安物ジュエリーめ。


 いくらにもならないだろうそのジャラジャラから適当に一番よさげなネックレスを持ち出し、ランタンさんは宝石商を訪ねました。


「あの……これで牛丼ぐらいは食えますかね?」

 

 とは言いませんが、質を持ち込む恥ずかしさと、少しは金になってくれるかで、ドキドキビクビクです。


 宝石商はネックレスを広げ、虫眼鏡で覗いたり重さを計ったり遠くから眺めたりひっくり返してみたり。やめてくれよわざとらしい品定め。分かってるよ、こんなの一銭にもならないってことはさ。

 と言いかけた瞬間。


「ムッシュ、こちら1千5百万円の値打ちがありますよ」


 は?


 びっくり仰天のランタンさん。

 信じられないままに二軒目の宝石商へ入ったところ、


「これはうちの品ですよ。2千5百万円で売ったものです。よければ1千8百万円で買い取りますが」


 なんですと?!

 ちょっと待て、本物だと?! プラスチックの偽物じゃないのか?! いったい牛丼が何杯食べられるのか?(それはいい)


 唖然呆然としたままそのネックレスを店に預け、ランタンさんは道を彷徨い街路樹に頭をぶつけながら思案します。


 ──あんなものを買える金なんてうちにはない。てことは、貰ったのか? 誰に? あんな高価なものを誰に? 彼女は、俺の知らないところで、俺の知らないところで……!


 亡くなったあとに妻の不貞を知ることになったランタンさん。一晩中泣き明かした後で、意を決して宝石商のもとへ行き、1千8百万円を手にします。

 寝取られ男、復讐心を燃やす。

 畜生、こうなったらヤケだ。ランタンさんは贅沢にもタクシー(馬車)を使って家まで戻り、妻の遺したジャラジャラを全て宝石商に持ち込みました。


 さあ鑑定結果は。


 イヤリング 2千万円也。

 ブレスレット 3千5百万円也。

 ブローチ、指輪、メダル 1千6百万円也。

 エメラルドとサファイアのネックレス 1千4百万円也。

 ダイヤモンドつき純金チェーンのネックレス、4千万円也。


 しめて1億9千6百万円なーり!


 やったね、ランタンさん! 彼は身も心も有頂天。ヴァンドーム広場にある円柱を馬跳びして、てっぺんにそびえる皇帝の像さえ越えられそうなぐらい有頂天。今まで何も食べてなかった彼は、高級レストランでお食事して1本2万円のワインを飲みました。とりあえず高級レストラン、金を手にした小市民のいかにもやりそうなこと。いいですね。

 ついでにタクシーを乗り回して、その辺を歩いている小市民を見下げ、心の中で叫びます。


「どうだい、俺は大金持ちだ。俺には2億円があるんだ!」


 そしてふと仕事のことを思い出します。そのまま役所へ乗りつけると、上司のところへずかずかと歩み寄り、


「あ、俺、辞めますんでよろしく。遺産が入ったんですよ。3億円のね♡」


 さっそうと職場を去り、またもや高級レストランでご満悦。隣のテーブルに座っていた紳士にまで


「あ、わたくし、4億円の遺産を相続したんですよ。おほほ」


 訊かれてもいないのに言わずにはいられない。しかもちょっとずつ金額が増えてますけど、まあいいでしょう。

 

 お金って素晴らしい。金があればいい。この日、彼は初めて観劇の楽しさに目覚め、キャバクラへ行って女の子達と遊びました。

 半年後、ランタンさんは再婚します。二番目の妻は浮気などしない女性でしたが、性格のキツイ人で、彼はだいぶ苦労した、ということです。

 ちゃんちゃん。



 偽物と疑わなかったアクセサリーを宝石商へ持っていくときは恥ずかしさでビクビクのくせに、本物と分かると突如態度が変わるランタンさんが分かりやすくていいです。奥さんの浮気に泣いたのも、この金額の前にはどっかへ吹っ飛んでしまったようですね。


 モヤモヤっとさせつつもとりあえずハッピーエンド。しかし後妻さんは難しい女性だった、というチクリとしたオチがついております。モーパッサンの都会系コメディの中でも軽いタッチで笑える作品です。

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