子どもが欲しい!「遺産」②

 第三話 『家族発熱』


 シャルロットの遺言状の開封に立ち会ったカシュランとルサーブル夫婦。

 そこにはこう書いてありました。


『私の全財産、約112万フラン(11億2000万円!)を、生まれてくるルサーブル夫婦の子どもに相続させます。子どもが生まれるまでは遺産は公証人氏の預かりとします。ただし3。3年以内に子どもが生まれなかった場合は、この財産は養護施設へ全額寄付します』


 なんですと?!


 てっきりそのまま自分たちのもとへ入ってくると思い込んでいた家族は一気にテンションが下がります。3年以内に子どもができなければ遺産はゼロ!


「そもそもこれはお前たちの責任だぞッ! 早く子どもを作れって姉さんはあんなにも言ってたじゃないか!」

 

 カシュランは腹立ちまぎれに義理の息子へ八つ当たり。でも何も言い返せないルサーブル。そんなこと言われてもねえ。子どもなんて作ろうと思って作れるわけじゃない。


 とはいえこれはもう使命のようなものです。とにかく馬車馬のように、いや種馬のように頑張るしかない。

 しかし、もともと神経質で虚弱なルサーブルは、この巨大すぎるプレッシャーとストレスのせいでかえって体を壊してしまいます。家に帰れば気分が悪くなって一人で休んでしまう始末。夫婦でベッドを共にしたくても息が切れて体が震えてもう無理。まるで自分が勝利の行方を握っている戦禍の兵隊のように感じてしまうのです。場所を変えればと田舎に行って新婚気分を取り戻してみたりもしましたが、結果はなしのつぶて。コラリーは一向におめでたの気配を見せません。


 こうなるとだんだん家族の雰囲気も険悪になってきます。あれだけルサーブルを買っていたはずのカシュランは、今や義理の息子を辛らつな言葉で侮辱します。コラリーですら夫を上から目線で雑に扱うようになってしまいました。お互いがお互いを憎み、目の前にあるのに手が届かない遺産に苛まれています。


 さらに悪いことは続くもので、ルサーブルはまたしても職場での昇進が叶いませんでした。昇給もなし。何もなしです。

 悩んだ挙句、彼は海軍省長のところへ直談判に赴くことにしました。



 第四話 『へびとサソリのごとく』


「納得できません。僕は他の人の何倍も働いてるんですよ。なのに昇給も無しとは一体どういうことですか!」


 勇気を出して不満を海軍省長にぶつけたルサーブル。

 すると相手はこう言います。


「その話なら前にもしただろう。世の中は公平にいかなくちゃ。いいかい、今や君には億万という財産があるんだよ。君の同僚たちの給金に比べたら……」

「ないんですよそんなもの!」

 ルサーブルは辛抱できず叫んでしまいました。


「伯母は生まれてくるに財産を残したんです。我々はビタ一文受け取ってません。ここの収入でしか僕たちは暮らせないんです!」

「ああそうなの? でも子どもができたらすぐ金が入るんだろ? 同じことじゃないか」


 ルサーブルはがっくりと肩を落として海軍省長の部屋をあとにしました。

 

 数日後のこと。

 マーズ、ピトレ、ボワセルの三人組がなにやらニヤニヤしています。


「サヴォンじいさんのところは三人子どもがいるんだってね。といってもじいさんの子どもは最初の一人だけらしいが」

「やめて下さいよその話は。私は妻に裏切られたんだ」

「でもその辺の秘密はよくご存じじゃないか」

「聞かんかね~! 子どもの作り方、10セントでサヴォン先生が教えるよ~!」

 

 ルサーブルは自分がネタにされていることに気づきましたが、聞かないふりをしています。そこへ色男のマーズがちょっかいを出してきます。


「あれえ、ルサーブル君、なんだか顔色が悪いね、どうしたんだい」

「……あんたら、いったい何が言いたいんだ?」

「別にぃ~。ただアレだよね、あ~んな簡単なことに手間取っちゃって遺産相続がパアになるってのも遺憾なことだよねえ。なんなら僕が手伝ってあげてもいいんだよ。あんなの5分で済む……」


 その途端、ルサーブルはインク壺を手に取りマーズの顔へぶっかけました。

 やっちゃった。キレました。

 マーズは顔から衣装からすべて紫色に染まってしまいました。インクも滴る伊達男のマーズ、ルサーブルの仕打ちが許せません。決闘騒ぎにまで発展します。

 なんじゃそりゃ、と思われるでしょうが、当時は名誉棄損イコール決闘なのです。

 しかしですね、ルサーブルもマーズも所詮は小役人。拳銃を持ったガチの決闘なんてほんとはやりたくありません。

 騒ぎを起こすだけ起こしておいて、ピトレやボワセルたちを仲介に示談を成立させ、なんとか事態を収めました。


 家に帰ったルサーブルに「お前のせいで決闘するところだった」と言われたコラリーはびっくり。事情を知って今度は怒り心頭。怒りすぎて笑いすら込み上げてきます。


「なにそれ? あんた、自分の妻を侮辱されたのに示談ですって? それで満足なの? あんたって人はどこまで腰抜けなの?! これじゃあ子どもも出来ないわけね! どこもかしこもフニャフニャの臆病者!」

 

 声を聞きつけたカシュランまでやってきてさらに追い打ちをかけます。


「まったくだ。こんな奴とは離婚できたらいいのに。とんだ去勢鶏と結婚させちまったもんだ!」


 聞き捨てならない言葉にルサーブルはボトルを掴んでこん棒のように振り回しながら、

「出ていけ! ここは俺の家だ!」

 義父を怒鳴りつけて追い出してしまいます。それからまだ笑っている妻の顔を怒りに任せてひっぱたきました。ベッドに倒れて泣き伏すコラリー。

 もう最悪の状況。

 

 我にかえったルサーブルは激しい後悔と罪の念にかられ、泣き続ける妻を抱きしめながら、

「ごめん、僕が悪かった。あんな風に侮辱されて、我慢できなかったんだ。許しておくれコラリー、許しておくれ……」 

   

 こんなことがあったにも関わらず、その日の夕食には穏やかな空気が漂っていました。それぞれの感情を吐き出してしまった後、皆がようやく冷静さを取り戻したのかも知れません。お互いへの優しさを思い出したかのような、まるで長い間忘れていた幸せなひとときが戻ったかのような時間でした。(でも遺産問題はまだ解決してません。)


 では、最終話につづきます。

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