月頭男の恐怖「誰ぞ知る」②
空っぽの家に帰る気にもなれず、相変わらずパリでホテル暮らしをしている主人公。しかしそれにもうんざりして、ノルマンディーへぶらり一人旅に出かけます。リッチですね。
滞在先のルーアンで中世的な街並みに癒されながら散歩するうち、彼はある辺鄙な一画にたどり着きました。そこには黒いインクを流したような小さな川があり、粗末な板の橋が渡してあります。そしてその先には怪しげな古美術商の店が並んでいました。
あの夜、自分を突き飛ばして家出したオブジェが懐かしくなった彼は、一軒一軒の店を覗いてまわります。
すると──、
もうお察しですね。一軒の店に自分の家具が置いてあるのを発見するのです。ソファも、椅子も、テーブルも、間違いなく自分のもの。ひと目見ればすぐ分かる、前世紀の貴重な品ばかり。どういうこと? なぜこんなところに?! 驚愕し恐れおののく主人公。
しかし店には誰もいません。彼は自分の椅子に座り、ときどき「誰かいませんかー!」と声を張り上げながら待ちました。
1時間以上も経ったでしょうか。ようやく人の気配がしました。
「どなたかな?」
「客ですけど」
「ご用がおありならこちらへいらっしゃい」
自分から動こうとしない店主。声のする方向を頼りに向かうと、古道具に囲まれただだっ広い部屋に一人の男が座っていました。びっくりするほど小柄で、びっくりするほど太っていて、皺だらけの顔で目がどこにあるのかも分からないほど。そして頭には髪が一本も生えていません。暗い部屋の中で、ろうそくの光に照らされた男の頭は、まるでガラクタの中にぼんやりと浮かび上がる月のようでした。
主人公は客のふりをして椅子を3脚買い、翌日ホテルまで配達するよう話をつけます。店を出るとその足で警察に向かい、盗品のおいてある店のことを届け出ました。警察は了解し、すぐにその古美術商を逮捕すると約束します。
が。
2時間後主人公が警察に赴くと、誰もいなかったと聞かされるのです。店も閉まっていたとのこと。なんですと?!
ああ、ルーアンの夜道のなんと悲しくいかがわしいことよ。
仕方なく翌朝、彼は警察とともに店まで同行します。
鍵屋がぶち破ったドアを開けて店の中へ入ると──。
ありません。ボクの持ち物、全部消えてしまいました。置いてあった場所には代わりに別のガラクタが積み上げられてあるだけ。
そんな馬鹿な! そんな馬鹿な!
「ご心配なさらず。その古美術商とやらは我々がきっと捕まえてみせますから」
警察が胸を張って宣言しますが、その勇ましい言葉も虚しく、いつまで待っても男も家具も見つかりません。
悶々としながら2週間も経ったころです。放ったらかしたままの家の使用人から突然電報が届きました。
『旦那様、
どうにも説明のしようがないことでございます。昨晩のことです。例の家具たちがすべて戻ったのでございます! すべて、家具から小物に至るまですべてです。家は元どおりになりました。わけが分かりません。門から玄関まで引きずったような足跡がありました。盗まれたときと同じです。旦那様のお帰りをお待ちしております』
帰らない! ボク帰らない! 怖すぎるよ。もうこんなの嫌だ!
電報を持って警察に行くと、
「これは実に巧妙な犯行ですな。とりあえず知らんぷりしておきましょう。なあに、きっと捕まえてやりますとも」
いいえ、捕まりません。行方不明です。どうにも見つからないのです。まるで凶暴な動物が自分の背後に潜んでいるようで恐ろしい。あの神出鬼没な月頭男め!
私はあの容疑者と対峙することなどできない。だいたい奴の店に自分の家具があったなどと証明できない。なんという不気味な存在! 奴が戻ってきたら? また同じことの繰り返しか? ああ、こんな経験をした後で普通に暮らすことなど私にはできない……!
というわけで、彼は自分からすすんで療養施設に入りました。医師だけが彼の「事実」を知っています。面会者もなくひとりで過ごす毎日は穏やかです。
たったひとつ、いつかあの月頭男が報復のために自分の前に現れるのではないかという、どうしようもない不安を除いては……。
おしまい。
例によって説明のつかない超常現象とそれに追い詰められる人間の心理が描いてあるのですが、なにしろ家具の行進とか怪しげな月頭の古美術商とかのインパクトが強すぎて、話自体はあまり怖いとは思わなかったです。逆にちょっと笑ってしまうような場面があるだけに、不安定で思い詰めたようなナレーションとのギャップが面白いのかなあ、と思います。
この作品は初版が1890年で、この3年後にはモーパッサンは精神病院で亡くなっています。その間も病気が進行して幻覚に悩み、自殺未遂も起こしています。解説なんかを読むとこの作品を作者の精神錯乱の予兆として捉えるものもあるんですが、そう考えると家具たちの家出も月頭男に対する過剰な恐怖も笑うに笑えないですね。「誰に分かる? 誰にも分からないだろう」というタイトルにも切羽詰まった心情を感じます。
自分を襲う幻覚と現実との狭間で書いた作品かと思うと、ヘンテコな怪奇現象も不気味な色合いを持って迫ってくる気がするのですが……いかがでしょう。
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