怪奇幻想小説の代表作「オルラ Le Horla」①
久しぶりに怖いお話をひとつ。
怪奇小説の名手としても知られるモーパッサン。一冊の本にまとめられるほど色んな話があります。ここでも「髪の毛」や「手」を紹介しましたが、今回はついに満を持して(!?)先生の怪奇系小説の代表作である「オルラ」を取り上げます。
どうですか、皆さんホラーお好きですか。がっつり話に入れるタイプですか。「どうせお化けの話じゃん」みたいな冷めた目で見てませんか。
この話は平和な生活を送っていたはずの男が少しずつ狂気の世界へ落ちていくという、心理描写の極めて優れた作品です。首が飛んだりするスプラッター系ではなく、目に見えない何かがじわじわと迫ってくる恐怖。ほかの怪奇譚もそうですが、モーパッサンの書くホラーはこの「正体不明の何かに心が追い詰められる」怖さが際立っていると思います。
ですので「ただのお化けじゃん」と思ってるそこのあなた!
この「オルラ」はそんなあなたにこそ相応しい作品と言えるでしょう。
前置きが長かったです。
主人公はノルマンディー地方のルーアン近辺に住む裕福な男。物語は彼の日記という形を取った一人称で進みます。この日記形式の語りは彼の内面の変化を描写するうえでとても効果的です。
日記は5月8日からスタートします。春の気持ちの良い日にのんびりと日向ぼっこをする主人公。自然を愛し、生まれ育った家を愛し、何不自由なく暮らす私。目の前を流れるセーヌ河を眺め、通りかかった真っ白なブラジル船に思わず手を振ってみたりして。
だけどそんな爽やかな日記はこの一日きりで、次の日記には体の不調を訴える内容が綴られます。
5月12日
どうもこのところ熱があるようだ。しんどいっていうか、悲しい気分になるんだよな。目に見えない空気に心が支配されるような感じ。こういう気持ちを落ち込ませるものって、一体どこから来るんだろう。きっと自分たちの周りには、見えているはずなのに見えないものや、触れているはずなのに触れないものがあるんだろう。ああ、目に見えないものの不可解さよ!
考えたら人間の五感なんて貧しいものだ。我々の目は遠くの星に棲む者の姿も、一滴の雫の中に棲む者の姿も見ることができない。ああ、もっと我々を取り囲むものをさらに感知できる能力があればいいのに!
……ええと、具合の悪いときは色々考えちゃいますよね。大丈夫、こんなこと言っていますが、あなたそのうち感知できるようになりますから。
原因不明の熱は一向に下がりません。そのうち不眠にも悩まされるようになります。心配して医者に診てもらっても、これといった問題はなし。
にもかかわらず男の症状は悪化するばかりです。夜が近づくと大きな不安感が募り、気を紛らわすために本を読もうにも頭に入らず、無理やり寝ようにも神経が逆立って眠れません。
そしてついには恐ろしい悪夢が始まります。
5月25日
絶対におかしい。こんなことになろうとは。
私は確かに眠っている。眠っているのに誰かが私のベッドへ近づいてくるのが分かるんだ。その誰かは私を見つめ、私に触れる。そして胸の上にまたがると両手を首に掛け、力いっぱい私の首を絞め上げる。叫ぼうにも声が出ない。抗おうにも体が動かない。渾身の力を振り絞って逆らおうとしても、私の息の根を止めようとするこの力に敵わない──死ぬ!
ハッと目を覚ませば汗ぐっしょり。ろうそくを灯しても自分一人だけ。
こんな悪夢を繰り返すようになり、外での散歩ですら何者かにつきまとわれている感覚にさいなまれ、男は疲弊していきます。これでは持たないと気分転換にモン・サン=ミシェルまで出かけることにしました。聖地で自然の雄大さと礼拝堂の荘厳な空気に触れ、修道士と禅問答などをして気分もリフレッシュ。よかったね。
しかし、帰ってきた男を待っていたのは、しばらく見ない間にすっかりやつれてしまった下男の姿でした。心配して体調を訊くと、下男はこう答えます。
「旦那様が旅行に発たれてからどうも昼が夜に食われてしまったみたいなんですよ。なんだか悪いもんにでも憑かれたみたいに休めなくてね」
ドキーン。
もしかして、自分の代わりに下男が悪夢を見ていたってこと?
じゃあ、私が帰ってきちゃったってことは、まさか……?
いや~な予感は的中します。
7月4日
やはり思ったとおりだ。また悪夢の夜が戻ってしまった。
誰かが私の上にまたがり、私の口をその口で封じ、私の命を飲み下していく。喉の奥からこの命が吸い取られていく。目覚めた時には、私の体はすでに動けないほどに消耗されている──。
こんな夢を毎晩見たらさすがに参ってしまいますよね。
が、悪夢だけではおさまりません。さらに不可解な出来事が彼の身に起こるのですが……。
次回につづきます。
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