赤い球体はゆっくりと下がり続け、海に触れた。
こういうちょっとした表現が、自然ですよね。すべてにそうですが、変わった表現でも自然。
とても勉強になります。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
変わった表現に感じるのは外国文学あるあるかも知れませんね。その言語ならではの言葉選びというか。それでも自然に頭に入ってくるのが描写力なんでしょうね。
本当に勉強になります。
夕暮れの描写、素敵です。
柊さんはフランス語でも味っておられるのかしら。
ハリエットさんの気持ちに全く気が付かないなんて切ないですね。
死刑囚に例えてる所で「コラっ!」と声が出てしまいました。
私、ハリエットさんになぜか親近感が(*´∇`*)変人な所。笑
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
自分はフランス語版しか持っていないのです。日本語訳を読んだことがありません。だから引用は自分が訳しています。少し短縮したり若干意訳もしますが、今回はなるべく忠実にかつエッセンスだけは伝えたいとかなりガチで日本語にしています。ハナスさんも聖書のお話は他の言語バージョンも参照されたんですよね。
画家も含めて、芸術家って人の気持ちを察するということができない人が多いのかも知れません。何でも絵の対象物としてしか見えないのではないか、と前の掲載時にどなたかが仰っていました。
ミス・ハリエットに親近感……変人なところ?(笑)ではなく、彼女の内面と通じるものをお持ちだからでしょうね。
次回でこのお話は終わりです。いつも言葉をかけて下さり、ありがとうございます。ペコリ
夕暮れの描写、鮮やかです。柊さんが、ひとつ前のコメントで仰った「先入観なしに本質を見る目」は、画家の目でありモーパッサン先生の目でもありますね!
「このまま小さな鳥になって天空を飛んでいきたい」というセリフが、ミス・ハリエットの本質を垣間見せてくれます。肉体は五十歳、心は十五歳、生き辛いですね。人生をさすらい、たゆたう人です( ´•̥ו̥` ) 恋心が芽生えてしまい、心が十五歳だから扱いあぐねますね。画家、鈍感です。気付いて下さい。
「モーパッサン」は普通の地味なカフェ……いいですね。隠れ家的なカフェ、地味な場所ほど落ち着く気がします❤
作者からの返信
コメントありがとうございます。そうですね、画家の視線と作家の視線が重なりますね。モーパッサン自身、弱い者や憐れな者に対しての優しい視線があって、それは色んな作品に出ていると思います。
肉体は五十歳、心は十五歳、はミス・ハリエットを的確に言い表す言葉ですね。こういう人は生きにくいでしょう。
激しくなるばかりの恋心に彼女自身が辛そうですね。仰る通り彼女の中では十五歳の恋なのかも知れません。
いつもお言葉嬉しいです。
次回最後のエピソードです。
拙作のエッセイで次回は『乙女』を取り上げるのですが、ここ数日、『乙女とは乙女とは』と呟いていたところでした、参りました、これだっ!乙女だっ!
五十を越えた女性のなかに十五歳の心が宿ることを見出だした途端、彼女の姿は潤いを得て愛らしくなる。優れた画家の眼は表層の奥に潜む彼女の本来を見出だしたわけですね。
いやあ、勉強になりました!柊教授には助けて頂いてばかりおります!モーパッサン先生にも感謝申し上げたく!
ありがとうございましたっ!
作者からの返信
呪文堂教授!そんな有難いお言葉を頂いては恐縮してしまいます!
言われてみれば乙女ですねこれは。ここでは少女少女と連呼していますけれども、一番的確な言葉を当てはめて頂いた思いです。
他の人たちと違う観察眼を持っているだけに、画家はハリエットさんの本来を見抜いた。そして彼女も画家との時間でさらに自らの本来を隠し切れなくなる。ここは相乗効果でもありますね。
しかし宮崎さんと違うのは彼女の肉体の年齢、そしてその経験値だけに全くの乙女にはなり切れないところでしょうか。この物語はこの設定の妙もあると思います。