一獲千金を夢見た男「ジュールおじさん Mon Oncle Jules」①
アメリカンドリームなんて言葉があるけど(もう死語かな)、19世紀のアメリカというのは、まさに夢の大陸だったのではないでしょうか。移民がたくさん押しかけて国を発展させ、商売で成功して、ひと財産築き上げる。そういう一獲千金の野望を叶えるには理想郷だったんじゃないかと思います。
ヨーロッパからも沢山のそういう希望を持った人たちが旅立って行って、新しい土地に足を踏み入れて──それから──?
語り手の「僕」の家族はノルマンディーのル・アーヴル出身で、はっきり言って貧乏でした。父の稼ぎは少なく、母は仕事で遅く帰って来る父にしばしばきつい言葉を浴びせかけた。気の弱い父はそんな母に何も言い返せなかった。僕には姉が二人いたが、生地の値段を気にしながら自分たちでドレスを作っていた。食事も貧しかった。ボタンを失くしたりズボンが破れたりすると大変な叱責を受けたものだ──。と振り返ります。
でも日曜になると違いました。家族は精いっぱいのお洒落をして港まで散歩に出ます。父の上着についたシミを母が神経質にベンジンでたたき落し、いざお出かけ。姉たちは年頃だから、こうやって出歩くことで町の男性にお披露目をするというのも理由のひとつでした。両親はこの日曜日の散歩だけはいつもの貧しさをひた隠すように背筋を伸ばし、いかにも自分たちが重要な役割を担う人物であるかのように、胸を張って歩いたものです。
港には大きな船が入って来ます。見果てぬ夢の大陸、アメリカからの船です。それを見ながら父はいつも口癖のように、「ああ、あそこにジュールがいたらなあ!」と言うのでした。
家族や親類縁者を見渡すと、一人ぐらいは人前に出すのが恥ずかしい人間というのがいるものではないでしょうか。家族に心配や迷惑ばかりかける人間。話題に出る度にみながため息をつく人間。父の兄であるジュールおじさんは、そういう人です。親戚一族の問題児。なにせ悪いのはその浪費癖です。家族のお金を使い込み、果ては遺産にまで手を出す始末。
金持ちの家でなら「しようがない奴だ」で済まされるでしょうが、貧乏人の家ではお金を浪費することは重大な罪です。こんな奴はもう置いておけないと、思い悩んだ家族はジュールをアメリカ行きの船に乗せて追い出してしまったのです。
おそらく当時のアメリカという国は今よりもずっとチャンスに溢れていたのでしょう。ジュールのようなならず者でも一旗揚げることができたようです。そんな様子をおじさんは手紙に書いて送ってきます。
『こっちでは店を持って大きな商売をしている。うまく行っているよ。みんなには迷惑をかけたから、これからもっとお金を儲けて今までの行いを償うつもりだ──。』
なんと、これがあの出来損ないのジュールの言葉とは!
その手紙を読んだ家族は感動し、感激し、安心します。あいつはようやく心を入れ替えたのだ。家族と呼ぶににふさわしい人間になったのだと。
その次の手紙にはこう書いてありました。
『明日から南米に発つ。数年間は手紙が書けないかも知れないが、心配しないでおくれ。こっちは上々だ。大金を掴んだらル・アーヴルに戻るから、その時はみんなで幸せに暮らそう』
──みんなで幸せに暮らそう……みんなで幸せに……幸せに──。
(エコー効果付き)
その手紙は家族のバイブルになりました。大陸で成功を収めているジュールは今や家族の希望の星。父はもちろん、彼を軽蔑していた母までがこう言います。あの人はきっと大金持ちになって私たちのもとへ帰って来るに違いない。そしたらこの生活もきっと変わるわ!
それから10年の間、ジュールおじさんからは音沙汰がありませんでした。でも時とともに家族の夢は膨らんでいくばかり。おじさんのお金を元手にあれもしようこれもしようと計画を立てはじめる父。そして日曜日に港へ行ってはアメリカ帰りの船を眺め、凱旋したジュールがデッキからハンカチを振る姿を想像して胸をときめかせるのでした。
そうやっておじの帰りを待っている間に適齢期を越してしまった姉の一人に、ようやく縁談がまとまります。相手は真面目な男ですが決して裕福ではない勤め人です。だから家族は彼にジュールの手紙を見せ、「うちにはこういう人がいるから、心配ご無用ですよ」と安心させます。こうして姉の結婚にさえ、ジュールの手紙は威力を発揮しました。
家族は結婚式のあとみんなでジャージー島に旅行することにしました。ドーバー海峡にあるイギリス領のこの島は、貧乏人の旅行先としては理想的な場所だったのです。一応名前だけでも外国旅行と言えるし、同時に島の人々の哀れな暮らしぶりを目にして、こいつらの方が自分たちより惨めじゃないか、と優越感を覚えることもできるからです。
日曜日の散歩のときみたいに正装して船に乗り込む家族。
ところが、ジャージー島に向かう船の中で、思わぬ再会がこの家族に訪れます。
つづきは、次回に。
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