妻に引きずられる夫「家庭」②

 『第2話 孤児のごとく』


「ドクター、お食事がまだならぜひ召し上がって行ってください。あの人もお友達がいると少しは気持ちも和らぐでしょうし……」

「そうですか、それなら遠慮なく」

 ドクターは引き止められるまま、家族と一緒に遅くなった夕飯を始めました。


「アルフレッド、君も食べなきゃ体に毒だぜ」

 食べる気も失せてしまったカラヴァン氏は、ただぼうっとテーブルのパンを丸めて団子にするばかり。しかし突然喉が渇いてお酒を一気飲みしてしまいます。空きっ腹に沁みわたり、酔いがまわる。これはいい、もう今の自分にはこれしか薬がないとばかりに、カラヴァン氏はガブガブ飲みはじめます。

「よっしゃ、それでいい。飲め!」

 ドクターも他人の酒だと思って飲み放題。すっかりできあがって、

「ちょっと外に出よう。こんな時に家にこもってちゃいかん」

 とカラヴァンを連れ出します。


 しかし気休めに散歩しているはずが、カラヴァンの胸には若かりし日の母の姿が浮かんできてしまいます。

「ママン……僕のママン……」

 また泣き出しちゃった。

 シュネ先生は面倒くさくなったと見えて、彼を置いて行きつけのスナックへ向かってしまいました。


 一人になったカラヴァン氏はひとしきり泣いたあと、いつもの駅前の居酒屋へ行きます。みなしごの気持ちになった自分を飲み仲間に慰めて欲しかったのです。でもそこにいた客たちは、うわべだけのお悔やみを言ってまたゲームに戻ってしまいます。まるで「それがどうした」と言わんばかりに。本当につらいときに心から慰めてくれる奴なんていない、という作者の厭世的な面が如実に出ています。この人はホントに人間嫌いというか……。

 カラヴァンは失望して結局家に帰ることにしました。



 『第3話 あ……うん』


 帰って来たら妻が待ち構えていました。

「ちょっと話があるんだけど。おばあちゃん、遺言状はちゃんと残してるんでしょうね?」

 まだカラヴァンが悲しみにくれているというのに妻はもう遺言状のことを考えています。

「えっと……書いてないと思うけど……」

「なんですって?! この10年間私はずっと我慢して姑に仕えてきたのよ。どれだけ辛抱したと思ってるのよ。それで私たちのために何も残してないなんて、そんなの許せないわよ!」

 奥さん。気持ちは分かるけど、今そういう話をしないであげて。


「それからね、明日あなたの妹のとこに電報を打つこと。でも朝イチじゃなくて、ちょっと時間を稼いでからよ。早く来られて引っ掻き回されるのヤだから」

 それを聞いてカラヴァンはハタと気づきます。

「それで思い出した! 明日、役所に休みを届けないと」

「そんなのしなくていいわよ! こういう場合は特別なんだから、バタバタしてましたって言えば上司だってあなたのこと責めないわよ!」

 その通りだ。あの口やかましい上司も不幸があったって言えば口をつぐむだろう。ああ、僕の妻は本当に頭がいいなあ。


 奥さんは何やら考えごとをしていましたが、思い切って夫にこう言います。

「そうだわ、明日あなたの妹夫婦が来る前に、おばあちゃんの大理石付きの箪笥とブロンズの置時計、下の階に運びましょう。私あれ欲しかったの。あなたの妹に取られる前に。さあ急いで!」

 どさくさに紛れて狙っていた家具を勝手にもらっちゃおうという魂胆。

「そ、それはちょっと大胆すぎないか……?」

「あなたはそんな風だから他人に何でも取られちゃうのよ。いいから! 急いで!」

「あ……うん」

 

 二人は寝巻きのままおばあちゃんの部屋から箪笥と置時計を運び出します。箪笥に入っていたおばあちゃんの服はプラスチックの衣装ケースにでも入れておけばいい。

「これでよしと」

 妻は手に入れた箪笥にさっそく自分の服をつめ込み、満足そうに微笑みました。


 翌朝。

 目覚めたカラヴァン氏は、ママンが亡くなったことを思い出してまた泣きそうな気持ちになっています。そこへ妻が、

「はい、今日のやることリスト」

 とメモを差し出します。そこには、


1 役所に死亡通知

2 医者に死亡診断書をもらう

3 棺桶の注文

4 教会に行く

5 葬儀屋の手配

6 訃報ハガキを印刷屋に頼む

 etc… etc…


「よろしく」

「あ……うん」

 悲しみにくれる間もなく現実に追い立てられるって感じ。

 奥さんにしてみれば「悲しみに」の部分がないから、とにかくサクサク片付けちゃおう、ってことでしょう。しかも頭の回転が速いから夫より先に先に物事を進めていく。夫は妻に引きずられるように「あ……うん」と従うだけ。でもこういう夫婦ってけっこう多いんじゃないですか。


 長い一日はまだ始まったばかり。

 では次のエピソードにつづきます。



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