過去の代償「父親 Le Père」

「シモンのパパ」が表なら、こちらは裏。対象的な男の話を取り上げてみます。


 ウソつきな男。卑怯な男。情けない男……。

 こういった男たちを書かせたらモーパッサンの右に出るものはいない! と僕は思っています。女性には若干甘いが同性にはなぜか手加減しない先生。男だからこそ分かる男のずるさ弱さ汚さ、全部見せます。残酷なぐらい。だから僕はこの人を信頼するんですが。


 で、今日取り上げる短編は、それに加えて、彼のもうひとつ得意とする「父性」というテーマを絡めたお話です。


 フランソワは小役人。毎朝通勤する乗合馬車で一緒になる女の子に恋をします。これって現代でも通用するシチュエーションね。で、彼女もフランソワを意識するようになって、ある春の日に二人はようやくデートまでこぎつけます。ここまでは可愛い。

 デートの日、彼女はフランソワに恐る恐るこう言います。

「私、あなたと真面目にお付き合いしたいの。だからその……何もしないって、約束してね……」

 フランソワは「もちろんだよ」と答えながらも内心はがっかり。だってねえ、昨夜はそのことばっかり考えてたわけだから。


 それでもぎこちないなりに楽しくデート。彼はルイーズという名前をようやく聞き出し、彼女は乙女チックにマーガレットの花を摘んだりして散歩するうち、ブドウ畑の奥に広がる満開のリラの花に目を奪われます。

「なんて素敵!」

 リラの木の根元に腰を下ろす二人。かぐわしい花の匂い。ロマンチックな雰囲気にだんだんうっとりとしてきて……。

 フランソワは約束を忘れます。

 でもルイーズもついこの空気に呑まれてしまい、彼に処女を捧げてしまうんです。

 

 1週間ほどののち。

 あれからずっと姿が見えなかったルイーズがある夜突然フランソワの家にやって来ました。母親の元を離れ、愛しい人の胸に飛び込むルイーズ。「あのこと」のために罪の呵責に苦しんでいた彼女にとっては、きっとこれは思い詰めた挙句の行動だったんでしょう。そして二人の同棲生活が始まります。


 でも。

 3カ月ほど一緒に暮らすうちに、彼は彼女に飽きてきました。一般に男のサガと言われるやつでしょうか。しかしそんなときに限って、彼女が妊娠していることを知るんです。

 ──まずい。これはまずい。責任取らされるなんてまっぴらだ。これはなんとしても逃げなければ。

 彼はルイーズを置いてひとり姿をくらましました……。


 話は10年後になります。

 フランソワは歳だけを取り、昔と同じ独身生活を続けています。同じ時間に起き、同じ通りを歩き、同じバスに乗り、同じ職場に行き、同じ仕事をする毎日。しつこく「同じ」と繰り返しているのは作者の意図。彼は代り映えしない生活の中、ひとりで歳を取っていく虚しさをようやく感じ始めたのです。

 ある日曜、公園を散歩していたフランソワは、2人の子どもを連れた婦人を見て息が止まります。それは彼が棄てた女、ルイーズでした。そして10歳ぐらいの男の子を見て、自分の子どもの頃の写真を思い出す。まるで瓜二つ。じゃあこの子は、あのとき妊娠させた、自分の子ども──。

 

 それから毎週日曜日、彼は息子の姿をこっそりと眺めるため公園に通うようになりました。我が子に対する執着は深まるばかり。あの子を抱いてみたい。頬っぺたにキスしたい。奪い去りたい!

 でもそんなことは許されない。孤独な男はおのれの罪の結果に苦しむようになります。こっそりと後をつけて住所まで調べるフランソワ。ルイーズは立派な男性と結婚していました。私生児を我が子として受け入れる器のある男と。フランソワとは正反対の男と、です。

 ある時思い余ったフランソワはルイーズの前に姿を現し、「私を覚えていませんか」と声をかけてしまいます。男を見たルイーズは恐怖と憎悪の叫び声を上げ、子供の手を取って逃げて行く。無理もない。彼女にとってこの男がどんなに忌まわしい存在か、想像がつきますよね。


 もう公園で見かけることもなくなりました。どれだけ彼女に手紙を書いてもなしのつぶて。そして息子に会いたいという願望だけが日増しに膨らんでいく。

 ついにフランソワは殺されることを覚悟で夫の方に電報を打ちます。


 ──あなた方にとって私が嫌悪の対象であることは重々承知しています。でもこの苦しみに私はもう耐えられないのです。お願いです、どうか10分だけ、子どもに会わせて頂けないでしょうか──。

 すると返事がきました。

 ──火曜日の5時にお持ちしています。


 破裂しそうなほど心臓を高鳴らせながら訪問するフランソワ。彼を迎えたのは厳格で品のあるブルジョワの紳士でした。

「あなたのことは妻から聞いております」

 お前がどんな人間か全部知っているよ、と言いたげな厳しい視線。

「一度きりで結構です……子どもを……抱かせてもらえませんか……」

 震えながらそう言うと夫は子どもを呼びます。


 見知らぬ来客の顔を見て少年は怪訝な顔をします。夫が気を利かせて背を向けた隙に、フランソワは少年を抱き上げ、その目に、頬に、髪に、ありったけの口づけを浴びせます。知らないおじさんにいきなりいっぱいキスされて嫌がる少年。

 フランソワは我が子を床に下ろし、

「これきりです。さようなら」

 と言い残し、泥棒が逃げるかのように立ち去りました──。


 後半における作者のフランソワに対する書き方は容赦がなくて、彼の苦悩をフォークで突き刺すみたいにグサグサ責めている。逃げるように去る「本当の父親」は情けない敗北者であり、同情の余地もない。いっときの保身がこんな惨めさを味わうことになるとは、あの時の彼は知りもしなかったのでしょう。過去の代償はあまりにも大きかった。

 そして最後、突き放すように物語を終わらせるモーパッサンの筆に、彼の持つ冷ややかな一面を見る気がします。

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