ぼくの父ちゃんになって!「シモンのパパ」②

 そこに立っていたのは大きな職人の男。黒い縮れ毛にひげを生やし、優しい目でシモンを見ています。

「みんながぼくをぶったんだ。ぼくには父ちゃんがいないからって……」


 ははあ、これが例のブランショットの息子だな。男は思いました。村に移り住んでから日は浅いものの、彼もまたブランショットの噂はそれとなく知っていたのです。

 職人はシモンを家に送り届けてやります。実をいうと、心の中にはいささかスケベな気持ちもありました。村でも美人という噂のブランショットだ。もしかしたらお近づきになるチャンスかも知れない……なんて、ニヤニヤしながら。


 しかし、扉の前でブランショットの姿を見た男はニヤニヤするのをやめてしまいます。そこにいた彼女の顔がその悲しい人生を物語っていたからです。彼が見たのは、もう二度と一歩たりとも男をこの家へ寄せつけまいとする、青白く険しい、裏切られた女の顔。


「あ、あの……息子さんが、川で迷子になってたもんで……」

 男が気まずく帽子をもてあそびながら呟くと、シモンが母に飛びついて言います。

「違うよ、ぼくは溺れようとしたんだ。みんなが……ぼくをぶったから……ぼくには父ちゃんがいないって……」


 それを聞いた途端、いいようのない苦しみが母を襲いました。自分のせいで幼い息子が犠牲になったのだと思うと涙をこらえることができません。シモンを抱きしめて口づけの雨を降らせる母。

 職人はその様子を見て切なさに胸が詰まり、立ち去ることができなくなってしまいます。

 するとシモンが突然彼に向かってこう言うのです。


「──ねえおじさん、ぼくの父ちゃんになって!」


 男があっけに取られて答えられないでいるとシモンは繰り返します。

「ぼくの父ちゃんになってよ、じゃないと今度こそ川に飛び込んで溺れてやるから!」

 きっとこれは子どもの冗談だろう。そう思った男は笑いながら答えました。

「分かったよ、お前の父ちゃんになってやるよ」

「じゃあ名前を教えて。学校の連中に訊かれても答えられるように」

「フィリップだ」


 シモンは黙ってその名前をしっかりと頭に叩き込み、それからフィリップに向かってようやく安心した様子で、

「フィリップ、あんたはぼくの父ちゃんだからね」

 それを聞いたフィリップは思わず少年を抱き上げると、両頬へキスをして去って行きました。


 それから3カ月が過ぎました。

 フィリップはブランショットの「小さいがよく掃除のゆきとどいた家」をしばしば通りかかっては、彼女が窓辺で繕い物などをしている時に思い切って声をかけるようになりました。彼女は生真面目な様子で礼儀正しく答えてくれますが、けっして笑顔は見せません。だけど男の自惚れか、フィリップは自分と話す時に彼女がその青白い頬を少し赤らめるような気がしていたのでした。

 シモンはといえば、この新しい「父ちゃん」にすっかり懐き、日暮れにはほとんど毎日のように一緒に散歩をしました。そしていじめっ子たちなど意に介さぬ様子で、熱心に学校に通うようになります。

 

 そんなある日。

 学校のあと、シモンはうなだれながらフィリップの働いている鍛冶場へ向かいました。暗い鍛冶場の中に職人たちの鍛える鉄だけが真っ赤に光り、火花を散らす。たくましい腕をあらわにして黙々と鉄を叩き続ける男たち。

 そこへ現れたシモンは、フィリップの袖を取ってこう言います。


「みんながフィリップは本物の父ちゃんじゃないって」

「どうして」

「だってぼくのお母さんと結婚してないもん」


 お前はウソつきだ。お前が父ちゃんと呼んでるフィリップは赤の他人じゃないか、と、シモンは意地悪な子どもたちからそう言われたのです。

 これは痛い。お遊びのような親子ごっこではもうごまかせません。


 鍛冶職人たちは手を止めて真剣に二人を見つめています。思いに耽るように手の甲を額に押しつけるフィリップ。シモンのことも、そしてブランショットのことも曖昧なまま、無難な立ち位置に甘んじている自分を顧みるかのように。

 すると、職人のひとりがこう言いました。


「俺はブランショットは気丈な女だと思うぞ。不幸を背負っても健気に生きているじゃないか。いったいあの女がどんな過ちを犯したというんだ? 世間にはもっと小ずるい連中がいるってのに、なぜ彼女ひとりがこんな責めに遭わなければならないんだ。家から出ることもできず、ずっと涙に暮れている彼女の心を思え。女手ひとつで息子を守って育てていくことがどんなにつらいことか──」

 つつましく健気に生きている女は、まっとうな男にこそふさわしい。


 この職人の親父のセリフは「その通り!」と声をかけたくなるほどカッコいい。

 鍛冶場の職人たちはみなその言葉に賛同します。フィリップはシモンに向かってこう言います。

「今晩お母さんに話があると言っておいで」


 鍛冶職人たちは仕事に戻り、鉄を鍛え続けます。

 背中を押されたフィリップにもう迷いはありません。振り下ろされる槌の音はたくましく喜びに満ち、教会の鐘の音の中でひときわ強く響く大鐘のように、彼の槌の音はひと打ちごとにどんどん強くなっていきます。鍛冶の描写と、一世一代の決意をした男の心の中がリンクする、秀悦なワンシーンです。


 ……では、最後へ続きます。

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