あなたはこのオチを笑えるか?「首飾り」③

 大変なことになりました。

 返さねばならないダイヤモンドの首飾りを、よりによって失くしてしまうなんて。


 警察、新聞、タクシー(馬車)会社、彼らはありとあらゆるところに必死で問い合わせますが、首飾りは見つかりません。

 一週間の捜索ののち、5歳ぐらい老け込んでしまった夫は、マチルドに言います。


「もうダメだ。代わりを……買って返さないと……」


 宝石店という宝石店を尋ね歩いて、彼らはようやく失くした首飾りそっくりのものを見つけます。

 お値段、なんと3万6000フラン。

 約3千6百万円。数字で表しましょう。36,000,000円。

 ゼロ多すぎ。マンションでも買うつもりですか?


 しかし、買わねばならない。借りたものは、返さねばならない。

 宝石商に3日間の猶予をもらい、夫は借金に奔走します。父親の財産に加え、あっちに借り、こっちに借り、ついにはサラ金にまで手を出して、なんとか3千6百万円を都合した彼らは、そのダイヤモンドの首飾りを購入し、代わりの品とバレることなく友達に返します。


 さあ、ここからが底辺ブルジョワの生活残酷物語。

 莫大な借金を抱えた彼らは、今までの生活すら続けることができません。女中には暇をやる。夫は深夜にコンビニでバイトする。アパートは引き払って屋根裏部屋に引っ越す。ちなみに屋根裏部屋とは、最悪な住み家の代名詞とでも言っておきましょう。7階とか8階にある、寒くて暑い部屋です。そもそも使用人が住むような部屋ですから。

 

 マチルドは家事労働の何たるかを知ることになります。電化製品のない時代のこのつらさ。ピンクの爪は鍋洗いや洗濯物で台無し。水道なんかないから、通りへ水を汲みに行って、ヒイヒイ言いながら屋根裏部屋まで運ぶ。スーパーのチラシを端から端までチェックし、一番安いお店に買い物に行って、さらにそこでも値切る。


 そんな暮らしが、10年続きました。

 そして10年ののち、ようやく彼らは借金を返しました。


 今やマチルドは昔のマチルドではありません。彼女は老けました。髪はボサボサ、スカートが曲がってても気にしない。真っ赤な手をして水をたっぷり汲み、デッカイ声で喋る。そう、彼女はすっかり長屋のおばちゃんになってしまいました。


 それでもふとした時に彼女は考えます。

 ──もし、あの夜、あの首飾りを失くさなければ……。

 運命のなんと意地悪なことか。ほんの小さな出来事のおかげで、こうも人生を変えられてしまうなんて……。


 そんなある日、気晴らしにシャンゼリゼ通りを歩いていた彼女は、ひとりの女性に目をとめます。それは彼女に首飾りを貸してくれた友達でした。昔と変わらない、若く美しい、リッチなお友達。

 話しかけたい。そうよ、話しかけてもいいんだわ。だってもうあたしには後ろ暗いことなんかないんだもの。借金は完済したんだもの。


「こんにちは、ジャンヌ」

 突然長屋のおばちゃんに話しかけられたお友達はびっくり。ちょっぴり迷惑そうな目で、

「えーっと、わたくし、あなたのこと、存じ上げてますっけ?」

「あたしよ。マチルドよ!」

 ……マチルド?

「ええーっ! マチルド?! あんたほんとにマチルド?! どうしちゃったの、こんなに変わっちゃって!」

 と正直に感想を述べてしまいます。


 マチルド、ここはもう全て明かしてしまおうと、首飾りを失くしたこと、宝石店で3万6000フランの代品を買ったこと、そしてそのせいで自分はこんな惨めな生活に身をやつしていることを語ります。


「じゃあ、あなたはわざわざ新しいものを買って返してくれたってこと?」

「そうよ。分からなかったでしょ。本当にそっくりだったもの。でもね、もういいの。借金は終わったし、あたし、これでも満足なのよ」

 健気に笑うマチルドの手をぎゅっと握りしめて、友達はこう言います。


「ああ、なんて気の毒なひと! あのダイヤモンドは模造品だったのよ。あの首飾りの値打ちなんて、せいぜい500フランほどだったのに……!」


 はい、これがオチです。

 あんなに苦労して返した首飾りが、500フラン……。

 がっくりと力が抜けそうなセリフ。

 モーパッサンの小説では誰かのセリフがオチになっていることが多いんだけど、その中でも秀悦なひと言です。笑える。でも笑えない。口元が引きつるような笑い。


 彼の大得意な後味の悪さと、「しょうもねー!」と突っ込みたくなる下らなさと、口の中に残る苦~い笑いがクセになる優秀作品でございます。




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