一夜限りのシンデレラ「首飾り」②
夫が持って帰って来たのは、とあるお金持ちの主催する豪華なパーティの招待状でした。こんなパーティにおよばれするなんてラッキー!
「すごいだろ。これ、手に入れるの大変だったんだぜ」
夫は妻の喜ぶ顔を期待します。なのに。
「あんまりだわ! 残酷だわ! あたし行けないわ!」
マチルドは泣き出します。
ええー?
「どうしたんだいハニー。嬉しくないのかい?」
焦る夫にマチルドは言います。
「だってあたし、こんなところに来て行けるドレスなんかないもの……」
あっ、痛いところを突かれました。そのへんの劇場に来ていくようなドレスではみっともなくて笑いものになるだけ。これは確かに真実。旦那は恐る恐るマチルドに訊きます。
「じゃあさ、幾らぐらいあれば、恥ずかしくないドレスが買えるのかな……?」
マチルドも遠慮がちに答えます。
「そうねえ……400フランほど……かしら」
400フラン。ざっくり40万円としましょう。19世紀は基本的に洋服はあつらえが当たり前。そして当然高い。多分ウン百万円っていう買いもの。H〇Mとかユ〇クロとかみたいにポンポン買えるものじゃないんです。
でも、この頃にはデパートができて、いわゆる「既製服」が売られ始めます。例えば有名デパート「プランタン」のカタログでは、パーティ用ドレスが475フランだったそう。あつらえが当然のこの時代ではこれは安いとみなされます。だから、マチルドが言った400フランというのは、決して高いものねだりをしてるわけじゃないんです。
でも結局高い安いってのは、その人の収入がいくらか、という主観的な感覚で決まるものですよね。だからこの夫の月収15万円を考えると、40万円のドレスはちょっと厳しい。
しかし、夫には金がありました。猟銃を買うためにこっそり400フランをへそくりしておいたんです。
──買いたかったなあ~。猟銃……。
と思いながらも、優しい夫はその400フランで彼女にドレスを買ってやります。
これで安心だね。と思いきや。
「身につけていくアクセサリーがないわ。あたし笑いものだわ」
今度はアクセサリーかよ。大変だなあ。でももうお金ないよ。
「じゃあ例の金持ちの友達に頼んで貸してもらえよ」
マチルド、目から鱗。そうだ、借りればいいのだ。
というわけで、友達のところへ。
「どれでも好きなの持って行きなさい」
と、友達は太っ腹です。マチルドは悩みに悩みますが、ふと目に入ったダイヤモンドの首飾りに釘付けになります。こわごわ鏡の前で試してみると。
──ああ、まるであたしのためにあるよう。
そしてこのダイヤモンドの首飾りをつけ、意気揚々と夫婦でパーティに繰り出します。
この夜はマチルドのためにありました。彼女はそこにいた誰よりも美しく、優雅で、華やかだった。誰もが彼女を振り返り、男たちは次々にワルツの相手に名乗りを上げました。マチルドは喜びに酔いしれました。みんながあたしに注目する。これ以上の幸せはない。なにも考えなくていいの、今はこの栄光に浸っていたいの。これが本当のあたし──。
まさに彼女は「シンデレラ」でした。幸せの絶頂にある女の、なんと艶やかで美しいことか。たった一夜のシンデレラと分かってはいても、それは一生に一度の彼女にとっての栄冠だった。……はずなんですが。
明け方、後ろ髪をひかれるように帰宅した彼女は、最後にもう一度だけ自分の姿を目に焼きつけておこうと、鏡の前に立ちます。
そしたら──、
「ない! ないわ!」
「へっ? 何が?」
疲れ果てて、すでにもうパンツ一丁になっていた旦那が振り返ります。
マチルドは真っ青な顔でこう言います。
「首飾りよ。友達に借りたダイヤモンドの首飾りを……失くしてしまったわ!」
つ づ く。
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