小市民の生活辞典「首飾り La Parure」①
モーパッサンの短編でも有名な一編。だからやっぱり素通りするわけにはいかないと思って。でもこれについての評論は、その有名な「オチ」ばかりを語られることが多いから、それは後回しにして、僕はこれを「19世紀の小市民辞典」として読ませてもらいます。なぜなら、この話は1880年代の底辺ランクのブルジョワの生活が垣間見られる、ちょっと面白い社会学資料みたいなとこがあるんです。
主人公。マチルド。20代前半ってところかな。彼女は美人。なのに貧乏な家に生まれたせいでその美貌を生かすことなく、しがない公務員と結婚する。だって持参金とかないし、お金持ちとの出会いもないし。だから自分の人生を不満に思っている。
旦那は公教育省の事務職員。公務員の中でも一番ランクの低い人種と思ってくれたらいい。モーパッサン自身、若い頃ここで働いてたから、底辺の公務員のつらさはよく分かるらしい。
なんたって給料が低い。
注釈を見ると、当時のこういった職員は、年収で1800フランから2500フランもらってたらしいんです(勤務年数による)。だから月収にすると150フランから200フランちょっとってとこですね。ピンとこないでしょ。これだから外国の、特にひと昔前の話は困るんだよな。お金の価値がピンとこないもの。
一応定説としては、1フラン1000円で勘定すればいいってことになってます。だからまあ月収15万円と考えましょう。この時代は労働者階級以外、女性は働かないことになってるから、旦那はこの給料で家族を養わなきゃいけないんです。
それだけじゃない。一応彼らはブルジョワの部類に入るから、奥さんに家事なんてさせちゃいけない。だから女中がいる。たいていはブルターニュとかオーベルニュとか、そういう貧しい地方出身の女性がパリに奉公に来ていたらしいです。
月収15万円で人件費までかかる。けっこう厳しいなあ、と思うでしょ。実際厳しいんです。でも足りないからって夜コンビニでバイトとかしちゃ駄目ですよ。あなたはブルジョワなんだから。
収入の少なさはダイレクトに食費に反映されますよね。だから食事はポトフ(野菜の煮込み)。毎日ポトフ。え、ポトフなんて美味しそうじゃん、なんて思ってはいけません。これは思いっきり庶民の料理です。かわいそうな料理なんです。
マチルドは夢みがちな女性だから、「あたしこんな暮らしをするはずじゃなかったわ」といつも思っています。彼女が想像するのは、洗練されたシックな居間。クラシックな調度品。お友達との5時のお茶。食事には、上等なお皿に盛られたピンク色のマスや、珍しいジビエ料理。
でも目の前にあるのはポトフ。繰り返します。ポトフ。これが現実。
あたしってほんとツイてない。3日間もテーブルクロスを替えないで、食事はいつもこればっかり。なのに旦那なんか、「いやあ今日はポトフか。ごちそうだなあ。これ以上のごちそうはないよ」なんて、目を輝かせちゃって。馬鹿じゃないかしら。
彼女は素敵なドレスが欲しかった。キラキラ輝く宝石が欲しかった。だって、あたしにはそれが何よりふさわしいもの。でもそんなものはない。ドレスだの宝石だのなんて夢のまた夢。友達なんかお金持ちと結婚して、遊びに行くたびにリッチな暮らしぶりを見せつけられて、みじめな思いをさせられる。じゃあ行かなきゃいいのに、遊びに行っては屈辱的な気持ちになり、そのあと数日間は泣き暮らしている。
しかし!
そんな小市民生活に甘んじるマチルドに、ある日夫が素晴らしいプレゼントを持って帰って来ます。さて何でしょう。
つづきます。
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