過去に取りつかれた男のサイコな愛「髪の毛 La Chevelure」
戦争の話が続いたのでここでひとつサイコっぽい話を(なぜそっちに行く?)
例えばの話です。
あなたが映画館にいるとして、ふと気がつくと、スーツ姿のシックな男が「髪の毛」とデートしているところを見たら、どう思います? カツラとかじゃなくて、切り取られた、本物の人毛。たっぷりと長い金髪。それをあたかも恋人のように隣にはべらせて、うっとりと見つめ、「ポップコーン食べる?」なんて優しく声をかけていたら?
ぞわー、ですよね。どう考えてもヤバい人でしょう。
で、19世紀のフランスでそんなのが見つかっちゃったら、即連れて行かれますよね、いわゆる病院に。
今回はそんな「髪の毛」に恋をしてしまった男の話です。
その男は独身。32歳まで平和に暮らしていました。穏やかでリッチな生活。彼女なんかも作ってはみたけど、自分は恋に溺れるタイプじゃない。ほら、愛なんて面倒くさいだけだろう? 僕は自分の思い通りになるこの生活に満足しているのさ。そういう男。
彼はアンティークのファンです。百年前の家具とか時計とかが大好きです。彼はそういう古いオブジェをなでなでしながら、昔どんな人間がこれを所有していたんだろう、どんな女性がこの華奢な美しい時計を眺め、愛でていたのだろうと想像することが好きなのです。そして、そういった所有者たちが今は亡き者たちであることに涙します。
なんというのかなあ、昔のものに固執し、死んだ人たちのイメージを勝手に膨らませて思いを募らせる。そういう感じかな。彼は未来が嫌いです。未来は死しかないから。できることなら時間を止めたいぐらい。だからもう終わってしまった「過去」を愛でることで現実逃避しているのかも知れない。
ある日、彼は骨董屋で17世紀のイタリアの家具を見てひとめぼれします。即買い。で、例のごとく過去に思いを馳せながらその古い家具をなでなでしています。
偶然、彼はその家具に隠し扉のようなものがあることに気づきます。なんとかかんとか開けてみると、そこから出てきたのは──、
髪の毛。たっぷりと長く編まれた女性の金髪。それが金糸で束ねられ、黒いベロアの布にどさっと乗っかっています。
キャ―――ッ!
恐い! 恐すぎる!
男も最初はたじろぎます。しかし、彼はその髪を手に取るのです。光輝くしなやかな金色の髪が広がるように床へ流れ落ちる。
おお、なんと美しい──。
いったいこの髪は誰のもの? いつ、誰の手によって切り取られた? 恋人によって? 夫によって? あるいは別れのしるしに? あるいは報復のために? 誰がこの髪を隠した? 彼女の亡きあと、たった一つの生きていた証を守るために?
彼の頭の中はもう別の次元に飛び立っています。ガンガンに妄想を膨らませたあと、彼はほとんど信仰的な気持ちでその亡者の髪をしまいます。そして、あたかも恋人と愛し合った後の切ない余韻に浸るような気持ちで、ヴィヨンの詩なんかを口ずさみながら夜の街を徘徊します。
帰って来るとまたあの髪が見たくなります。引き出しを開けて髪の毛を見つめ、そっと触れてみる。すべらかな感触。ああ、心の安らぎを感じる。
それからは毎日毎日、髪のことが気になって仕方ない。
眠っていると、もうあの髪はいなくなっているのではないかと急に不安になり、家具の扉を開けて確かめる。ああ、居る。よかった。
でも扉を閉めた途端に恋人を閉じ込めてしまったような気になる。それでまた開ける。髪を抱きしめる。恍惚とする。もう、僕は君がいないといてもたってもいられない。
はい、一丁あがり。やられました。
彼は、亡者の髪に恋をしました。
彼の行為はエスカレートします。もう家具なんかにはしまいません。ベッドに連れ込みます。寝るときはいつも一緒。この髪を抱いていると、まるで恋人と愛を交わしているような気分になるのです。この髪は、彼女は、もう自分のものだ。
この辺りのモーパッサンの心理描写の上手なこと。髪の毛の束から生きているかのようなひとりの女を生み出し、二人は愛し合う。妄想が独り歩きし、彼はこの髪(女)なくては生きていけなくなるのです。
ついに彼は「彼女」をつれて街へ繰り出すようになります。髪の毛とデート。劇場の桟敷席で微笑みあう二人。映画館で「ポップコーン食べる?」みたいな状況。幸せだったのに。ただ恋人と幸せなときを過ごしていただけなのに──。
彼は捕まりました。病院に送られました。「彼女」と引き離されました。
ときおり独房から悲痛な叫び声が響きます。男の絶望の嘆き。
医者は呟きます。
「人間の精神とは、いかなることも可能にしてしまうのだ」と。
モーパッサンの不気味系の話でも、心理描写の冴えわたる一品です。
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