処女作にして傑作「脂肪のかたまり Boule de Suif」①

 さて、記念すべき第一回として取り上げるのは、彼のデビュー作にして出世作、「脂肪のかたまり」です。

 はっきり言いましょう。僕の中ではこれが最高傑作です。


 ああ、ダメじゃんそんなこと言ったら。最初にこれが最高なんて言っちゃったら、あとはもう尻すぼみじゃん。

 確かにそうですね。うかつだった。

 でも別にこれはランキングを目的としている訳ではありません。僕がちょっといいなとか、これは語りたいとか思った小説だけを取り上げるつもりです。そもそもモーパッサンは短編だけで300本ぐらい書いてるそうです。だから僕だって全然制覇していません。


 彼が作家活動をしていたのはせいぜい10年ぐらいです。30代の間にギューッと凝縮した執筆をして、40代前半で亡くなってます。その頃はもう体ボロボロだったみたいです。長生きして生涯ずっと書き続ける作家もいるでしょうが、僕はモーパッサンにはこの短い人生が似合っているような気がします。人生の短距離走者。こういう生き急いだ感じがどこか文章にも表れているかも知れません。なんせ、最初から出来上がってますから。


 余計なことを話しているうちに「脂肪のかたまり」を忘れていました。ええっとだから、モーパッサンの作品の中では一、二を争うぐらいこれが好きです。


 「脂肪のかたまり」ってのは主人公である娼婦のあだ名です。当時は肉づきのよい女性が美人とされる時代で、モーパッサンの作品を読むと、女性の描写がそれはそれはお肉たっぷりに描かれています。これは現代人にはなかなかピンときませんね。だけど男たちは彼女の二重あごを見て舌なめずりしちゃうんですよ。あともちろん美人です。(モーパッサンの小説には美男美女しか出てきません。)しかも愛国心が強く信念とプライドを持った女性。そこが非常に魅力的です。これが後で悲劇を生みます。


 舞台は普仏戦争中のノルマンディーです。1870年から1871年の戦争ですね。モーパッサン自身がこの戦争で兵隊の経験があるため、彼は戦争を強く憎んでいます。だから普仏戦争を扱った作品がいっぱいあります。いい話が多いので、またそのうち取り上げたいと思います。「脂肪のかたまり」はその代表格といえるでしょう。


 さて、プロイセンがすごい勢いでフランスを征服してくるので、当然のごとく逃げようとする人たちがいます。モネの大聖堂の絵で有名なルーアンという街から、今は工場地帯となったル・アーヴルへ向かう馬車の中には、10人の男女がいます。貴族からブルジョワから修道女から民主党員から娼婦まで。社会の縮図みたいな乗客です。彼らはそれぞれ事情があって、簡単に言えばさっさと安全なところに行きたいわけですよ。ところが豪雪。馬車は遅々として進まない。腹が減る。しまった、食料を持ってきてない。でも近辺の農民は自分たちのために食糧を隠してるから絶対くれない。みんな気絶しそうに腹が減っている。


 ところがひとりだけ用意のいい人間がいました。脂肪のかたまりです。彼女は大きなバスケットを取り出し、二羽分の鶏のゼラチン寄せ、パテ、フォアグラ、果物、スイーツ、パン、エトセトラ、おまけにボルドーワインと、本当にそれ全部バスケットに入るのかと疑問に思うぐらいのお弁当を、かわいそうな同乗者たちに振舞います。もちろんみんな大喜びで食べ尽くします。


 ひとってのは現金なもので、善くしてもらえるといきなり評価が変わっちゃうんですね。

 さっきまで、「あのひと、娼婦よ。いやあね。私たちとは違う種類の人間だわ」なんてコソコソ言い合ってたご婦人方は、突然彼女のお友達になります。中には、やっぱり娼婦とは話したくない、でも食べ物だけはしっかり頂く、という正直者もいます。このへんをチクリと刺す皮肉な書き方がモーパッサンの上手いところです。


 さてさて、ようやく宿に着いたご一行。ところがそこに待ち構えていたのは、恐るべきプロイセンの大将でした。ここからモーパッサンの筆が人間の汚さを見せつけてくれます。


 ……長くなりそうなのでつづきは次回にします。

 すいません。

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