第3話
▼回向院境内 勧進相撲 千秋楽
【真夏の暑さはとどまるところを知りません。本日は千秋楽、騒がしい客大勢に囲まれて、大相撲はいっそうの盛り上がりを見せています。ただ唯一心配なのは、今年の初夏頃から江戸の町で流行り始めた松風邪という流行り病のこと。事の発端は大阪相撲の力士・松風が引いた風邪だそうで、この名が付きました。彼が最初ではないでしょうが、可哀想なことで。この風邪、はじめに大阪・京都と猛威をふるい、普通の風邪より重症化しやすいといった恐ろしさ。とうとう江戸の町にも足を踏み入れ、瞬く間に江戸を駆けめぐり、今場所の優勝候補だった横綱・富士の岩の巨体まで冒して休場に追い込んでしまったといったありさま。波乱の今場所、千秋楽はいかになりますでしょうか】
老人 <いや、おもしろくなってきたな>
老人の連れ<何がだい?>
老人 <大関浅間山と関脇土浦の一騎打ちに決まってんだろう>
老人の連れ<初日、二日目とは大違いだね>
老人 <そうか?>
老人の連れ<あんな大喧嘩までして>
老人 <へへ、そんなこともあったっけ。横綱が流行りの風邪でいなくなったあと、綱取りを目指す浅間山と、大関を狙う土浦の全勝同士の千秋楽だろ?>
若者 <そりゃぁ、面白くねぇわけがねぇ>
老人の連れ<そりゃぁ、あたしのセリフ>
若者 <あっ、お前らはこないだの>
老人 <おっ>
若者 <また会っちまうとは>
老人の連れ<むしろ奇遇じゃぁないかい?>
老人 <も少し若かったら、ここで会ったが百年目、となるんだがな>
若者の連れ<もういい加減いいじゃぁねぇか>
老人の連れ<そうだ、そうだ>
若者 <もう後腐れもねぇ>
老人 <そうだぁなぁ>
若者 <もう千秋楽だ>
老人 <おう>
若者の連れ<今日はもう、浅間山と土浦の大一番を>
老人の連れ<一緒に見届けようじゃぁねぇか>
若者 <どっちがどっちを応援もねぇや>
老人 <ふん>
老人の連れ<あたしゃ、土浦>
若者の連れ<まぁまぁ>
老人の連れ<静かに熱く応援するよ>
老人 <それがいい>
【二日目にあんなに取っ組み合って大喧嘩していた二人が、今日となっては同じ大一番に臨む同士のようで。大喧嘩もなんのその、親しい友人のように肩を並べて取組を待ちます。そんななか、きたる大一番を直前に控えた土浦はと言いますと】
土浦 <ごっつぁんです>
親方 <いいか、今日が、今日こそが、ここ一番だ>
土浦 <ごっつぁんです>
親方 <今日勝てばお前の将来は光のなかだ>
土浦 <ごっつぁんです>
親方 <お前が一番わかってるだろう。親方が言えるのはここまでだ。よし、背中貸せ>
土浦 <ごっつぁんです>
親方 <おらっ、気合の入れなおしだ>
土浦 <ごっつぁんです>
親方 <お前も声かけてやれ>
付き人 <関脇、がんばってくださいよ>
土浦 <ごっちゃん>
付き人 <信じてます>
土浦 <ごっちゃん>
付き人 <それしか言わないけど、信じてます>
土浦 <ごっちゃん>
付き人 <あ、五津町の>
タニマチ <がんばってよ、がんばれ、がんばれ>
土浦 <ごっつぁん>
タニマチ <とうとうここまで来たね>
土浦 <ごっつぁん>
タニマチ <まずは大関>
土浦 <ごっつぁん>
タニマチ <そして、ゆくゆくは綱取りさ>
土浦 <ごっつぁん>
親方 <ははは、気が早い>
タニマチ <そう言うけどね、じゅうにぶんに>
付き人 <ありえますぁ>
タニマチ <わかってるね、若いの>
付き人 <ごっつぁんです>
親方 <こんなに応援される力士になって。よし、今日こそ、みんなに恩返しだ>
土浦 <ごっつぁんです>
親方 <行ってこい>
付き人 <ぜったい勝てます>
タニマチ<いい相撲を見せておくれ>
【皆に送り出されて、いよいよ千秋楽優勝決定戦が始まります。行司は木村円之助、呼出は当代きってと評判高い一朗太。土俵に役者はそろったと言った様子】
呼出 <ひが~し~、土浦~。に~し~、浅間山~>
【土浦はいつも通りの控えめな土俵入り。かたや浅間山、あたりに響き渡る大音声で気合い一喝、さらには天高々と塩を撒いての勇壮な土俵入り。観客もどよめき立ちますが、なかには平常心に見える土浦の勝利を予言する通ぶった者もいたりいなかったり】
行司 <見合って、見合って。待ったなし>
【さあさ、時間いっぱい。至近距離で見合う両者。一瞬、時が止まったかのような静寂が訪れた刹那、時はまた刻み始め、すぐさま聞こえる巨躯同士の衝突音】
親方 <いけっ>
付き人 <ほうらっ>
タニマチ <おお>
老人 <どうだ>
老人の連れ<よしきた>
若者 <・・・>
若者の連れ<うおっ>
【それは後にも先にもない取組となりました。真正面からかち合った両者、ほぼ同時に相手のまわしを取りにゆく手が、片手はぶつかって凄まじい握力で握り合われます。もう片方では、どちらも互いのまわしをむんずと掴めました。上手は土浦、下手は浅間山。暫時押し合うものの、それもたちまち均衡します。次には肩から全身をつかってのその均衡の崩し合い。刹那、古傷かなんぞや、土浦の顔にわずかに浮かぶ苦悶の色。百戦錬磨の浅間山、そこを見逃すわけもなく】
浅間山 <ふんっ、ぬああ>
土浦 <ぬおお>
【結果は浅間山が土浦を豪快に投げ飛ばして勝利をつかみます。投げ飛ばされた土浦は柱に衝突して】
土浦 <ご(っ)つ(ぁ)ん>
親方 <うわっ>
付き人 <あぁ>
タニマチ <あらまぁ>
【これはすぐ後になって大騒ぎになることですが、この豪快な衝突で、前途有望、大関間近だった土浦は即死していました。しかし、当座は誰もそんなこと気づきも思いもしませんで、割れんばかりの歓声が土俵を揺らします。固唾をのんで見ていた老人と若者の友達同士も同様で】
老人 <ああ、さすが浅間山。昨日の噴火も冷めやらぬ>
老人の連れ<土浦は霞ヶ浦の水をかけても、冷ますことあたわずだ>
若者 <いよいよ綱取りか>
若者の連れ<西の横綱浅間山となりゃ、富士の岩のひいき連中にゃ、浮き世と同様、お先真っ暗になるだろよ>
了
【落語台本】浅間山(あさまやま) 紀瀬川 沙 @Kisegawa
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