170 【挿話】名付けの蒼花②







そして、サフィリアは堕ちた。


生まれて300年以上経って、もう年を数えるのもやめていた、そんな退屈だったはずのある日、全身を激しい雷に撃たれて。


比喩でもなんでもない。彼女が住む湖にやってきた、いかにも偉そうなーー高貴な身分そうな少女の全力の雷魔法を受けたのだ。


被害ダメージは彼女の体力の限界を越え、体を構成する魂力は一度分解された。


彼女は自分自身が最強だと思っていた。同格に近い精霊に会ったことがあっても、自分を超えるモンスターには出会ったことはなかったし、まして人間はもろく壊れやすく短命な、か弱い生き物だとしか認識していなかった。


その人間に敗けた。


湖水のなかで、サフィリアは薄く瞳をひらく。特殊技能によって、自分の意識と体が再構成されたことを感じる。新しい命。


これからは、いままでとは違う生き方になるだろうと、うすぼんやりと思った。




突然現れ、サフィリアを討ち倒したその少女は、リュミフォンセと名乗った。西部に雄たるロンファーレンス家の公爵令嬢であるその少女に出会って。


サフィリアの生活は大きく変わった。


サフィリアが飛び込んだのは、まったく知らない世界だった。それは見聞きしていた知識とも、精霊として引き継いだ知識とも違う世界だった。それは主人が規格外だという理由もあることを知ったのはしばらく経ってからだったが、とにかくサフィリアの生活は変わった。


単調な日々が、彩りと刺激を帯びた。毎日が『祭り』になった。


仕事を割り振られ、慣れない役割を演じ、人と交わり、主人の話し相手になり、食事を楽しみ、街歩きに抜け出し、ときにモンスター相手に持った力を存分に振るう。


リュミフォンセと主従になってからそう月日が経ったわけではない。精霊の寿命からしてみれば、ほんの一瞬のことだ。しかし、その中身の濃さはどうだろう。今までとは比較にならない。


サフィリアは、いまはようやく巡ってきた、輝く季節なのではないかと思った。生命を燃やせる時間。その時間は、これほど充実しているものなのかと素直に驚いた。


そしてまた思う。この輝く季節は、いったいいつまで続くのだろうか。


祭りがいつか終わるように、最後の灯火が消えるように、この季節も、いつか終わりのときがくる。


それがいつやってくるのかは、誰にもわからない。


独りは嫌だ、と彼女は思う。


あるじは、いつまでもサフィリアをそばに置いてくれるのだろうか。


わからないが、あるじがサフィリアに求めているのは、一緒に仕事をする仲間、という役割に思えた。主従とは、そういうものかも知れないけれど・・・。


きっとそれは永遠の関係じゃない。


どういうものが永遠の関係なのかーー、サフィリアは街を歩いて見聞を広げるなかで知っていた。


『家族』というものを、人は持つらしい。


では精霊は家族を持てないのか?


そんな問いを漠然と胸に抱え、サフィリアの日々は流れていった。






■□■






実に奇妙なことだが。


永遠たる寿命を持つはずの、その精霊の彼女は、生き急いでいるように思えた。




とある夜。王子たち主導で王城で開催された夜会が、ちょっとした事件により解散にになって、すぐあとのこと。地面に激しく転がされながら、その男ーーヴィクト=アブズブール辺境伯子は、そんなことを思った。


永遠に近いはずの寿命を持つ大精霊が、生き急いでいるーーと思うことがそもそもおかしい。けれど、余裕ぶった動きの裏に、何かに焦っているのをなんとなく感じとったのだ。


そんな物思いとはまったく別に。現実の彼は、背中から地面に叩き付けられた。物理的な衝撃に肺の空気が塊となって口から漏れる。


「かはっ」


蹴りを受けた両腕が、篭手越しにまだ鈍い痛みとともにしびれている。北を守る自領は、雪降る冬の寒さだけでなく、モンスターと異民族の襲来に悩まされる地だ。身を守るために民も武器を取るならば、もちろん領主はより強くあらねばならない。


そういう教育方針もとで鍛え上げられたヴィクトは、猛者を謳われる臣下とも手加減なしの組み手をしている。


そのはずなのに、目の前の侍女姿の水精霊に、手も足も出なかった。


「かっか! ほれほれ、まだまだ行くぞ! 気を抜いているひまなどないぞ!」


銀髪を翻し、青い目をらんらんと輝かせ、その人形ひとがたの水精霊が言う。整った美しい外見が、逆に雰囲気に凄絶さを加えている。


『あるじさまのつがいに相応しいかどうか。わらわが見極めてやろう』


王都のロンファーレンス別邸で、ヴィクトは大精霊に初めて出会った。奇妙なことに侍女服姿の水精霊は、サフィリアと名乗った。


探り見た魂力の量から言っても、間違いなく大精霊格のはずだが、奇妙なことにそのサフィリアは、ロンファーレンス家公爵令嬢リュミフォンセの侍女であるという。


この大精霊兼侍女という奇妙な役割の少女を道案内に、リュミフォンセを追って夜間王都郊外の村へと移動していたところ、王都の門外の大通りで、水精霊は『精霊の試練』を言い出してきた。


内容は簡単サンファル


ヴィクトと同行者の第二王子殿下とともに、水精霊のサフィリアに挑む。一本取れたら勝ち、という内容だ。


水精霊とサフィリアとリュミフォンセが出会って3回目の夏のことだが、そう詳しくヴィクトが知る由もない。


最初はかよわい少女にしか見えない水精霊に対して、男二人がかりで挑むのは気が進まなかったが・・・。


結果は、ご覧の通りの惨状だ。


さきほどから男二人は、笑ってしまうほど無残に、地面に転がされている。たいして、水精霊は息も切らしていない。はっきりいって遊んでいる。


「水よ・・・」


サフィリアの周りのエテルナが動き出す。彼女の一見たおやかな指先に、いくつもの小さな詠唱紋が回転する。凶悪にも複数の魔法を同時に扱っているのだ。


次の瞬間には、水球と水弾が、サフィリアの周囲の空間に、みっしりと浮かぶ。合わせて100個ーーいや、300、数えきれない。


それが一斉に射ちだされーーなかった。弾幕は小分けにされて、時間差で、水球と水弾がヴィクトと第二王子に向けて放たれる。


遊ばれている、と思うが実力差は如何ともし難い。ヴィクトは魔法を操り盾を作り、さらに姿勢を低くして命中面積を減らし、どうしてもかわしきれない分は、自分の水球で相殺して、水の弾幕を防ぐ。


魔法が得意というわけではないが、なんとか避けれる。まるでこちらの実力のぎりぎりを狙ってくるような弾の数と軌道。サフィリアの本気をかけらも引き出せていないことを実感し、ヴィクトは魔法の盾のかげで歯噛みする。


第二王子はと言えば、地形を上手に使って曲射の水球・水弾をかわし。隙をみたのか、反撃の雷撃を撃ち込むことに成功していた。


その雷撃で、サフィリアが浮かべていた水球のいくつかは消失した。水は雷に弱い。


「ふふん。なかなかやるが・・・ほれっ!」


くんっとサフィリアが左手の指先を天へと向けると、ぱぁんと地面から空へ水流と打ち上がる。


むごい、とヴィクトは思う。


水流は、第二王子殿下の真下から打ち上がったからだ。物陰に隠れた状態から、無防備な真下からの攻撃を避けられるわけもない。


第二王子殿下が、盾にしていた地形ごと、為す術なく天へと舞い上がる。


(だが、機か)


サフィリアの注意が自分からそれたと感じたヴィクトは、腰の長剣を抜き放つと、水精霊に向けて長靴を鳴らして突撃する。


ヴィクト自身は精霊使いだが、契約している2体の精霊は、実はすでに地面に転がされていた。堅固に水の縛めの魔法で縛られてしまっては、しばらく戦線に復帰することは難しいだろう。あとは、精霊使いの本体たるヴィクトの自力でなんとかするしかない。


「紺色魔法ーー紺氷結!」


ヴィクトは魔法で凍結波を放ち、サフィリアの周囲に浮かぶ水球を一時的に凍らせる。ヴィクトの魔法では水球の表面を凍らせるに過ぎないが、これで水精霊の水球の操作権限を、一時的に奪うのだ。


試みは成功し、ヴィクトは水球の弾幕を突破。


そして水精霊のサフィリアへと迫るーー。ひと呼吸の間合い。


水精霊はハンデだと言って、右手で荷物の衣装行李でかついだまま。さらに左手に武器もなく、徒手空拳だ。


「御免ーー!」


駆ける勢いのまま、ヴィクトが撫で斬りに剣を振るう。


念を入れて、サフィリアのふさがっている右手側からだ。


会心の時宜。通常ならば一本を取れる。ヴィクトはそう思った。


相手は精霊、剣で斬っても大怪我にはなるまいーー組み手の前に、本人もそう言っていたし。


だが。


一瞬見えた水精霊の表情は、面白がるような余裕のかたち。


がぎぃっ、という音とともに、振り下ろした剣が止まった。


水精霊は、そのたおやかとも言える左手の平で、ヴィクトの刃を掴んで止めていた。


「んなっ」


声が出た。しかし驚愕している暇はヴィクトにはなかった。


サフィリアは刃を掴んだそのまま左手を振り上げたからだ。


剣を手放す時宜を失ったヴィクトは、体を浮かされて、体勢を崩した。


何が起こったのかを理解する間もなく、そして、地面に叩きつけるような軌道の上段回し蹴りをくらう。


真っ赤になった目の奥と、侍女服と銀髪が鮮やかにひるがえる視界がヴィクトの意識で入り交じる。


(・・・!)


草の上とはいえ、地面に全身を強く打ち付けたヴィクトは、衝撃に声も出ない。


(きょ、距離をーー!)


追撃を恐れ、せめて相手から距離を取るように彼は地面を転がるがーー。


「ほれっ」


軽い声とともに、容赦ない水精霊の攻撃が襲ってきた。


水球のひとつが形を変え、ぐんと伸びて水槍に変わり。


どしゅっ。ヴィクトの腹部を貫いた。


(ーー腹をやられた!)


致命傷だ。ヴィクトは攻撃を受けたほんのわずかな刹那で、それを理解する。


消化器系の内蔵を切り裂かれれば、助かる見込みは低い。ヴィクトはそれを経験から知っており、北部の戦いで、同じような傷で仲間も失っていた。


やられた部位もそうだが、傷が大きい。感覚では拳大だ。これなら多量の出血で死ぬか、痛みで死ぬかーー。


そんな思考が一瞬で出来たのは、これが走馬灯だからだろうかと、朦朧とした意識でヴィクトは思った。


「おっ、少しばかりやりすぎたかの」


あくまで軽い、水精霊の言葉が、ヴィクトの朦朧とする意識の端を通り抜けていく。


(俺は、ここで死ぬのか。まさか・・・こんなところで死ぬことになるとは、思わなかった)


精霊の試練。


突然に軽く始まったが、軽く見てはいけないことはわかっていたつもりだった。けれど、夜会を飛び出したひとりの姫を追いかけようとして、その侍女が大精霊で、その侍女に精霊の試練を課せられて結果それが自分の死につながるだなんて、事前に誰が想像できるだろうかーー。


(父上。母上。兄妹たち・・・。キャロ。すまん。先に逝く)


だが、すでに起こってしまったことだ。ヴィクトは目をつむり、自分が死ぬことをを受け入れた。眼の前が暗くなり、そしてすぐに意識が途切れるに違いないーー。


だが、その瞬間はいつまで経っても訪れなかった。代わりに、せせらぎの音が耳の奥に浮かぶ。


致死のはずの痛みは、朝露のように消え失せていた。一番強い刺激が消えると、ゆっくりと夜露の冷たさが、背中を襲ってきた。


死んでいない。ヴィクトはがばと跳ね起き、貫かれたはずの腹部を確認する。傷などひとつもない。綺麗なものだった。


「ひょっとして、幻覚・・・だったのか? いや・・・」


そう疑ってしまうほど、痛みはどこかにいっていた。


ぺたぺたと自分の体を触ってみても、綺麗なもので、そこに大穴が空いたのとは思えない。けれど、服には見事に大穴が空いて血で汚れているし、胃の腑の奥からこみあげてくる血の味は、体内で出血があったことを教えてくれる。


「精霊の試練はこれにて終わりじゃ」


ヴィクトの戸惑いをよそに、サフィリアが宣言した。


「傷はすべて癒やしておいたから、痛まんじゃろう。わらわは怪我であればすべてを癒せる。わらわが近くにおるあいだは、生命の心配をする必要はないぞ」


癒やした・・・。


ヴィクトは改めて自分の傷のあったところを見る。いつもどおりの自分の腹が、呼吸で上下している。ゆっくりと理解が追いついてくる。つまり自分は、水精霊の攻撃によって致命傷を負い、さらにその致命傷は水精霊の癒やしの技によって癒やされた。そういうことになる。


凄まじい癒やし。ヴィクトは心中で感嘆する。臓物までたちどころに治癒するなど、聞いたことがないし、以前ならば聞いたところで信じられなかっただろう。


普通の治癒魔法は、肉体組織の治癒能力を活性化させる。具体的には止血と体力回復にしか役に立たない。失われた肉体組織を蘇らせることさすがに不可能だ。不可能だと言われているし、自分も経験からそう思っていた。その壁を、水精霊はやすやすと越えて見せたのだ。真の万癒。たしかに、豪語するだけある。


少し離れたところでは、同じように癒やしを受けた第二王子殿下が起き上がっている。


「試練の結果じゃがな。まぁ、少し物足りんかったが、何度もわらわに立ち向かってきた意気を買ってやろう。誇るがよいぞ」


水精霊は、背をそらして呵々かかと笑う。どうやら試練には合格したらしい。


そうヴィクトは理解する。知らず、ほっと、息を吐いた。


そして、水精霊の笑顔と、ヴィクトの視線とがかち合う。


その笑顔は、なにか、ずいぶんと魅力的に思えて。ヴィクトは目をそらしたけれど、声は追いかけてきた。


「もしおぬしらが傷ついたとしても、あるじさまの前である限りは、わらわがすべて癒やしてやろう」


その言葉を、ヴィクトは心強いと思いながらも、どこか素直に受け止められなかった。というのも、この世界は循環し、均衡している。強い流れが出来ても、それはいつか世界の復元力の中に飲み込まれてしまう。外の世界に対する畏怖と畏敬が、精霊使いの教えだ。


強すぎる力は災いをもたらす。精霊と言えども、そのことわりから逃れられないのではないだろうか。


すべてを癒やしてやると誇った侍女服姿の水精霊。


凄まじいちからへの畏敬とともに、どこか均衡を欠いているという危うさを、ヴィクトは思った。











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