171 【挿話】名付けの蒼花③







夏が終わり、リンゲンにも秋がやってきた。僻地の秋は深まるのが早い。控えめな日差しが街を照らす一方で、山風を含む風は、ときおり切るような冷たさを含む。


寒暖の差が木々を磨き、街壁の向こうに見える森は、緑の装いを赤や黄色の鮮やかなものに変え始めている。


そんな様子が、執務館の屋根の上に登るサフィリアにはよく見えた。


屋根の上にも、赤色の葉が、風に乗って届いてきている。


こそこそと、橙色の焼き目がついた丸瓦を軽やかに踏んで屋根を渡り、人の目に入りにくい死角を選ぶ。その場所は、彼女のお気に入りの場所でもあった。


彼女はもはや侍女役ではなかった。大精霊でありながら、王国の4大公家のひとつであるロンファーレンス家の養女という身分。精霊は普通、人間の世界で身分を持たない。身分を持たないということは、なんの保障も与えられないということであるけれど、圧倒的な自由であるということでもある。


けれど彼女は人間界で身分を持つことになった。自分が大きな政略の中に組み込まれたことを理解しながらも、自分の目的に合致していることもまた認めていた。そして、今のところ、居心地はそれほど悪くない。


もともと精霊は自由だ。長い精霊の生で、仮初めの人の身分を持つのも悪くない。もし何かあれば、その仮初めの衣装を脱ぎ捨てればいいだけじゃーー。そんなふうに、軽く考えている。


身にまとう水色の絹地に白いレースをあしらった高級そうなドレスはひ弱ではあるけれど、それを破らないように、上手に動くすべを、サフィリアは充分に心得るようになっていた。


屋根の上、尖塔の影。お気に入りの場所についたサフィリアは、おもむろに魔法を使って水球を5つ、宙に出現させた。そしてそれらを高速で回転させる。回転が安定したら、また5つ水球を増やし、回転させる。またさらに増やしていって、その水球が90を越えたときーー。


ぱしゃっ。


水球は砕け、屋根の上に水たまりを作る。制御を失い砕けた水は、屋根のくぼみの傾きに沿って、するすると流れていく。


「・・・・・・」


サフィリアは流れ落ちていく水を見ながら、しばらく右手を手首からぷらぷらさせた。


「調子は戻らぬか。まあ、三枚おろしを癒したのじゃから、仕方がないかの」


そうして気持ちを切り替えるように大きく伸びをすると、ぺたんと尻を屋根瓦の上におろし、懐から手紙を取り出して読み始めた。






■□■







およそ1年前、魔王との戦いのあとに立ち寄った、都市ヴィエナにある、渉外館の中庭。


そこにたどりついたリュミフォンセ一行は、公爵に目通りするということで、魔王との戦いと旅塵でぼろぼろに傷んでいた服から美服に着替えることになった。


同行していた水精霊のサフィリアも同様だった。準備されたものはとても趣味の良いものだったが、彼女本人にはさほどお洒落をする趣味はない。早着替えに薄化粧をはき、最低限の装いをさっさと終えたサフィリアが中庭に出てみると、そこにはさらに早く支度を終えた、ヴィクト=アブズブール辺境伯子が居た。


魔王との激戦をともにし、知らぬなかではない。しぜん、どちらからということともなく、噴水の縁に腰掛けたふたりは、話を始めた。


「おう。体は大事ないかや?」


ざっかけない人形ひとがたの精霊の問いかけに、ヴィクトは苦笑しながらも答えを返す。


「ええ。おかげさまで、別段なんともありません。体力も戻ってきたように思います。傷跡もまったくないので、本当に自分の体が切断されたとは、言われてもなかなか信じられません」


「むっ・・・本当じゃぞ。見事にみっつに輪切りになったそなたの胴体を、わらわがそなたの生命とともにつなぎ直したのじゃぞ」


胸をそらし、両腕を組んだ姿勢のサフィリアは、とんとん、と自分の腕を自身の指でいらだたしげに叩く。そして、何かを思いついたのか、犬歯をむき出しににしてにいぃと口角をあげる。


「こんなことなら、派手な傷跡を残しておくべきじゃったのう」


参ったな、とヴィクトは両手をあげて降参を示す。


「そういうつもりでは・・・謝ります」


「ふん。謝るだけでは足りんわ。褒めい。わらわをたたえい。稀なる命の恩人様じゃぞ」


言われて、辺境伯子は、戸惑うように端正な眉を寄せる。


そしてはにかむように、言葉を紡ぐ。こういうのは、得意ではないのですが。


「その・・・装いが、とてもお似合いです。瞳の色と同じ晴れ着ドレスの青が髪に映えて、とても美しい」


「ふあっ!?」


サフィリアは顔を赤くし、頬とともに銀髪をふくらませる。


しばらくそうしたあと、ばんばんと噴水の縁を叩いて主張する。


「褒めろというのは、そういうことを言ったのではないわ! わらわの、治癒の、腕を! 褒めろと言ったのじゃ!」


「あッ、これは」後ろに流した黒髪をしきりに撫で付けながら、辺境伯子も顔を赤くしてうろたえる。「思ったことを、そのまま口に出しただけで」


「・・・!」


ひとしきりあたふたしたあとに、なんとかサフィリアは立て直す。


「・・・まあよいわい」


ぶすっとした表情を作ってみせて、しかし頬に赤みを残しながら、彼女は言った。それよりも、おぬしには聞いておきたいことがある。


「あのとき、何故わらわをかばった? そうしなければ、お主は3つに輪切りになる必要もなかったはずじゃ」


魔王との戦いで水の華の結界のなかでの戦いのとき、他の魔法を行使していたサフィリアをかばうため、襲ってきた蟷螂型の変異種モンスターの攻撃をヴィクトはその身に受けたのだ。


ヴィクトは難しい顔をして、思い出すように言う。


「あのときは、とっさのことだったので・・・。あの方法しか思いつかなかったのです。生き死にのことは・・・正直、頭に浮かんでいませんでした」


「心臓から脳への血がとまれば、そうじゃな、とおを数えるほどで意識を失う。じきに呼吸も終わる。まあおぬしの場合は、体を3つに輪切りにされたのじゃから、関係のないことじゃが。


血の代わりにわらわの魂力(エテルナ)を流して、生命を保つ。その時間で重要な神経と血管をつないで命を戻す。わらわがしたのはそういうことじゃ。わらわ自身もあれほどの傷を癒せるとは思わなんだ。じゃから、そなたがここに居ること、それ自体が奇跡じゃ。わかっておるか?」


「はい。そのことには深く感謝しています。感謝してもし足りないぐらいです。サフィリア殿の治癒は、神業・・・いいえ、もう言葉では言い表せない」


神妙な態度の辺境伯子。対するサフィリアは、そのとおりじゃ、と頷いた。


「あれほどめっためた複雑で繊細な癒やしはわらわも初めてじゃった。もういちど同じことをしろと言われても、もうできんわ・・・。それからな?  頭への血の動きが停止すると、脳に障害が残ることがある。なにかできるかはわからんが、異常があれば、わらわに言うがよい」


「ありがとうございます。その・・・」そこで、ヴィクトは言い淀んだ。「なぜ、これほどまでに、私に親切にしてくれるのです?」


んー。問われて、サフィリアは鼻の下を指でこすりながら考える様子を見せる。


「なに、一度癒やしを与えたものへの、後始末じゃな。治したあとに倒れられては、目覚めが悪いからのう」


そう水精霊が微笑うと、相対しているヴィクトは、なぜだか切なそうな表情を見せ。


そして口を開く。


「サフィリア殿。貴女は、私にとっての女神だ」


「ーーーッ!!?」


水色の目を見開いて、ぶわりと銀髪を広げる。


顔色をつややかな白から一度赤くして薄赤に落ち着かせて、そうしてからサフィリアは意地悪げに瞳を半眼に細めて言う。それは、命の恩人に対する感謝の言葉か?


「それとも、わらわを口説いておるのかの? なんじゃ。あるじさまにふられて、すぐ次でわらわか? 節操がない男じゃのう」


「あ、いや。そういうつもりでは・・・」


辺境伯子はわたわたと取り繕う言葉を探してうろたえたあと、ぴたりと動きを止め。瞳に真剣なものを宿して言い切った。


「いえ、そういう話です」


「はぁっ?」


今度もまたサフィリアがうろたえる番だった。彼女が正解の反応を探している困っている間に、ヴィクトが聞く。


「私は、気が多いでしょうか?」


「それをわらわ自身に聞くのか?」


ヴィクトは苦笑する。


「立て続けに女性を口説くような奴は、最低な男だと思っていましたが・・・よもや自分がそうなるとは。こんなことはーー気持ちはーー初めてで。どうして良いかわからないのですよ」


心底困った、という表情を微笑みで包んで、辺境伯子は水精霊の少女に聞く。


「ですが、気持ちを偽りたくない。だから、こんな私を、貴女が許してくれるかどうか、尋ねたいのです」


水精霊の少女は何かを言おうとしてぱくぱくと口を動かしたあと、目をそらしながら肩にかかった銀髪を何度も撫で付ける。


「そっ・・・そうじゃのう。すこしばかり、おぬしは、気が多いように思うの」


「はい。やはりそうですか」


「じゃっ・・・じゃがの。おぬしがわらわの何を気に入ったのか、もう少し聞いてやっても良いぞ」


変なはなしに聞こえるかも知れませんが、と彼は前置きして。


「貴女とは、他人という気はしないのです。まるで、家族のように思える。いえ、家族よりも近しい存在・・・そんな間柄に感じられるのです。貴女と一緒にいたい、というより、貴女と一緒にいることが自然なように感じられるようなったのです」


「かぞく」


その言葉をつぶやいて、サフィリアはしばらく沈黙した。何かを想い出すように。


そして、一度強くまぶたを閉じて、何かを断ち切るようにして、また開いた。


「・・・それは当たり前じゃ。というものな」講義でもするように、サフィリアは指を立てて、それをふる。「おぬしの肉体のいくらかは、わらわの魔法で再生したもの。つまり、わらわのエテルナで組成したものじゃ。したがって、わらわのことを親しい存在だと感じるのは、治癒による一種の副作用のようなものじゃ」


「副作用・・・」


「わらわのエテルナで、おぬしをすでに染め上げたのじゃから、そう感じるのが当然じゃよ」


「・・・・・・!!!」


サフィリアのその言葉に、ヴィクトはひどく赤面した。その反応を見て、サフィリアは自分の言葉を反芻したのか、おたおたと面白いくらいにうろたえる。


「ちっちっっ・・・違うのじゃぞ! 染め上げたというのは、決してそういう、意味ではなくてだな・・・!」


「え・・・ええ、わかっています、その・・・魔法医学的な、そういう・・・!」


「そ、・・・そうじゃ! あれじゃ、きっとそれじゃ!」


「・・・・・・・・」


「・・・・・・・・」


「・・・・・・・・」


「・・・・・・・・」


互いの沈黙のあと、ふぅっと息を吐き出したのはサフィリアだった。


「いや、こういうのは良くないのう・・・いまここに在る心を疑うというのは」


はっとしたように、辺境伯子が顔をあげる。銀髪の水精霊の面差しを見守り、そして次の言葉を待つ。


「人の生は短い。一瞬も無駄にしてもよい時間はなかろう」



人の生が輝く季節はとても短い。ましてふたりの輝く季節が重なるとなればーーとても稀だ。



けれど・・・サフィリアは思う。


噴水の縁に置いた、彼女自身の手をじっと見る。


ーーいまこの手をつかんでくれるのならば、輝く季節は。きっと。いま少し続く。



もし、この機会を逃したとして。そうヴィクトは思う。次に会えるのは、いったいいつのことになるだろう。


ちゃぷちゃぷと水が流れる音。ふたりの間に置かれた、彼女の白い手をじっと見る。


ーーこの手を、取らなければ、ここで終わる




この手を。


ーー掴んでくれるのであれば。


ーー掴むのであれば。







置かれたたおやかな手に、もうひとつ、肉の厚い手が重ねられた。


「また会えるとーー約束してくださいますか」


「しよう」




約束は、成った。





■□■





ひゅうぅうぅうう。


秋の風がリンゲンの上空を、焼き瓦の屋根をの上を、吹き抜けていく。冬が少しずつ近づいていることを告げてくれる、冷たい風。


サフィリアは読んでいた手紙を風からかばうように、胸に抱く。


精霊の身で、多少の冷たさがつらいわけではないけれど、風吹きすさぶなか、屋根の上で手紙が読めるわけもない。銀髪を秋風に梳かせながらそれが過ぎるのを待ち。


やがて、風が吹きやんだところで、サフィリアは再び手紙を開き、また読み始めた。


そのとき。


ぱさり。手紙の隙間から、何かが落ちた。


サフイリアが拾い上げると、それは押し花だった。


見覚えのある蒼い花。


手紙を先に進めれば、それは北の辺境伯子がサフィリアに見せたくて手紙に同封してくれたものだった。


『貴女に似た花を見つけました』


と手紙にはある。


かつて水精霊が住む清らかな湖畔に咲いていた、サフィリアの名前の元になった花。


彼女は、くしゃりと手に持っていた手紙に顔を押し付ける。


そして声にならない声を、喉奥で出す。


何かが巡り、つながった気がした。








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