168 彼女を変えたもの







「あれ、サフィリア様はまだこちらにはいらしておりませんか? もうお部屋は出られたはずですが」


朝、リンゲン、わたしの居館の執務室。言いながら入ってきたのは、侍女のレーゼだ。


からお手紙が届いたのよ。講義まではまだ時間があるようだったから、読んでくるようにわたしから言ったの」


執務机で手紙に目を通しながら、わたしが言う。隣に手紙を載せた銀盆を捧げ持つチェセが、レーゼに向けて軽く頷いている。


「そうですか。それなら仕方がありませんね。あの方からのお手紙は早く読まないと、気が散ってそわそわされて、講義に身が入らない方ですから」


良いご判断でございました、とレーゼがわたしに向けて笑顔を向けた。


伯母様から予告されていたことだけれど、サフィリアは、昨年の冬、ほんとうにロンファーレンス家の養女になってしまった。


精霊を高位貴族の養女にするというのは、伯母様が強く主導して実現した。


精霊を、公爵家の養女にする。かつて前例がないことだし、法令も似た慣習も無い。これはさすがに他の貴族家から養女を取るのと同じようにはいかず、異例づくしの養子縁組となった。


お祖父様が実直の武人として政界で認識されているのに対して、その娘の伯母様は、辣腕政治家として評価されているのだとわたしは初めて知った。


精霊には、人間でいうところの身分がない。平民でも、奴隷身分ですらないのだ。放浪者をとつぜん貴族に仕立て上げたようなもので、周囲の反応は当初さんざんだった。上下の貴族からも反対の意見が多かったときく。ひどい人は、犬馬を貴族に仕立てるようなものだとも言ったらしい。


が、伯母様はこうのたまってすべてを押し切った。


『この度の養子縁組は、外国の人を貴族にするようなもの。大精霊であれば、外国の貴人にあたりましょう。外つ国の貴人を、我が国の貴人とするのに、なんの不都合があって?』


無論、サフィリアが魔王討伐に貢献していた功績も考慮され、伯母様の人脈をフルに使った事前の根回しが、陰に陽に行われたとも聞いている。それがなければ、とても通る提案ではなかったとも。


リンゲンからも、良質の木材を緊急で出荷要請されたことがあった。あのときは家臣総出で品物を揃えてなんとな納期に間に合わせた。支払いは伯母様の嫁ぎ先のエルージア家だったけれど、あれはどこか根回し先への贈り物として、交渉の一環に使われたのではないかと想像している。


少し話はそれるけれど、いまは魔王討伐後の国土復興のため、建築資材や食料、生活物資が飛ぶように売れている。逆に武具などはだぶついて値段が下がっている。戦時と平和時とでは需給が異なるのだ。


リンゲンからは木材、石材、そして焼煉瓦などの物資を生産し出荷し続けている。これまでは限られた陸路しかなかったので、リンゲンの資源を王国に供給できなかったのだけれど、いまはウドナ河を使った水路がある。


ウドナ河沿いにあるヴィエナや王都を経由して、リンゲンの建材をたくさん供給している。リンゲンの建材を王国中にピーアールしているまっ最中なのだ。リンゲンの刻印ブランドマークが入った建材は、市場で結構評判が良い。市場にリンゲンの品物は良質だとわかってもらえば、復興特需が終わったあとも、売れていくかもしれない。


話を戻すと、養子縁組の契約条件もかなり練られたのだとあとから聞いた。ロンファーレンス家の相続権の放棄や、当主による養子の解除権の担保などの条項を追加し、さらに契約者の署名も当事者だけでは不充分だということで、立会人を付けた。


だが公爵家同士の契約の立会人になれる者など限られる。ここで伯母様は、なんと王様を持ち出したのだ。王様が認めた契約なら、文句をつけることは難しい。理屈はわかるが、それを実現させるのは大変難しかったはずだ。だが伯母様はそれをやり遂げ、王様に養子縁組契約の立会人、つまり証人となってもらい、養子縁組を成立させたのだ。


それで、無事ロンファーレンス家の養女となったサフィリアだが、まだ先がある。


この養子縁組には、当然、政治的な目的もある。ロンファーレンス公爵家の養女になって箔をつけたサフィリアに、北部辺境伯のアブズブール家に嫁いでもらい、西部と北部の同盟関係の架け橋になってもらうのだ。


アブズブール辺境伯家のヴィクト様とサフィリアの感情が急接近したことを、伯母様が読み取り、描いた絵図だ。それはいまのところ、うまくいっているみたいだ。


サフィリアが養女になったため、当たり前だけど、侍女の雇用契約は終了となった。なのでサフィリアはもうわたしの侍女では無くなってしまったのだ。


そして、サフィリアはここリンゲンで行儀作法や一般常識のお勉強をしている。いまは夏だけど、今年の冬頃に伯母様の治めるエルージアに移り、そこで行儀作法の仕上げと、ロンファーレンスとアブズブール両家の意志のすり合わせののち、早ければ来年の春には、サフィリアはアブズブール家の北都ベルンに赴き、挙式の予定だ。


けれど、サフィリアの性格から、お勉強などすぐに投げ出し、破談の可能性もあるのでは・・・とわたしは強く心配した。けれど、幸いなことにというべきか、わたしの予想は完全に外れ、彼女なりにではあるけれど、サフィリアはずっと真面目に講義と課題に取り組んでいる。


なぜだろう? そんなわたしの疑問に答えてくれたのは、行儀作法講師役となっている、レーゼである。


「ずばり、恋ですね」


きらーんと、伊達眼鏡(講師役をするときにかけるようになった)の奥の細い目が光る。


そして、一拍遅れてわたしは慌ててしまう。


えっ・・・わたし、考えを声に出してた?


「ふふっ・・・サフィリア様がどうしてあんなにお手紙にこだわるのか、どうしてあんなに頑張れるのか不思議だ・・・そうお顔に書いてございましてよ、リュミフォンセ様」


「えぇっ!」


わたしは顔を押さえる。そしてレーゼの洞察力のすごさに舌を巻く。だいたい合ってるじゃない。


「ご養女になられてからのサフィリア様の努力は素晴らしいですわ。私もサフィリア様のこれまでのお姿から、座学や行儀作法は苦痛で、すぐに投げ出されるのではないかと思っていたのですが・・・これがあにはからんや! ですわ。今でも前向きに取り組まれています。私はつくづく思いました。恋というものは本当に偉大だと」


「でも・・・前にサフィリアに聞いたら、恋という感情じゃないと言っていたわよ。でもよくわからないって」


同じ疑問は前から持っていたので、実は本人に直接聞いたことがあるのだ。そのときは否定されたのだけど・・・。


「あれは恋というより、純愛と呼ぶのがより正しい気がします。とても可愛らしいですよね。ところで、リュミフォンセ様お手紙が届いていますよ」


そう言って、チェセが手紙の載った銀盆を差し出してくれる。


仕事の手紙はチェセが一度、封蝋を開けるけれど、一部の私信はわたし自身で開ける。チェセが銀盆の一番上に置き直した、封をされたままの手紙。王家の紋章が入っているそれは、わたしの婚約者のオーギュ様からのものだ。何度も受け取っているからわかる。


「・・・・・・」


わたしはその封筒を取って、ペーパーナイフでぱっと封を切り、中身を取り出して内容を流し読みする。


オーギュ様の手紙は、半分が自分の仕事ーーつまり闇市場の違法化の進捗、半分がお互いの近況についてのやり取りになっている。まあ、最後のほうにちょっと歯の浮いちゃうようなことも書いてある。こういうのはお作法とわかっていても嬉しいものね。


読み終えたので、わたしは手紙を折りたたむ。この手紙の主要なトピックはふたつあった。


ひとつは、『精霊案件勉強検討会』・・・オーギュ様の立ち上げた支援者の貴族が集まる会議で、闇市場に関わった者に実力行使する実行部隊、小さな騎士隊を設立する案が出て、実施する方向で進んでいること。


ふたつめに、王立学院を卒業したオーギュ様が、生徒会OB現役を交えた小さな宴を、秋口に催す予定だということ。これは毎年恒例の行事にしようと考えているということだ。場所は当然に王都で、わたしも来たらどうかとも書かれていた。まあ、その頃もきっと忙しいので難しいだろうとお返事することになりそうだ。


というか、お返事はいま書いてしまおうかしら・・・。そう思って紙の便箋を取り出し、インク壺に羽ペンの先を浸したところで、レーゼとチェセの視線に気づく。


「・・・なに?」


「リュミフォンセ様は、オーギュ殿下のお手紙に対して、いつも冷静でいらっしゃいますね」


レーゼが言い、チェセがそのとおりと頷く。


えっ? 手紙を読むのに冷静とか冷静じゃないとかあるの?


「どういうこと?」


素直にわたしが聞くと、レーゼはひとつ咳払いをして言った。


「これがサフィリア様の場合になりますとですね。まず、人前ではお手紙を開かれません。おひとりになってから、あの方の手紙を読まれます」


ところで、『あの方』というのは、ヴィクト様のことだ。魔王との戦いのときに縁があり、アブズブール辺境伯家の継嗣でもある人だ。その人とサフィリアは、一年前から手紙のやり取りが始まり、いまに至っていると聞く。


「便箋を大切に両手で持って、食い入るように、そして実に楽しそうに・・・。ご存知ですか? サフィリア様はヴィクト様からの手紙を懐に入れて持ち歩いていらして、時間ができると何度も読み返していらっしゃるのですよ」


それは意外だ。サフィリアがそんな純朴なことをしているとは。普通の人間よりも遥かに長生きしているので、世慣れて斜に構えた性格だと思っていたけれど・・・。


「人を変える。それが恋というものでございます」「ございますよ、リュミフォンセ様」


レーゼとチェセがぐいぐいと押してくる。この話がどこに着地するのかわからないが、わたしにとって不利な流れのような気がする。なんとなくだけど。話の流れを変えよう。


「あー。でも、サフィリアはたしか現代の文字が書けなかったんじゃ? 聞くのと喋るのは大丈夫だけれど、読むのは古語が中心で、書くのは単語の綴りどころか、文字もおぼつかなかったんじゃ・・・」


「それはご安心を。練習しましたから、たくさん」


レーゼが答え、チェセが脇で頷く。正式な講義以外の時間も、二人が先生になってサフィリアに教えていたのは知っている。


「すでに政務をなされているリュミフォンセ様からしてみれば、子供の手習いのようなものかもしれませんが・・・けれど恋しい殿方に手紙を書くために、辞書をひきひき1文字ずつ丁寧に書くサフィリア様のお姿・・・感動しますわ、身悶えしますわっ!」


レーゼは興奮して、くねくねと本当に身悶えしている。


本当に感動しているようだ。サフィリアの純粋さは、人の心を打つものらしい。


わたしとしては、そうなんだ・・・という感想しかないのだけれど、冷たいかな?


そのとき、ぱたぱたと廊下を駆ける音がした。一拍置いて、ノックのあとに扉が開く。予想どおり、サフィリアだった。


「さぁ、時間じゃぞ! 今日の講義のはじまりじゃ!」


少し上気した、晴れ晴れとした表情。お手紙に良いことが書いてあったのかしら? 気合が入っていて、可愛い。


「うんそうね、今日も頑張って」

「さっそく始めましょう。今日は座学からです」

「では、お茶を淹れますね」


「・・・? なんじゃ皆、突然にまにまして・・・」


なんか不気味じゃのう、とサフィリアが薄気味悪がっていたけれど、わたしたちはしばらくずっとにまにましていた。







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