第十一章 北の婚礼

166 時間は飛び去る矢のように過ぎる








「おかえりなさいませ、リュミフォンセ様。またこの度は魔王討伐の由、ご祝着にございます」


東方風の長衣をまとった男性が、くるくるとした茶の短髪の頭をさげる。小さな眼鏡の向こうの細められた緑の瞳が、さりげなく、しかし遠慮なく長旅から戻ったわたしを観察している。わたしの考え方、態度・・・変化点が無いかを把握したいのだろう。


政務補佐役レオンの相変わらずの不躾さに、逆にほっとしてしまう。彼のわたしへの変わらない慇懃無礼な態度も懐かしく感じてしまう。


リンゲンの民は、わたしの王都出張からの帰りを、お祭り騒ぎで出迎えてくれた。わたしも加わった魔王の討伐、第二王子との婚約・・・。王都での発表もあったというその情報は、インターネットも無い世界だというのに、風の速さでリンゲンにも伝わっていた。どんな世界でも噂は飛ぶように広まっていく。


市街路もわたしを出迎えるひとで埋まり、歓呼に鳴り物が鳴り、紙吹雪まで撒かれる始末だった。そのなかをわたしたちが乗る馬車が進み、民に応えて手も振ってみせる。突然のことだったけれど、まるで凱旋パレードだった。


そうやって館に戻り、執務室の自分の机についたわたし。ふぅ息を抜いて、椅子の背もたれに体重をかける。きしりと小さな音が鳴った。


そして改めてレオンを見る。彼の用事はきっと挨拶だけでない。ワーカホリックというその単語で言い表すことができる彼だ、わたしになにか仕事を持ってきたに違いない。その証拠に、片手に分厚い書類挟みを抱えている。


でもーー、リンゲンの住民たちが熱狂しているなか、警備兵も街に出て、ちゃんと群衆を制御できていた。計画されていたことか突発的なことかわからないけれど、それを差配したのは、間違いなく、わたしの眼の前に立つ補佐役なんだろうな。


状況を予測していたのか、突発的な事態が起こっても対応できるように組織を作っていたのか、どちらにしろ尋常じゃない有能さだ。


そんなふうに思っていると、彼は、急ぎわたしに承認をしてもらいたい案件があると言った。


ほーらね! 長旅から戻ってきたばかりのわたしをまったくいたわらないこの感じ、予想通りだわこの仕事人間め。


「リュミフォンセ様は長旅でお疲れです。仕事は明日でも良いでしょう。レオン、もう少しときと場合を考えてください」


少々きつめに言うのは、わたしの隣、陶器のポットを持つチェセだ。そうして彼女はわたしの前に氷の入ったお茶をおいてくれた。


「まあまあチェセ。わたしの不在の間、レオンだって政務商務を見てくれていていて、大変だったのでしょうから」


言いながら、わたしはレオンの持つ書類挟みをじっと観察する。補足説明の資料があのうちほとんどで、そうするとサインする書類が数枚で・・・まあ、あのくらいの量ならたいしたことないかな・・・。


「案件を確認しましょう。レオン、説明してちょうだい」


「かしこまりました」


優雅に一礼。大商人を相手にするレオンは立ち居振る舞いがさまになっている。


そして、彼は入り口のほうを振り向くと、ぱんぱんと手を二回、打ち鳴らした。


えっ? なに?


「ご領主様の許可をいただいた。入れ」


「失礼します」


ノックのあと、扉からがらがらと入ってきたのは、レオンの付き人だった。相変わらずパリッと糊の効いた服を着て、そして書類箱を入れた台車を押している。


当然、その書類箱には書類が溢れるほどに詰まっていて・・・。


「はっ、謀ったわね! レオン」


わたしはばんと両手を机の上に置き、抗議する。


「はて、なんのことでしょう?」彼は小さな眼鏡の奥で薄く笑う。「・・・ああ。もしかして申請する書類が手持ちのこれだけだと勘違いされましたか? それより時間が惜しいので、ご承認いただきたい案件の説明に移らせていただきます」


そうして、大商人らしい緩急をつけた巧みな話の間のとり方でわたしに反論する隙を与えず、レオンは仕事について話し始めるのだったーー。






レオンの施策は、魔王討伐により職を失うことになった、冒険者たちの新たな雇用創出に関わるものが主だった。


まあ辺境であるリンゲンにおいては、魔王がいなくなっても野良モンスターが残るので、街の警備の仕事は残る。しかしとは言っても、すべての冒険者に警備の仕事を回せるほど枠はないので、雇用がまだ足りない。


しかも、そもそも警備を雇うための財源が必要で、そのためには新たな事業がまた必要になる。ロンファーレンス家の蓄財から出してもそれは一時的なものにすぎない。安定した雇用には、継続して得られる収入が必要なのだ。


そうまで冒険者の失業問題が重要なのかと言えば、レオンの説明によれば重要だった。武力のある冒険者を放っておけば、野盗や盗賊に身をやつす人も出てくる。そうなればリンゲンの治安の問題になり、ひいては経済活動に影響が出る。


なかなか広範で、重要かつ緊急の課題だった。






そんな課題に手を付けているとーーーーあっと言う間に1年が経った。


時間が過ぎるのは、飛び去る矢のように早い。


わたしは14歳の夏を迎えた。






いやそれだけで1年過ぎたの? と言われれば、はいそうですとしか答えられない。緊急の案件をつなげていったらそうなってしまったのだ。いや、うん、おっしゃりたいことはわかる。


もっと手をつけることがあったんじゃないの? ということだろう。具体的には、たとえば、オーギュ様とわたしとの婚約はどうなったのか? とか、闇市場をつぶす話はどうなった? とか、押しかけてきた命の精霊クローディアはその後どうだったか? とか。


本当はわたしが対応しなければならないことが、あったはずだとも思う。


もちろんそれらの案件に動きはあったけれど、わたしは身動きが取れなかった、あるいはその案件の状況からするに、直接関わる必要がなかったのだ。少なくとも、この1年のあいだは。



順番にお話しよう。


まず婚約者になったオーギュ様とは、婚約は続いている。月に2〜3回、手紙のやり取りをしている。お互い忙しくて、あれから直接お会いしていないけれど、連絡は取り合っている。


オーギュ様は、王立学院に戻って学業を再開された一方で、政治活動を開始された。闇市場の違法化については司法会議で提言されて、闇市場との取引を禁止する法律が再発布されたという。わたしとの約束をきちんと守ってくれたのだ。


けれど、いまだひとりの違反者の逮捕もないらしい。一方で、闇市場から出てきたと思われる商品が市場に流れている。残念ながら、今までも抜け穴だらけだった法律だ。禁法は骨抜きの状態で、取り締まるはずの領主や法官の意気もあがらないのだという。


『まずは精霊の権利を認めることについて、賛同者を増やす活動が重要です』


とオーギュ様の手紙にあった。いまはオーギュ様自ら賛同者を募ってくれているのだそうだ。賛同者は集まっているけれど、いずれも若いオーギュ様と同年代の貴族が中心で、実務を担っていたり実権がある人の層は取り込めていない。それがこれからの課題なのだそうだ。


その一方で、第二王子であるオーギュ様とセブール第一王子との対立が先鋭化しているという情報がある。東部大公は、今までよりも露骨に第一王子支持の態度を示し始めたらしい。


つい先だっては、王城での新年の祝賀会で、東部大公が王様に王太子を早期に決めるように上申したという。そのときには露骨にセブール第一王子を持ち上げたのだと噂でも聞いている。


王の後継者について臣下が口をはさむなどは僭越なのだけれど、そういうときに諌めるはずの王の補佐役である枢機卿フルーリーは、東部大公ーーポタジュネット大公が語るに任せたという。


その事実だけでいろいろなことが想像できるけれど、枢機卿フルーリーは、オーギュ様の味方ではない。オーギュ様の唱えるようになった、闇市場の取引厳正化と精霊の権利の保障が、保守派の枢機卿のお気に召さないとも聞く。


もしそうであれば、オーギュ様が枢機卿の協力を得られなくなったのは、わたしのおねだりのせいだということになる。


わたしとしても、さすがに責任を感じている。


幸いにして、王は大度に頷くものの確言は何も与えず、祝賀会のその場は収まったということなのだけれど。


東部のポタジュネット家があれだけセブール様支持の旗幟を鮮明にすれば、王太子指名の動きはこれから加速するに違いない。オーギュ様も王太子指名に向けて、少しでも味方を増やすために動くようになり、それでにわかに忙しくなったのだ。


そんなオーギュ様に、最近、わたしはもうひとつおねだりをしている。王都の人材をリンゲンに紹介してもらうようお願いしたのだ。詳しい話はいまは省略するけれど、わたしが要望した人材は、魔王領とそこの資源をよく知る学者と技術者だ。返事は早く、候補者の名前を連ねたリストがすぐに送られてきたーーオーギュ様の私信を添えて。


近況を語るだけのものから仕事の話が入ったものまで、オーギュ様の私信もいろいろバリーションがあるのだけれど、だいたいわたしに会いたいので時間を作って逢いに来てくれないかと書いてある。そのたびにこちらも忙しいのでもう少し落ち着いたらーーと返しているのだけれど、今回のおねだりの返事には、いつもの言葉の他に、ちょっと恨みがましく、こんな言葉が添えられていた。


『婚約者の私がこれほど貴女遭うことを熱望しているのに、代わりの男を紹介させるとは。もし私の心中をわかってこれをしているのであれば、貴女はひどい人です。忙しいのでしょうが、遠く離れた婚約者のこともときおり思い出して欲しい。愛しています』


これを読んで、あー、恋愛っぽい手紙だなー、とだけ他人事のように思ってしまうわたしは、やっぱり冷めているのだろうか。


お返事には、お礼と、逢えないことをわたしもとても残念に思っていると、したためた。








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