161 報告会③






わたし自身が闇市場問題の矢面に立つことになると、伯母様はわたしに言った。


それは王太子問題の当事者になるということでもあり、つまりは、王国で行われている政争の真っ只中に飛び込むのと同じことだということだ。


わたしのまったく知らない世界だ。


「・・・どうすれば良いですか?」


顔をあげ、わたしは伯母様をまっすぐに見る。


「貴女は、自分の主張を取り下げる気はなくって?」


伯母様は聞く。まるでわたしの覚悟を試すように。


「いいえ・・・。精霊は人間に多大な貢献をしてくれているのに、その人間の一部が、精霊を不当に扱っているのは見過ごせません」


「そう」伯母様は頷いた。「正義感はお父様譲りかしら」


「わしの手柄じゃな」片目を見開き、お祖父様が伯母様にいたずらっぽくささやく。


「どのみち、このすでに王城夜会を飛び出すというやらかしをしていますから、選べる道は限られますけれど。それもお父様のお手柄かしら?」


「若い時分にやらかすぐらいの元気があったほうが、将来に期待が持てる」


お祖父様はしかめっ面で言い返したあと、カップを持ち上げてお茶のお代わりを侍女にたのんだ。


「じゃあ今後の方針だけれど」伯母様は言う。もちろんわたしに向けてだ。「まずは味方を増やすこと。貴女のやりたいことに賛同してくれる人を増やしなさい。そして、精霊の地位を向上させる工夫をすること」


はい、考えてみますとわたしは頷く。ラディア伯母様も頷いて、優雅に扇を開いた。


そうして、伯母様は話の矛先を、同じ卓についているヴィクト様へ変えた。


「いまお聞きになられた次第ですけれど・・・北部の辺境伯家におかれては、どのようにお考えでいらっしゃいますか?」


わたしなどは話の風向きを変えられて慌ててしまったけれど、ヴィクト様はその質問を予期していたのか、よどみ無く回答する。


「こと政治に関しては、私の一存では北部が誰を支援するかは決まりません。ですが、私個人としては、オーギュ殿下とリュミフォンセ様の友人として、彼らの行動を支持致します。辺境伯にも、私から意見具申致しましょう」


おお・・・。北部の支持に一足飛びにいけなくても、世継ぎであるヴィクト様が動いてくれるなら、充分にありがたいことだわ。


彼の回答と瞳の輝きには、誠実さがある。間違いなく本心だろう。


伯母様はふわふわと扇を使いながら、失礼にならぬ程度の眼力で、ヴィクト様を観察しているように見えた。そうして、扇で口元を翳して、びっくりすることを言った。


「そうそう。そこに座るサフィリア殿ですが、実は彼女は水の大精霊様。いまは行儀見習の目的にリュミフォンセ付きの侍女をしていただいていますが、ときが来れば、当家の養女となっていただこうと考えております」


「はっ?」「ふぶぁっ?」


ええっ! なにそれ初耳ですよ伯母様!


わたしとサフィリアが驚きの声をあげる。ちなみにサフィリアは話の最中はずっと焼き菓子をお代わりし続けており、今も口いっぱいに焼き菓子を頬張っている。それらを吹き出さないことにかろうじて成功したのは幸いだった。


「おそれおおくも大精霊様だというのに、侍女という扱いは失礼だと前々から考えていたのですよ。しかも今回は魔王討伐に多大なご協力をいただいたとのこと。こちらとしても、それなりの礼をお返ししなければなりません」


「そ、そうですか・・・」


突然の話に、ヴィクト様も驚いている。必死に頭を回転させているみたいだけれど、話の意図がどこにあるのかを掴みかねているらしい。それはわたしも同じだけれど。


「養女となったら、しかるべき家柄のところへ嫁いでいただくのも良いのかも知れませんね。もちろん、ご本人が望めばということですけれど」


ぱたり。ぱたり。伯母様の扇がみやびに動く。


「家柄があれば、立場にふさわしい高貴な方へも嫁ぐことができますからね?」


そして意味ありげな視線をサフィリア、ヴィクト様の順で運ぶ。


うーん、どういう意味だろう? わたしは心の中で首をひねる。


「アブスブール辺境伯家とは、末永いお付き合いをさせてもらいたいと思っております」


そう言って、伯母様がこの場を締めた。





■□■






ーーこんなひらひらした服、はじめて着た。


ヴィエナにあるフジャス商会の渉外館。大商いをするために作られたその瀟洒な館は、高貴の人をも持てなせる目的で建てられており、平民の館でありながらその豪華さは貴族のそれに勝る。かといって高級品を使っているとは一見して悟らせないこざっぱりとした外観とデザインが、かえって施主の嗜好の奥深さを感じさせる。


天空の視点から見れば、ロの字型になっている建物の中庭にある噴水。その縁に腰掛け、眉を八の字にして、所在なさげにキョロキョロとあたりを見回している少女がいる。シノンだ。


王城夜会でリュミフォンセに助けられ、鷹の姿をした精霊いーちゃんとともに魔王討伐を先導した少女は、助け主にいざなわれてともにこの館にやって来た。はっきりとした目的があるわけではなく、行くあてが無いから連れてこられた、という実に消極的な事情のためだ。


幼いころから一緒だったいーちゃんを、魔王との戦いのあとに失った彼女が気落ちしているあいだに、事態がどんどん動いてこうなってしまった。


あれこれ考える時間なんて、まるでなかったよ。と、彼女は胸中で言い訳する。


もっとも、時間があったとしても、まともな判断ができたのかどうか。それは彼女自身も疑問だった。


なにしろ、事態は常にシノンとは関係のないところで進んでいたのだから。


シノンはもともと孤児だ。自分の素性もよく知らない。拾われた先は小さな名もない山間の集落で、そこは狩りで生計を立てていた。そこでシノンは下働きとして生きてきたのだ。でもそのなかでは目端が利くほうだと思っていたし、弓矢には自信があった。度胸だって備えている。いーちゃんと居れば狩りだって一人前にできるーーいーちゃんが空から獲物を見つけ、シノンが仕留める。解体だって皮なめしだって、まあ大人に比べれば時間はかかるけれど、できる。


寡黙だけど便りになるいーちゃんに促されて、『ひめさま』の天幕を訪れたのだって、シノンにとってはちょっとした冒険だった。なんとかうまく行ったときは、森の茂みから茂みへと身を隠し進みながら、心臓がうるさいくらいにどきどきして、気持ちが高揚して気持ちが良かった。


そのあたりから、シノンの運命というやつが、とんでもない変転を見せたわけだけれど。


それが事前に予測できたわけもない。万物万象すべてを見通す悪魔でもあるまいし。


とにかく運命の変転の結末は、こうだ。シノンは公爵様にお目通りするための綺麗な服を着せられて、物語にでも出てきそうなほどに手入れされた中庭、四角く区切られた空を眺めている。


(どうしてこうなったかなんて、私のおつむじゃ、考えるだけ、むだ)


「ねぇいーちゃ・・・」


ん。


いつもの癖で相談とも愚痴ともつかない声をかけようとして、その相手がもういないことを思い出す。


こみあげるように熱くなった目頭をとっさに押さえ、こすっていると、そんなシノンの後ろから穏やかにかけられた声があった。


「こんにちは」


「・・・こっ、こんにちは」


シノンが振り向いた先には、侍女服に身を包んだ女性。耳のすぐ下で切りそろえられた短い黒髪とおっとりとした瞳。座るシノンと視線を合わせるために、その侍女は前かがみになっていた。女のシノンからみても目を引くふくよかな胸部。


その侍女には見覚えがあった。さきほどシノンの着替えを手伝ってくれた侍女の人だ。名前も聞いていた。シノンは記憶を探って、その名を探り当てる。モルシェという人だ。


「緊張してる?」


「いっ、いいえ・・・」泣きそうになっていたのがばれないように、目をこするシノン。目はすでに真っ赤っ赤だったけれど。「あっ、いや、やっぱり、すこし・・・」


緊張しているっます、とつっかえて言うと、侍女姿のモルシェは優しく微笑んで、となり、いい? と聞いて、シノンの隣に腰かけた。


「さっきの昼食はお口にあった? おいしかった?」


待機する時間があるということで、シノンは軽食を食べさせてもらっていた。麺麭バゲットに肉と野菜を挟んだだけのものだったけれど、素材が新鮮で、ソースがとびきりだった。


「はい・・・とってもおいしかったです」


「そう? よかったぁ。お城で出されたお料理を真似してみたの。チェセさん・・・といってもわからないか。私の上司の人に聞きながらね、頑張って味を再現したんだ」


そう言ってモルシェは笑う。シノンもつられて笑って・・・そしてシノンはふと侍女服の女性の手を見る。貴人の侍女をしている人の手は綺麗なものだけれど、彼女の手のひらの皮は、肉刺を何度も潰したあとみたいにごつごつと分厚くなっていた。


まるで私みたいだ、とシノンは思った。シノンは狩りで弓を使い、取った獲物は自分で刃物を使って解体する。どちらも手を酷使する。だからシノンの手の指の皮も分厚い。


そんな視線に気づいて、モルシェが「なに?」と聞くと、シノンはあのその、と思ったことを言うべきか迷って。


「手が、私と一緒だなって思って」


言ったあとに、失礼なことを言ってしまったかとあとからシノンは思ったけれど、もう口から出した言葉はごまかせない。けれどモルシェは気を悪くした風もなく、自分の両手をしげしげと見て、


「ああ・・・そうだよね、侍女っぽくない手だよね」


言って、どこか面白がるようにして笑う。そして彼女はおっとりとした瞳を、いたずらっぽくシノンに向けると、


「実は私もね、リュミフォンセ様に会って運命が変わっちゃった人なんだ。あなたほどじゃあないけれど」









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