162 異変
フジャス商会の渉外館の中庭。丁寧に手入れされた庭にある噴水の縁に座り、侍女姿のモルシェが自分の身の上を、シノンに語っている。
「もともと私は、リンゲンの『黄金葉戦士団』に参加していたんだ。あ、戦士団といっても自警団でね。街の外に出る住民の方を、モンスターから守るっていう仕事をしているんだけど・・・。一応伝統がある組織でね。その団長をお父さんがしていたから、長女の私も自然とね」
自警団といえば住民たちの自治的な集まり。にもかかわらず黄金葉戦士団とはまた大仰な名前だ。けれど、シノンは特に突っ込まずに頷いて相槌をうった。
「でもお父さんはモンスターとの戦いで死んじゃって。そこにたまたま公都からリュミフォンセ様がやって来て。リュミフォンセ様から与えられた試験を受けて、私が団長職を継いだの」
「じゃあ、モルシェさんは、自警団の団長だったんですか?」
話を聞いていたシノンは、目を丸くして。眼の前にいるどちらかといえばおっとりとした印象の侍女を見る。
「だったというか・・・今もそうなんだけど。リュミフォンセ様が王都に行くにあたって、人手が足りないからと、臨時で同行しているだけで。本当は侍女兼護衛で同行するようにというお話だったのよ。でも護衛は専任のアセレアさんがいらっしゃるし。・・・そもそもリュミフォンセ様は私よりも強いしね」
試験のとき3人がかりでまったく歯が立たなかったのは心が折れたなあ。
ははっと乾いた笑いをあげるモルシェ。
シノンは、魔王討伐のときに枯れ谷に行くまでに、巨大な虫型モンスターに襲いかかられながらも、まったく動じることがなかったリュミフォンセの立ち姿を思い出す。合わせて先程モルシェがリュミフォンセの試験を受けたことがあるという話も思い出して、組手をして圧倒されたことがあるのかな、とシノンは合点する。
「話を戻すとね。この手は槍術の稽古でこうなったの。
そうモルシェが広げて見せた両手をしげしげとシノンは見て、
「でも、武術の稽古だけ・・・ではないですよね。その・・・良く働いている人の手です」
よく見てるね、と侍女姿の団長は、右手をもう一方の手で隠しながら微笑う。
「・・・ちょっと恥ずかしい話だけどね、ウチはあまり裕福じゃなくて。弟妹も多いし。家事や水仕事なんかも自分でやらないといけないんだ」
「あっ。その、悪い意味じゃなくてですね、働き者の良い手ですねって言いたかっただけで。あっ、でもどこ目線の何様だっていう話ですよね・・・」
すいません、としゅんとなったシノンに向けて、モルシェは気にしてないよと手を振る。褒めてくれてありがとう。
ご姉弟は何人なんですか? シノンが聞く。
「7人姉弟。私が一番上なんだ」
「すごいですね・・・毎日楽しそうです」
シノンは目を丸くしてモルシェを見てーーそしてすぐに視線を伏せた。瞳に浮かぶ羨望の色を読み取られたくなかったからだ。
(私には、いーちゃんしかいない。けれどいまは、そのいーちゃんもいない・・・)
手を組み合わせてもじもじとさせはじめたシノンを見て、今度は逆にモルシェが問いかける。
「弓が得意? たくさん練習したの?」
シノンはなんでわかったのかと顔をあげる。モルシェは観察返しだよ、と言う。
「弦を弾く右手の指。弓を押す左手の親指。私の知っている弓使いの人にそっくりだったから。そうなのかなぁって」
シノンは驚きのあと、はにかむように笑い、
「あの私、狩人の集落で育ったんです・・・だから、狩りも解体も皮なめしも、結構得意です。モンスター討伐も、ちょっとだけしたことあります。私が相手できたのは、弱いやつだけですけど・・・」
「へぇ、その歳で? すごいね。『黄金葉戦士団』に誘いたいくらい」
モルシェは、シノンは中くらいの妹弟と同じくらいと見当をつけて確認もせずに言ったが、実際シノンは12歳だった。
そして、なにげないモルシェの言葉だったけれど、それはシノンの心配事の核心に触れた。
「ほ・・・本当ですか? あの、私、働けますか? いえ、働きたいです! 『黄金葉戦士団』に入れてください!」
急に前のめりになったシノン。逆にモルシェは思案顔になる。
「えっ・・・と。まあ団員は常時募集中だし、入ってもらうのは構わないけれど・・・。でもいいの? お給金すっごく安いよ? やってることは変わらないのに冒険者のほうが儲かるって、みんなそっちに行っちゃうんだけど・・・。そもそも貴方は、リュミフォンセ様のお客様でしょう? 差し障りはない?」
「それは・・・大丈夫だと思います。もちろん助けていただいた恩はありますけれど、そのあとはなんとなくご厄介になっているだけなので、困っていたんです。行くあてもないし・・・。でもリンゲンの自警団で働くのなら、リュミフォンセ様へのご恩返しにもなりますよね?」
「おおぅ・・・本気なんだね」そしてモルシェはうん、と一度頷き、「うん、やる気のある団員は、歓迎するよ! でも問題がないかどうか、私の上司に確認してからね」
団長の上司? と首をかしげるシノンに、モルシェが自警団が行政庁の下部組織にであることを説明し始めたそのとき、ふたりがいる渉外館の中庭で異変が起こっていた。
もしふたりが
そして充分に地中に網の目のように
にょっきりと頭の半分を、地上にのぞかせたのだった。
■□■
わたしは古都ヴィエナの名物だという、お湯で溶かした温かいショコラットを飲む。
ヴィエナの名物であるひどく濃厚なそれは暴力的なほどの甘さで、脳天にがつんとくる味わいだ。重厚な独特の香りが疲れを吹っ飛ばしてくれるようにも思えた。わたし、これ、気に入ったかも。
お祖父様と伯母様への報告会は、ほぼ伯母様のワンサイドゲームで幕を閉じた。わたしにとっては、これからの課題を認識させられた場だった。でも、わたしとしてはもともと怒られ案件の場だったので、ややマイナスからややプラスに転じたという感じかしら。
ほっとした気持ちで、報告会が終わって、皆で雑談をしている最中に、お祖父様がついでという感じで重要な発言をした。
「ところでじゃ。第二王子殿下と婚約は良いが、リュミフォンセはまだ年若じゃ。結婚は3年後とすることで先方に申し入れるが、良いな?」
3年後といえば、わたしが16歳になったとき、ということになる。この世界の貴族であれば、13歳での結婚は無いことでもないけれど、前世日本の結婚できる年齢と同じ年齢で結婚するほうがわたしも抵抗がない。
伯母様と言えば、何かを計算するように斜め右上に視線をあげたあとに、ゆるゆると扇を使いながら、頷いて同意を示した。
わたしはと言えば、もともとが政略結婚である。すぐにでも殿下と結婚したい! とそこまで勢い込んだものはない。むしろ先延ばしにしてもらったほうが、いろいろと心の準備ができるので大助かりである。
「わかりました」
さっとわたしが了承すると、逆にお祖父様が困惑がおになった。
「・・・あっさりとしとるの。リュミィらしいと言えばそうなのじゃが、そなたくらいの年頃だともっと結婚に興味を示すと思っとったが。リュミィ、分別は美徳じゃが、ありすぎても自らを傷つけるものじゃぞ」
「お父様。心配はご無用ですわ。この子は分別もありしっかりしていますが、それとは別に色恋に淡泊な性分なのです。ねぇ?」
そのようにラディア伯母様に同意を求められても、わたしも困惑する。わたしとしてはとても普通にしているつもりなのだけれど・・・。
「ラディア。それはリュミィが情に薄いということか? じゃが家族想いの良い子じゃと思うぞ?」
「はいはいそうですね。この子はおじいちゃん子ですわ」
おざなりな伯母様な回答だったけれど、お祖父様は、そうかむふんとひどく満足げに頷いた。わたし愛されてるわぁ。
もうひとくちショコラットを飲もうとカップを持ち上げたとき。
どうん、と入り口の扉からーーつまり中庭のほうから、大きな音がした。
びりびりと食器がーーいや建物が震えた。
「なにごとじゃ?!」
お祖父様が立ち上がり、侍従に確認の指示をする。ほぼ同時に、ばたばたと渉外館の廊下を人数が駆ける足音がする。
わたしは警戒を高めながらも、ちゃんとショコラットは飲み干した。
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