158 ヴィエナへ③







チェセは、彼女の実家でもあるフジャス商会の力をも使って、本当にあっという間に全員分の衣装を準備してしまった。


応接室で待つわたしたちへの使者としてやって来た小間使いさんたちに急き立てられて、皆はいったん解散して、それぞれ身支度を整えることになった。


特にご令嬢であるわたしはやることが多い。準備のための部屋だというところに案内されて行くと、待ってましたとばかりに、チェセがてぐすねを引いて待機していた。


軽い湯浴みで旅塵を落とし、用意された服に袖を通すと、今度はチェセによる髪梳きと髪結いだ。


念入りにチェセがわたしの髪に櫛を通しているときに、どかどかと足音がして、部屋に入ってくる者があった。見慣れた赤髪。


「リュミフォンセ様。よくぞご無事で。道中おかわりありませんでしたか?」


「アセレア。ご苦労さま。王城夜会の夜は、皆を無事に逃してくれたそうね。よくやってくれました」


髪を梳かれるに任せながら、わたしは横目で、敬礼の姿勢を取るアセレアを見る。軽鎧に細剣を腰に佩き、護衛スタイルだ。


「もったいないお言葉。むしろ、リュミフォンセ様を最後まで守れず、赤面の至りです」


「あのときは、わたしがそうするように命じたはずです。貴女が気にすることではないですよ」


王城夜会の夜、わたしは巨狼となったバウに乗って、王城のバルコニーから飛び立った。その過程で、アセレアはわたしではなく、家臣の皆を守るように命じたのだ。


自分だけなら身を守るのはたやすいけれど、皆の身を完全に守るには協力者が必要だ。あの場でのその後のアセレアの判断も適切だったのだろうと思う。


かたじけなく、と頭を下げたあと、アセレアはそっとわたしを観察するように見た。そしてどこかそわそわとして、何か聞きたそうにしている。


「どうかしたの? アセレア」


「いいえ。本日は私がリュミフォンセ様を護衛さしあげます。よろしくお願いします」


「ええ。よろしく頼むわね。そういえば、バウもサフィリアもいないわね」


「バウは皆様がいらっしゃった応接室で、手足を伸ばして寝ていました。サフィリア殿は、早々に着替えが済んだようで、ヴィクト様と中庭にいましたよ」


「ふーん」チェセに髪を引っ張られながら、わたしは生返事をする。「またお怪我をさせないといいけれど」


「怪我・・・ですか?」


アセレアが不思議そうに聞きかえしてきた。そうだよね。不思議だよね。


「ええ。サフィリアったら、精霊の試練と称して、ヴィクト様と組手稽古をしてね。そのときに、ヴィクト様のお腹を水槍の魔法で貫いたらしいわ。そのあとすぐに癒やしたっていうけれど、明らかにやりすぎよね。わたしはその話を聞いて青くなったわ・・・」


「勇猛名高い辺境伯子を相手に、一本取ったのですか。いやはや、さすがは大精霊殿だ。ですが今日のふたりは、着飾っているのもあって、さながら物語に出てくる姫と王子のようでしたよ」


「そう。あのふたりの外見なら、そう見えるでしょうね」


「・・・いやもちろん、王国一の美姫と名高いリュミフォンセ様には及びませんが」


「別にお世辞は求めていませんよ」


いやお世辞ではありませんが、と軽く咳払いするアセレア。どうも様子がおかしい気がする。


「何か、わたしに聞きたいことでもあるの?」


わたしは今度は鏡ごしにアセレアの表情をじっと見た。彼女は目をそらすと、いたずらっ子のような表情で頬をかき、そして意を決したように聞いた。


「では、お聞きします。リュミフォンセ様は、オーギュ殿下とヴィクト伯子、どちらを選ばれたのですか? お二人は、わざわざリュミフォンセ様を追って王都を出ていかれました。その仲立ちをした我々としては、結果を知る権利があるかと思います。・・・その、ヴィクト様を伴われているということはつまり、そういうことなのですよね?」


ああ・・・そういえば、貴公子のお二人は、チェセやアセレアたちに仲介されて、わたしが泊まっている宿に来たんだっけ。


「そのことなら、別に隠すことではありませんので普通に言いますよ。オーギュ様の求婚を受けることにしました。ただヴィエナまでは彼の都合がつかなくなったので、ヴィクト様に付き添ってもらったのです」


「ええっ!」


・・・という声は、アセレアのものでもチェセのものでもなかった。当然わたしのものでもない。くぐもったそれは、ドア越しに聞こえてきたものだ。


「「「・・・・・・」」」


「こほん」


ドア越しにひとつの咳払い。そして上品なノックのあと、何事もなかったかのように部屋に入ってきて、綺麗に挨拶をしたのは、わたしの侍女のレーゼだった。


「「「・・・・・・」」」


わたしたちの視線に負けることなく、レーゼは改めて堂々とした淑女の礼をとり。


「リュミフォンセ様、オーギュ殿下とのご婚約、おめでとうございます。お二人の進む道に清らかな光が降り注がんことを」


「ありがとう、レーゼ。元気そうで嬉しいわ。でも、盗み聞きはよくないわね」


そうからかうと、彼女は細い目を見開いて、


「いえ、あれは、ぐうぜん聞こえてしまったのです! 盗み聞きをしようとしていたわけではありません、決して!」


あまりからかってもかわいそうかしら。でもこれは聞いておこう。


「わたしの婚約は、そんなに意外だったかしら?」


「そのう、失礼ながら、リュミフォンセ様は、こうした男女のことを避けるきらいがございますので・・・お二人のどちらかには決めかねるのではないかと想像しておりました」


うむぅ。なるほど、一理あるわ。レーゼはよくわたしを把握しているわ・・・。


唸っていると、アセレアが、


「私が同じ立場なら、どうにかして両方を手に入れられないか、画策致しますけれど・・・しかし、ヴィクト様を伴われているのは、そういうことでは?」


それ、逆ハーレム展開じゃない。そんな下品な人間じゃないわよ、わたしは。


「違います。ヴィクト様の同行は、オーギュ様もご承知のことよ。どうしても手分けをしなければいけない事情になって、ヴィクト様が騎士役として同行してくれることになったのよ。それに、ヴィクト様だけでなく、シノンも一緒でしょう?」


わたしの言葉を聞いて、アセレアは唸るように自分の赤髪をかきまわすと、ぽそりとつぶやいた。


「くうぅぅ。ということは、モルシェの一人勝ちか・・・」


その言葉を、わたしは耳ざとく聞きつけた。一人勝ちですって?


「貴女たち、楽しく予想するのは結構ですけれど・・・賭けてたわね?」


ぎっくーん! と音が聞こえそうなほどに、アセレアが動揺し、レーゼが声には出さず、口の動きだけがこのばかっ!と動く。


「それが主でなくとも、他人の婚約事情を賭け事にするなんて、不謹慎だと思わないのかしら・・・?」


「いっ、いえ、これは違うのです、リュミフォンセ様!」レーゼが両手を振って弁解する。「私たちは職務の一環として今後の予測と対応を検討していたところですね、アセレア殿から『そんなに予想に自信があるのなら、証明してみせろ』と挑発されまして・・・」


「あっ、こらレーゼ! 裏切る気か!」


アセレアがつかみかかるように言えば、事実を述べる必要があるでしょう、とレーゼと反論し、ぎゃいぎゃいと始まるが。


「事情はあとでゆっくり聞かせていただきますけれど・・・賭けに参加したのは、アセレア、レーゼ、モルシェの3名で間違いないかしら?」


そう言うと、びくりとわたしの髪をいじる手に振動が伝わってきた。その振動元の栗色の髪の侍女頭をわたしは見る。


チェセは視線を宙にさまよわせながら言った。


「その・・・リュミフォンセ様の恋を応援するなら、その気持ちをかたちにしてみせろと言われまして、少々・・・」


なんてこと、チェセ、貴女まで!



賭けは無効であることを言い渡し、しかし言い出しっぺのアセレアの掛け金は没収することで罰として。


わたしはチェセとレーゼに手伝ってもらいながら、衣装の準備を進める。


「ところで、オーギュ様を選ばれたのは、どうしてなのです?」


手を動かしながらのレーゼの問いに、わたしはうーんと考えながら応える。繰り返し言われたことが一番の理由だけど、それを除くとすると・・・。


「そうですね・・・告白の時宜が良かったですね」


「は? 告白の時宜・・・ですか?」


「強大な敵と対峙していて、生きて帰れるか不安なときでしたので。もうそこで求婚を受けないと、他に時宜がないと思ったんですよ。それが理由ですね」


うん。要はタイミングだね。それが良かった。


わたしがとくとくと説明すると、侍女ふたりは微妙な、いえ困惑の表情で顔を見合わせる。


ん? なにかあったかしら?


「あの・・・それは、リュミフォンセ様が不安になったときに告白を受けたから・・・ということでしょうか? かなり成り行きというか、いっときの気の迷いのように聞こえるのですが」


レーゼに言われたことをわたしは斟酌する。


「婚約をする最後の判断のきっかけがそれであったというだけで、他の事情の検討は皆とすでに終えているでしょう? 一時的なものでは無いですよ」


そしてチェセが、おそるおそる、


「あの・・・そのお言葉、まさか御本人にはお伝えしていませんよね?」


「いないですよ? 内心をつまびらかにするなんて、恥ずかしいではないですか」


いえ恥ずかしいということではなくてですね、もっと恋情というかなんというか・・・と口の中で呟くチェセ。その彼女を代弁するように、レーゼが口を挟んでくる。


「リュミフォンセ様のご本心は、ご自身のお心に深く秘めていただきましょう。ですが、この国の王子との婚約ですから、お二人の馴れ初めは人々の関心を集め、話題になることでしょう。ですから、人々にわかりやすい、それでいて喜ぶようなかたちにする必要があります。ですので、リュミフォンセ様は、オーギュ殿下の熱烈な求婚に心を動かされた。ーーこれでいきましょう」


これで! と強く押してくるレーゼに、わたしはなかば押し切られるように頷く。


「細かいお話の肉付けも、私たちで考えます。リュミフォンセ様は、真実は胸に秘していただくようお願いします。殿下に対してもです」


きっぱりと言い切るレーゼ。その様子に、逆にわたしがおろおろしてしまう。


「そっ・・・そんなにまずかったの? わたしの判断の理由は・・・」


「理由は個人の内心ですから、自由だと思います。けれど・・・」レーゼは真剣な光を細い目に宿してかっと見開く。「はっきりと申し上げると、リュミフォンセ様の恋愛力は激低です。お優しい人柄は存じ上げておりますけれど、恋愛については冷淡なほどです。よほど気をつけなければ、殿下に愛想をつかされて、婚約破棄もあり得るとお考えくださいませ」


なっ・・・なんだってぇェェー!









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