157 ヴィエナへ②







古都ヴィエナにおける、フジャス商会の渉外館。


わたしの家臣であるチェセ達と、お祖父様たちとの待ち合わせ場所はそこだった。


ウドナ河畔の渡しにほど近く、倉庫街や商会が立ち並ぶ目抜き通りから一本入ったところにその館はあった。紅く焼かれた煉瓦積みの、瀟洒な館だ。繁華な地区に接しているのに、そのあたりだけは静謐な空気が漂っているという、高級住宅のような佇まい。


商人が顧客をもてなしたり商談で使う建物なのだけれど、下手な貴族の館よりも大きくて立派だった。場合によっては、王族も持てなせるようにと作られた建物なので、当たり前だと言われそうだけれど。


フジャス商会の人に取り次ぎを頼んだら、うろんげな視線で値踏みされたあと、応接に通されたので、皆で待つ。わたし、ヴィクト様、サフィリアに仔狼姿のバウ、そして、シノン。


応接は広く、調度も良いものを使っている部屋だった。わたしたちは戦塵と旅塵で汚れた服だったけれど、きちんと値踏みをしてもらえたらしい。


待つあいだ、わたしはシノンの様子をそっと見遣る。


シノンは泣いてはいないけれど、明らかに落ち込んでいるように見える。いつも彼女とともにいた鷹はーーもういない。


時の精霊、イー・ジィ・クァンは、魔王と戦ったあの日、消えてしまったのだ。


あの宿のロビーで、涙をこぼしながら、ときおりつっかえながら、それでも最後まで話しきったシノンの言葉をまとめると、こうだ。


朝方、シノンは目覚めた。頭のなかで鷹の呼びかけがあったのだという。


重いまぶたを開いてみれば、寝台の縁にとまった鷹が、淡く虹色に輝いていた。


そこでシノンは跳ね起きた。なぜかと言えば、鷹の姿が、輪郭が、どんどんとぼやけて薄くなっていたからだ。


鷹はシノンはお別れの言葉を言った。鷹が言うには『使命が終わった。ゆえに消える』と。シノンはぶんぶんと首を横に振って拒否した。幼い頃に出会った彼女と鷹は、これまで常にともにあった。


運命という大きな観点から見れば、時精霊イー・ジィ・クァンの宿り木、あるいは通訳者として選ばれただけの少女シノンであったけれども、一羽と一人の間には、確実に数年にわたる絆があった。少ない食事を分け合い、ともに笑い、泣いた時間があった。


シノンが虹色に輝く鷹に向けて手を伸ばすと、彼女の指先は、鷹の輪郭をすり抜けた。シノンは、イー・ジィ・クァンーーいーちゃんとの別れが、避けれられないことを悟る。


『やだっ・・・いーちゃん、やだよっ、いーちゃん!』


いーちゃんは、ひとつ跳ねて、シノンの肩に静かに止まり。そして、彼女の顔を抱くように、両翼を広げた。


そして、差し込む朝日に溶けるように、虹色の泡となって消えた。


同室だったメアリさんが異変に気がついたときには、寝台にうずくまって泣くシノンだけが、残されていたのだという。


もともとシノンは孤児だった。狩人の親方に育ててもらったといえば聞こえは良いけれど、現実は体の良い下働きでしかない。待遇も良くなく、嫌なことが多かっただろう。最終的には親方に裏切られて闇市場に売られたのだから、推してしるべしだ。


つらい環境、それでもシノンが生きてこれたのは、あの鷹のいーちゃんと助け合ってきたからだ。


王都の外れに戻るお家がある、という彼女の言葉も、わたしたちを枯れ谷に誘うための方便でしかなかった。シノン自身は、鷹のいーちゃんの言う用事が終わったら、1人と1羽でどこかひっそりと暮らそうと思っていたみたいだ。


けれど、シノンは大切な相棒を失った。新たに生きる気力もまた失せてしまったみたいで。そんな彼女を放り出してはこれず、とりあえずわたしが同行させて来たのだ。


ただ、もちろんシノンは大変だけど、魔王とあれだけの戦いを経たのだ。誰も欠くことなく乗り切る、というのも虫が良い話なのかも知れない。


きっと、鷹のいーちゃんは、わたしたちが最善にたどり着いたときに、自分がシノンの前から消えることを予期していたのだろう。時の精霊だから、未来と運命を読むのはお手の物だ。


ひょっとしたら、シノンをわたしのところに残したことすらも、いーちゃんの考えのうちなのかも知れない。もしそうだとしたら、いったい何を考えてーーううん、、イー・ジィ・クァンはわたしにシノンを託したのかしら?


そんなことをぼんやりと考えていると、ぱたぱたと慌ただしい足音が行き交ったあとに、品の良いノックとともに、ひとりの侍女レディーズメイドが現われた。


「リュミフォンセ様。お疲れ様でございます。ご無事でなによりです。皆様もようこそいらっしゃいました」


淑女の礼をして、栗色の髪を揺らし。顔をあげたのは懐かしい顔ーーチェセだ。ほんの数日しか離れていないはずだけど、なんだかとても久しぶりな気がする。


「チェセもご苦労さま。心配をかけたわね」


わたしが声をかけると、少し難しい顔をしていたチェセは、すぐに綺麗な笑顔を作った。


「いいえ。それよりつかぬことを伺いますが、皆さま、街の外でモンスターの襲撃にあわれたのですか?」


うーん。ぼろぼろになった服は、出来る限り繕ってはみたけれど、屋敷にいるチェセから見れば、わたしたちが状況にそぐわない服装をしているのは一目瞭然みたい。


「うん、魔王とちょっとね、一戦を交えてきたの」


「はっ?! 魔王? まおーとちょっとねいっせん?!」


わたしの説明に、チェセが目を見開いて復唱する。


「どっ、どういうことですか? 王城の夜会を抜け出して王都の外れの村に滞留されて、それからヴィエナに来られたのですよね? それがなにゆえ魔王と戦われているのですかしかもお気軽な感じで?!」


だんだんと高くなる彼女の声に、わたしのほうが慌ててしまう。お客様の前だというのに。


「チェセ、落ち着いて。それに、魔王はちゃんと倒してきたから」


「しかも、たっ倒した? 世界を苦しめ続けてきた、まおーをですか? そんな簡単に? まおーは細長い棒かなにかですか?」


がくんと大きな口を開けて。驚いた表情のチェセ。そんなに驚かなくてもいいのに。


けれど、さすがの彼女は、次の瞬間には柔らかそうな唇に手を添えて、気持ちを切り替えようとしているのだろう、ぶつぶつと呟く。


「いえ、リュミフォンセ様ですものね。それくらいはあるかも・・・ありや・・・さもありなん・・・いや、あってたまりますかぁー!」


「どうどう。深呼吸よ、チェセ。言葉が乱れているわ」


すーはーすーはーと素直に深呼吸をしてくれるチェセ。甲斐あってか、それでどうやら落ち着いてくれたらしい。きっと視線を鋭くし、姿勢を正して、胸に手を当てた姿勢で彼女は言う。


「それよりもお召し物をお着替えくださいませ! 公爵様がほどなくここへ到着されるはずです。ただいますぐ着替えをご準備いたします! 皆さまの分もご用意させていただきますので!」


そしてチェセは一礼をすると、レーゼとモルシェの名を呼びながら退出していった。


「・・・・・・」


なんだか嵐のような再会になってしまった。


いろいろと謝ったりしたかったのだけれど、そんな雰囲気じゃなかったな・・・。先輩メイドのメアリさんのことも話したかったのに・・・。


はっ。


そこで、皆の視線がわたしに集まっているのに気づいた。


わたしはぎこちなく笑みを作り、ほほほと笑ってみせる。


「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。彼女はわたしの侍女頭なのですが、普段はもっと落ち着いていて、細かいところに良く気のつくとても優秀な家臣なのですの。ちょっと今日は取り乱してしまいましたけれど。ほほほ」


そんなふうに言い繕うと、ヴィクト様がその場を代表するように口を開いた。


「いえ・・・とても彼女は優秀だと思いますよ。規格外の主君に、よくついていけていると思います」


彼のその言葉に、その場の皆が同意するように深く頷く。


ちょっと・・・それどういう意味ですか?







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