第十章 親子
152 屋根上での会話
ばちん。
わたしはかけられた魔法に自然抵抗して、目を覚ました。
そこは魔王との戦いの場の最寄りの村。名前を一度聞いたけれど、思い出せない。でも窯業が盛んな大きな村だということはわかる。村に入っただけでも10は窯があり、素焼き物を保管しておく棚や炭を保管する小屋も多い。
泊まっている宿屋も大きな飾りタイルが壁にはめられているので、とても端正だ。白地に青筆、あるいは逆のタイル絵は精巧で美しい。
そのタイル絵の方向から、魔法が来た・・・ような気がした。
薄闇のなか、わたしはむくりと起き上がり、目を凝らし、そしてエテルナの流れを確認する。
けれど、わたしの部屋には、異常は感じられなかった。
わたしの部屋にはサフィリアとバウが泊まっている。隣の分厚い布団のベッドにサフィリアが沈むように眠り、バウは仔狼姿になって、床で丸くなっている。ひとりと一匹にはそれぞれ異変はない。どうやら魔法に気づいて起きたのはわたしだけらしい。
するりとベッドから抜け出し、わたしは宿から借りた白い寝間着の上に外套を羽織ると、エテルナの動きをたどって部屋を出た。
三階の窓から見える双月は綺麗な満月。薄く翳る月の下、眠る村は静まり返っている。
夜啼鳥の声がまた聞こえた。もうすぐ夜が明け、群青色の東の空が、白み始めるのだろう。
風を感じてそちらを見ると、外に通じる小さなバルコニーがあり、その扉が開いていた。
わたしは扉をくぐってバルコニーに出る。そこは村を一望できる見晴らしの良い景色と、良い冷たくて気持ち良い風が吹いていたけれどーーわたしはそれらを背に、宿の立派な屋根を見上げ。そして飛翔魔法を使って屋根の上にあがった。
「あらぁ。起きちゃったのねぇ。良い子には夢を見る時間が必要よぉ」
屋根の上には先客がおりーーその先客の言葉だ。
「ええ。その夢を醒まそうとする大人が居るものだから」
言いながら、この女とはどうしてこういう出会いばかりなのだろうと、わたしは頭の片隅で思う。
青紫の空を背景に、宿の屋根に立つのは、ドレス姿のルーナリィだった。
「ここで、何をしていたの?」
わたしが尋ねると、ルーナリィは肩をすくめた。
「あとしまつを、ねぇ。
ゆったりとした口調で話すルーナリィ。
「あとしまつ?」
「一言で言えば、関係者の記憶の改ざんかしら。天つ神のことはできるだけ削除して、リシャルと私のやったことを、ルークの活躍やモンスターの同士討ちとして置き換えたのよ」
記憶操作の魔法は、一度に全部やらないと、記憶の辻褄が合わなくなるのよねぇ、と彼女はぼやく。
記憶操作の魔法とは、さきほどわたしのところに飛んできた魔法のことだろう。ここで調律者としての活動の痕跡を消そうとしたということなのだろうけれどーー。
「わたしの記憶も、変えようとしたの?」
気に入っている事実ではないけれど、この女は、わたしの母親だ。
なのに、この女に、わたしの記憶をも改変されそうになった。
「記憶操作の魔法は、記憶消去の魔法よりも繊細なのよぉ。ちょっと対象の魂力の量が大きいと、ぐっすり眠っているときぐらいしか効かないのよぅ」
なるほど、言っていることはわかる。調律者の存在は、隠していたほうがいい。
調律者は世界に必要だけれど、存在が持つ巨大な力自体が、世界を変えることがあり得る。たとえば、リシャルはたった独りで王国軍団に匹敵ーーいやそれ以上だと評価できる。その彼を取り込みたいと思い画策する権力者が居ても不思議ではない。その画策が無用の争いを生むことも想像できる。
ルーナリィのやっていることは、将来の争いの芽を未然に摘むことなのだ。
けれどーー
「わたしは、貴女の娘なのでしょう?」
わたしが視線を鋭くしたのにルーナリィは気づいたらしい。彼女は顎に人差し指を指つけて、付け加えた。
「だってぇ、お友達と同じ記憶のほうが、何かと便利でしょう?」
「わたしを13年も放っておいて、何の断りもなく記憶を変えるの? いいえ、娘を何年も放っておける人だからこそ、本人に何も言わずに、話さずに、記憶を変えることができるのね!」
気づけば、わたしは大きな声を出していた。ふつふつと、お腹の底が熱くなる。この世界に来て、本気で怒ることなんてそうなかった。久しぶりの感覚だ。
にらむわたしに対して、ルーナリィは顎に指つけたまま、なにかを考えている体で、こてんと首を傾げた。
これほど言っても、わたしの怒りは伝わらないのか。ルーナリィが人の心の機微にうといことは感じていたけれど、これほどとは。わたしが言葉を重ねようとしたとき、彼女が先に口を開いた。
「思うんだけどぉ。貴女の振る舞いって、どこかこう・・・不思議な感じよねぇ。年の割に、大人びているというか・・・世慣れているというか・・・」
んー、と考えるように目を閉じたあと、ルーナリィはぽんと手を拳で打った。
「ひょっとして、あなた。異世界の前世の記憶が残っているのかしらぁ?」
「!!!」
■□■
異世界転生をしてきたという、わたしだけの誰にも語っていない秘密。
それをルーナリィは言い当ててきた。
戯れの言葉なんかじゃない。なぜなら、ルーナリィは『異世界の』前世の記憶、と指定してきたのだから。
わたしを前世日本から転生させたのは、この女だということ?
「あっ。やっぱり、そうなのね。興味深いわ、聞かせてくれない? どんな記憶が残っているのかしらぁ?」
ルーナリィはわたしの表情を読んで、答えを推察して。そして嬉しそうに両手を顔の横で合わせた。
続ける声が低く早口になる。研究者モードだ。気の所為かも知れないが、するりと表情も変わっている。
「記憶には種類がある。一般的な知識にあたる意味記憶、個人の感情を伴った経験や体験にあたる物語記憶。私の予測では、後者が残っていることはなく、前者だけが残っていると思うのだが、どうだろう?」
「・・・・・」
この女のいうことは、確かにわたしに当てはまる。前世日本の、一般的な知識・・・意味記憶は残っているけれど、個人的な体験の記憶はほとんど残っていない。
それを伝えると、ルーナリィは満足そうになんども頷いた。実験は成功であるうえに、仮説にも間違いなかったと・・・
その様子を見て確信する。間違いなく、この女によって、わたしはこの世に前世日本から転生させられたのだ。
いったい何の目的で? 実験的に転生させられた?
わたしの前世日本の魂は、この女の
「なによさっきから、怖い顔をしちゃってぇ。これはただの会話よ、か・い・わ。母と娘とのふれあいでしょぉ? もう少し、楽しげにできない?」
研究者モードを解除したルーナリィが、腰に手を当てて言ってくる。
この女は悪だ。人の魂を、記憶を、尊厳をもてあそぶ悪だ。
決して許してはいけない。
そして思い出す。
この女は、もともと魔王という巨悪であったのだーー。
わたしは体に流れる魂力の流れを整える。頭に魔法の構成を思い浮かべて、そして、指先を動かした瞬間ーー。
小さな舌打ちが聞こえた。
そして、ぶわりと、ルーナリィの周囲から黒い闇が溢れた。
その闇は靄のようにわたしとルーナリィを包み。そしてわたしの視界を奪う。深淵の闇。
けれど次の瞬間には、闇はすっかり消えていた。
そして、わたしたちが立つ場所も変わっていた。
さきほどまでの宿の屋根の上とは明らかに違う。砕けた大地、水で練られ炎で焼かれた泥土、原型を留めないほどに砕かれた崖ーー。破壊の爪痕が色濃く残るそこは、天つ神の魔王と戦った、枯れ谷の箱庭だった。
ここと最寄りの村とは、数キロは離れていたはずだけれど、一瞬でここまで移動したというの?
幻覚という感じはしない。空を見れば、空の星は薄くなっているけど暗がりも残している。朝が迫っているけれど、時間も経過したわけじゃない。長距離をただ移動したのだ。本当に、一瞬で。
「これは『闇渡り』よぉ。夜にしか使えないし、印を付けたところにしか使えないけど、一瞬で移動できる。便利でしょぉ? 極めた魔法っていうものは」
なるほど。サフィリアの使う『水渡り』のようなものね。詳しい原理への理解はともかくとして、わたしは身構える。
「それ。それよ。その態度」
ルーナリィはいらだたしげに言った。
「私は母親よ。貴女を産んだのは私よ? あんなに痛い思いをしてね。そして久しぶりに会ったのだからって、楽しくおしゃべりをしようとしてるのに。・・・それ、『殺気』よね? それも本気のやつ。一応、隠しているつもりなのかも知れないけど。あーもう、でも、私ってば天才だからわかっちゃうわけ」
苛立たしげにがしがしと髪に手を入れるルーナリィ。そして、ぶわんと膜が広がる感覚があった。結界だ。彼女はしゃべりながら、力が漏れ出ないようにするための、戦闘結界を張った。やはり魔法の力量はとんでもない。
そしてルーナリィは、わたしを暗い目で見る。
「そういうものって・・・親に向けるものなのかしら?」
わたしは戦いのときよくそうするように、細く長く呼吸をする。力量は確かに開いているけれど、勝算がないわけじゃない。
どのみち、この女はこの世の存在を許してはいけない女だ。ここでわたしが、やらなければならない。
一瞬目を閉じ。そして見開いた瞳で鋭く目の前のルーナリィを見据え、わたしは啖呵を切る。
「道を誤った親を正すのは、娘の役目だわ! 叩きのめして、その根性を直してあげるわ!」
次の言葉はきっかり言っておきたかったので、一度息継ぎをして、滑舌良く言った。
「ーーだいたい、良い年してまだリシャルに色目を使って、気持ち悪いのよ!」
「言ってくれたわねぇ小娘ェェェ!」
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