151 夜啼鳥の声が聞こえる未明







体がふわと浮き上がっている。けれど、呼吸がうまくできない。


澄んだ水たまりに落ちて、揺蕩っているような気分。


心地よいのに、長くここに居てはいけないような気がして。


うまく動かない四肢をどうにか動かして、彼はきらきらと眩しい水面を目指す。


そしてようやく。彼は、なんとか片手を水際から出すことができたーー。



そんな幻想を見て、ヴィクト=アブスブールは目を開いた。


まず見えたのは、穴の空いた水の華の結界。水の花弁は形を保っているものの、ずいぶんと小さくなっている上に、花弁は無残に切り裂かれ、穴が空いてさながら廃墟のようだった。


となれば当然、自分は土の地面の上に仰向けに寝転がっている。さらに言えば、全身が水で濡れそぼっているようだった。


そしてふと、ヴィクトは胸に暖かい重さを感じて、わずかに頭をあげた。


胸のあたりを見れば、銀髪の少女が彼の胸に突っ伏し、静かに呼吸をしていた。空から注ぐ光が、彼女の銀髪を、同じ色の睫毛を、白い輪郭を穏やかに浮かび上がらせている。


「気づかれましたか? ですが、動かれないほうがよろしいかと」


その声は、ヴィクトの胸に顔を乗せる銀髪の少女のものではなかった。戦闘侍女の格好をした金髪の端正な娘が、しずしずとしかし素早くヴィクトのそばに膝をついた。この者は、勇者一行のメアリだと、ヴィクトはまだ意識がぼんやりとした頭で思いだす。


「私は・・・これは、どういう状況か教えてくれないか。戦いは、どうなった?」


ヴィクトが金髪の侍女に問うと、メアリはひとつ頷いた。


「ヴィクト様は、水の華のなかでの戦いの中で、サフィリアさんをかばって、大怪我をされたのです。ですが、サフィリアさんが大規模な水魔法で罠を発動させながらも応急処置を施し、罠を発動し終えたあとは、集中して治療をされたのです。そしてそのあと、彼女は力尽き、そのようでございます」


ヴィクトは改めて自分の胸に顔を乗せているサフィリアを見る。よく耳を澄ませば、すーすーと寝息が聞こえる。


「戦いについて言えば、リュミフォンセ様の策があたって、魔王を弱体化させることに成功したようです。ルークは最後の決着をつけるため、ついさきほどここを発っていきました。私は、お二人とシノンの様子を看るために、ここに残りました」


言われてヴィクトが戦闘侍女が来たほうに視線を転じると、狩人の娘が寝ている。安全のために防護膜を施して泉に沈めておいたはずだが、すでに泉から引き上げられているところを見ると、もうここは安全な状態だということだ。狩人の娘は良く眠っていて、寝相が悪くなってきているところを見ると、かなり回復してきているように思えた。


そうして落ち着いてくると、ヴィクトは胸に乗る重みが気になってきた。精霊の体も、人の娘と同じように、あたたかく、やわらかいのだなと当たり前の感想を持った。


そうなってくるとなんだか落ち着かず、彼女をそっと動かそうと腕をあげたそのときーー。


「あ、動かれてはなりません」


メアリに制止された。


「なぜだ? サフィリア殿も、このような体制ではなく、ちゃんと寝かせたほうがいいだろう?」


ヴィクトとしては至極当たり前のことを言ったつもりなのだが、メアリはわずかに逡巡したあとにやはり首を横に振った。


「さきほど、ヴィクト様が大怪我を負ったと申し上げましたが、訂正します。本来なら即死の様態でした」


「なんだって?」


「蟷螂の斬撃を受けて、胴がみっつに切断され分かれたのです。こう、肩から脇腹、下腹部、そしてその下と。それはもうずばっと」


メアリが宙で線を引くが、それはヴィクトにとってあまりにぞっとしない話だった。


「そうか・・・薄皮一枚で助かったのか?」


「いいえ。文字通りの『切断』です。輪切りです。もう、ころころっと」一度話すと決めたならば、メアリも容赦がない。「傷も綺麗なものではなく、臓器も心臓も欠損していました。サフィリアさんが治療に当たっていたものの・・・失礼な物言いではありますが、こうして会話ができる自体ことが驚きです」


「胴が3つに・・・臓器も・・・」言って、ヴィクトははっと気づく。


「ひょっとして、服が濡れそぼっているのは自分の血か?」


「サフィリアさんは、治療しながら澄水で血を洗い流していましたけれど、大怪我でしたから、服に染み込んだ血までは気を回していないと思われます。

それよりも、一見全快されているように見えますが、素人目には、内蔵や神経がどこまで治っているのかわかりません。血も多く失っているはずです。治療の進捗はサフィリアさんしかわかりませんので、彼女が目覚めるまで動かずにおいてくださいませ」


「動くべきではないのはわかったが、その、サフィリア殿はちゃんと寝かせたほうが」


そこでメアリは困ったように眉根を寄せた。


「それが、お二人の間を、エテルナが循環しているのです。私は治癒魔法に詳しくありませんが、ヴィクト様の治療・・・生命維持の一環である可能性があるので、できればそのままで」


「そ、そうか・・・」


そう言われてしまえば反論もできない。ヴィクトは再びあげかけていた手を、ちょっとさまよわせたあとに、自分の体の横へと置いた。


最初こそ胸の上の柔らかさにしゃちほこばっていたけれど、やはり血と体力を失っていたのか、ヴィクトにほどなく眠気が訪れる。


いつの間にか、自分の呼吸と相手の呼吸が重なる。


守った命と、守られた命の重みを。ヴィクト=アブスブールは感じて、そしてふたたび眠りに落ちた。





■□■






魔王討伐が完了した。


わたしたちにとっては偶然から始まった戦いだったけれど、王国の人間全員と今代魔王との戦いが、これで一応の終結を迎えたことになる。


数年後に魔王が再び現われ、また新たに選ばれた勇者と死闘を演じることになるのだろうけれど、それでもようやく得ることができた束の間の平和だ。


勇者としては任務完了ということになるのだから、一刻も早く王様に報告しなければならないーーということだけれど、誰もが疲弊、消耗しきっていた。


一番重体なのは、死から蘇ったというヴィクト様と、治療で魂力を使い切って眠り続けるサフィリア。


次に、天つ神を封じたあと、意識を戻さないルーナリィ。戦いはあっさりだったように見えたけれど、よほど消耗する魔法だったらしい。彼女はリシャルに抱えられたままだ。


シノンは戦いの間に休むことができたので、起き上がって自力で歩けるまでに回復していたけれど、まだふらふらしていた。魂力を扱う訓練をしていないのに、多くのちからを使ったので、体の不調が長引いているのだろう。


オーギュ様は、鷹が離れることで、その場で未来視の力を失った。便利だけど特殊な力だったので、反動が体にあるのだろう、ひどくつらそうにしていた。


一見平気そうに見えるリシャル、勇者ルークも、そしてメアリさんもそれぞれに消耗具合がひどい。


そして、魂力を使い切ったわたし。これだけ魂力を使い切るのは久しぶりのことだった。立っていることすら辛い。なので、移動の間はずっとバウの背に乗せてもらっていた。


わたしにかけられていた時間遡行の魔法も、時の精霊である鷹ーーイー・ジィ・クァンは解除してくれたらしく、手の甲の模様の古代文字は無くなっていた。


ただ、手首に小さな四つ花の入れ墨が残っている。きっと時間遡行にかかわる守秘義務のようなものが残ったということなのだと思っている。推測が正しければ、時間遡行の話はこの先も誰にもできないことになる。


まあそれは良いのだけれど、見えるところの入れ墨が困る。主にお嬢様的な理由で。バングルをつければ隠れるかしら・・・?




そして、消耗しきったわたしたちは、最寄りの村に宿を取って、一晩休むことにした。


村は遠くで起こった大破壊の音で大騒ぎだったけれど、細かい内容を説明する余裕もない。ただ顔を知られている勇者ルークが、「魔王を倒した」とだけ告げた。


半信半疑の村人たちの間に、まるで光の速さで噂が伝わっていったようだけれど、わたしたちーー少なくともわたしは、その結果を確認する余裕はまるでなかった。


勇者の威光で最上級の部屋をそれぞれにあてがわれたわたしたちは、宿につくなり泥のように眠った。


疲弊の極みにあって、貴族らしさなど欠片も残っていない。


わたしたちは、もうそのあたりの冒険者とまったく変わりがなかった。




そして、明くる日の、夜啼鳥の声が聞こえる未明。


ばちん。


わたしは、かけられた魔法に抵抗レジストして。そして目を覚ました。








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