128 『気をつけろ。来る』
片膝をついた王子から、差し出される手。長い指。
金色の前髪の奥の碧眼は、まっすぐにわたしを見据えている。
この差し出された手を取れば、わたしは王子の求婚を受け入れることになる。
どこから流れてくるのか、岩の隙間を通る風が音を響かせ、緑の草の上を渡る。その上の青空では、鷹がまだ円弧を描いて旋回を続けているはずだ。
まさかオーギュ様がこのタイミングで求婚してくるなんて、思ってもみなかった。心の準備ができていなかったわたしは、乾いて張り付く舌を、どうにか動かす。
「よろしいのですか? その、わたしたちは、お会いして、そう時間も経っていないのに・・・」
そうだ。セブール様が拙速な求婚をしたとき、オーギュ様は破廉恥だと怒っていたではないか。
「縁とは時間の長さでは決まらない。そうおっしゃったのは貴女ですよ」
むぅ、確かに。夜会のときにそんな話をした記憶があるわ。あっさりと論破されてしまった。
「ですが、わたしは、中央の規則に異をとなえた上に、王城を飛び出してきました。あの事件で、中央貴族からの支持を落としたでしょう。オーギュ様が王位を目指すには、わたしはもはや足手まといでは?」
そんなことをわたしが言うと、オーギュ様は微笑とともに目を閉じると、差し出していた腕をおろし、片膝の姿勢から立ち上がった。そして再び開いたサファイアブルーの瞳はわたしを映している。
「王城での夜会の一件は、問題ないように処置して来ましたので、気になさる必要はありません。中央貴族の支持については確かに課題ですが、なんとかなる・・・でしょう。それよりも、貴女の率直なお気持ちを知りたいのですよ」
「わたしは・・・わかりません。こんな事を言って、困らせてしまうだけかと思うのですが、どうしたら良いのか、よくわからないのです」
「わからない・・・というのは、ヴィクト・・・他の婚約者候補についても同じですか?」
わたしは罪悪感に唇を噛んで、しかし、首を縦に振った。求婚してくれている皆さんには申し訳ないとは思うけれど、でもわからないものはわからない。こんなに直接的な好意を寄せられているのに。きっとわたしは心のどこかが欠落した人間で、恋愛に向いてない女なのだ。
「ふむ・・・であれば、今のところはその回答でよしとしましょうか」
そうあっさりと引き下がられて、わたしは肩透かしを食う。
「えっ? どういうことですか?」
「貴女が、王族との関わりを絶ちたがっているように思えましたから。となれば、この機にヴィクトが貴女をさらっていく結果を想像するのは容易だ。それを妨げるには、こうして求婚をする必要があったということですよ」
「それは・・・いまの求婚は、ヴィクト様に対する意地、ということですか?」
「そこまで単純ではありません。一種の駆け引きではありますが」
と、そこで何かを考えるようにオーギュ様は言葉を切り、自分の顎を拳で支える。
「さきほどの私の言葉には嘘はありません。ヴィクトの件がなくとも、貴女と結婚をしたいと思っていますので、そこは誤解の無いよう」
「理由・・・オーギュ様がわたしを求められる理由を、教えていただけますか?」
「そうですね・・・好きだの恋だのとお話しても、リュミフォンセ様には響かなそうですから・・・どう説明しましょうか」
うっ。不本意ではあるけれど、鋭い意見。わたしのことが把握されているわ・・・!
少しの時間、考えた末に、オーギュ様はまた口をひらく。
「貴女に出会ってから、予想外のことばかり起こる。それが迷惑でなくーーいや正確には少し違うのですがーー貴女の行動は新味を感じさせてくれて、楽しく感じられるのです。王城夜会の一件も、起こりの是非は論じなければならないかも知れませんが、健常な問題提起だと思います。なのでーー」
「なので?」わたしは聞き返す。
「貴女を私の妻にして一緒に生きていけたら、きっと楽しいだろうなと思うのです。それが求婚の理由です」
一緒に生きたらきっと楽しい、か・・・。そういう基準もあるんだ。
「これが私の求婚理由です。どうでしょう? リュミフォンセ様? 求婚のお返事は?」
「えっ? ・・・・・・えっと、それは」
「はは。意地悪な質問でしたね。こうなることはわかっていましたから、ゆっくり考えたあとに答えてもらえれば結構です」
「・・・。なぜ、わたしが答えられないとわかるのです?」
あまりに見透かしたように扱われるので、わたしはむくれてみせた。
「さきほど、勇者の将来の住処の話をしていたとき。リュミフォンセ様は、将来どこに住むことになるのか、まったく気にされていませんでしたよね? いや、このままリンゲンに住み続ける前提でしたよね?」
はっ、そういえば。ごく自然にリンゲンに住む気でいたけれど・・・。
「リュミフォンセ様は嫁入りですから、私に嫁げば王都に。ヴィクトに嫁げば北都ベルンに、将来に居を移すことになるでしょう。 なのに、自領のリンゲンの話ばかりされる・・・。なので、リュミフォンセ様の頭のなかに、嫁入りという要素がまったくないのではと思ったのです」
はい。そのとおりでした。わたしは恥じ入らんばかりに小さくなる。あのとき、わたしがリンゲンについて語って、皆が微妙な顔をしたのは、そのせいだったのか・・・。
「その・・・失礼を致しました。申し訳ありません」
そうわたしが謝ろうとするのを、オーギュ様は押し留めた。
「謝る必要はありませんよ。求婚されている側にその気がないのは、決して御本人のせいではないですからねーーむしろ責められるべきは、求めている我々のほうでしょう。ヴィクト式に
「まあーー」
ははっと快活に笑うオーギュ様に、わたしもつられて笑う。
そこに。
ピューーィ・・・・・・・
空から甲高い鳴き声が聞こえた。
わたしたちは空を見上げれば、鷹のいーちゃんが旋回の速度を早めている。
同時、何かの
ほんのすこし、あたりの気配がかわった。微妙な変化だが、わたしは背中に寒気を覚える。
「急に鷹が騒ぎはじめましたね」
オーギュ様が空を見上げて言う。ええ、とわたしは応えた。
「なにか、おかしいです。急いで戻りましょう」
ピューーィ・・・・・・・! ピューーィ・・・・・・・!
上空から鷹の激しい鳴き声がひっきりなしに振ってくる。これは警戒の声だ。わたしたちに、警戒を呼びかけている。
オーギュ様とわたしは、勇者たち皆と合流する。皆はさっき車座になっていたところから動かず、けれどお茶セットは片付けられていた。
「いったいどうしたの?」
わたしはシノンに聞く。鷹の言葉がわかるのは彼女だけだからだ。
「『気をつけろ。来る』・・・って言ってます」
「来る? なにが?」
当然わたしは聞き返す。シノンはわからないとばかりに首を横に振ったが・・・応えたのは、勇者ルークだった。
「魔王。探していたモンスターたちの親玉がいま・・・ここに向かって来ている・・・ッス」
「魔王ですって!?」
わたしは思わず聞き返した。それは皆おなじ気持ちはずだ。
続けてあたりを見回したけれど、崖に囲まれた中庭のような地形では、何も見えない。
「やはり確かなのね、ルーク?」メアリさんが聞く。
「ああ」力強く、勇者ルークは頷いた。「近づいてる気配が、前に会ったときと同じだ。奴は、空を飛んできている」
その言葉に、皆いっせいに空を見上げる。
わたしも気配を探るためにエテルナ感知を鋭敏にしようとしてーー思いとどまり、精霊チームを意見を求めるように見る。
「たしかに、でかい気配が近づいて来ておる。とんでもなく速く」
サフィリアが言葉で訴え、仔狼姿のバウが、同意だというように、わたしに視線を返してくる。
そのでかい気配というのが、魔王だというのか。
勇者は空の一点を、厳しい表情でじっと睨む。
そして、ゆっくりと顔の位置を戻すと、順々にこの場にいるものに視線を巡らせる。
「・・・これから説明することを、良く聞いてもらいたいっス」
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