129 撤退行①






枯れ谷の奥の、中庭のような場所。見る限りはモンスターもいない、平和な場所。けれど空を舞う鷹が、ひっきりなしに警戒の声を落としてくる。


「今代の魔王の、『大凶宴ディブオンダ』と呼ばれる特技。周辺のモンスターを呼び集めて狂戦士化させるーーそういう特技ッス」


勇者ルークの説明に、わたしたちは頷く。その説明は、さっき雑談のなかで聞いた。彼は続ける。


「その特技が、いま発動された可能性が高いッス」


「ーーーー!!!」


全員の息を飲む音。悲鳴のようにも聞こえる。


さっき、魂力の薄膜が風のように通り抜けていくのを感じた。あれがそれなのだろうか。


そして周辺のモンスターを呼び集めて狂戦士化させるーーということは、さきほど倒してきた巨大虫の群れが、より一層凶暴になって、集まってくるということだ。


誰もがその恐ろしさを想像して、口をつぐんでいる。


「皆さん、ここをできるだけ早く離れてくださいッス。リュミフォンセ様。シノンを連れて、精霊たちと一緒にこの場を切り抜けてください。それにオーギュ様、ヴィクト様も」


勇者ルークは、なぜかわたしに言った。いや、サフィリアとバウを従えているのがわたしだから、当然かしら。


「・・・貴方はどうするの? 勇者ルーク」


わたしが聞くと、ルークは腰の剣をつかみ、がしゃりと鳴らしてみせた。


「ここで魔王を足止めします。・・・メアリ、いいな」


そう呼びかけられたメアリさんは、当然とばかりに首肯する。


「待て待て。全員で立ち向かったほうが、勝算があるのではないか?」


話の流れに、そう疑義を呈したのはヴィクト様だ。だが、勇者ルークは首を横に振る。


「『大凶宴』の中心点・・・狂戦士化したモンスターが集まってくる場所は、魔王が居るところ。だから誰かがその中心点を押し留めておかなければならないっス」


そして彼は続ける。


「正直なことを言えば、ここには魔王の行方の手がかりを探しに来ただけのつもりでした。けれど、魔王と出くわしてしまうのは完全に予想外で、オレの責任っス。だから皆さんは、逃げてください。すぐに!」


勇者のただならぬ様子に、その場の切迫感が高まる。


「わかりました、勇者ルーク。貴方の言に従いましょう。・・・オーギュ様、ヴィクト様。急ぎ参りましょう」


戦場では、多くの言を費やして意見を擦り合わせる時間はない。即断即決が原則だ。わたしは頷くと、シノンの手を引き騎走鳥獣車へと向かう。


空から来る気配は、魂力感知を使わずともわかる距離になった。あと数分で、巨大な気配がーー魔王が、ここに到着する。


シノンを車に押し込んで、続けてわたしは乗り込み、バウが馭者台に。サフィリアはまた戦籠手を召喚し、前衛を務めるために先行する。オーギュ様、ヴィクト様も、それぞれのウリッシュにまたがり、勇者に一言投げて、進み始めた。


「メアリ。必ず戻りなさい。ーー勇者ルーク。この場は頼みましたよ」


メアリさんは淑女の礼で、勇者ルークは抜き放った剣を空高く掲げることで、応えてくれた。





■□■





騎走鳥獣ウリッシュ車は緑の草を蹴って、中庭の空間を横切るように走り。すぐに出口に続く崖の隙間に突入した。


わたしとしても、状況を楽観していなかった。かつて勇者一党の半数が重傷を負ったのが、特技『大凶宴』によるものだと聞かされれば、だれでもそう考えるだろう。


わたしたちは危険な状況に置かれている。勝つことよりも、それぞれが生き残ることが目標になる。


いっぽうで、勇者にとっては、何かを守りながらの戦いでは、勝算は絶望的だろう。


だからこの場合、護るべき対象ーー貴族要人であるオーギュ様、ヴィクト様、そしてわたしが。先に戦場を離脱することがもっとも優先される。勇者たちは自分の身ひとつであれば、きっと生還は可能だ。


つまるところ、魔王の出現で、わたしたちは足手まといとなったのだ。


それはわたしだけでなく、オーギュ様、ヴィクト様も共通の認識であるようだ。彼らは口にすることはないが、無念そうな表情を見せる。枯れ谷の入り口まではともかく、奥に進むときの主戦力が誰であったかは、言葉にして確認するまでもないことだ。


「ギギギギギギぎぃぃぃィィィィィイイイ!」


洞窟のような崖の隙間、鋭角の光がさす出口に、巨大な影。もう魔王の招集に応えてモンスターが集まってきたのか、それとも偶然か。


影の形から、竜ーーかと思えば、違う。あれは巨大な百足むかでだ。口と思しき場所から鋭い牙を打ち鳴らして酸のよだれを垂らし、たくさんの足が気持ち悪く蠢いている!


さっきまでは見なかった種類のモンスター。強そうだ。


でも、まずは、あれをどかさないと、ここを出れない。


「サフィリア! 吹き飛ばしなさい!」


わたしは車上から、先頭を突き走るサフィに指示を出す。


「がってん承知じゃっ!」


応えて大きく跳躍したサフィリアは、巨大百足の、高さ5メートルはあるだろう頭の位置に、水で象った巨大拳を撃ち込む。


『飛雷刺!』『氷華漣!』


仰け反った巨大百足の腹に、オーギュ様の雷の刺突が、ヴィクト様の地を走る華氷の波が追撃する。


だが、巨大百足はその場から動かせない。無論、仕留めることもできない。


だから、わたしは、エテルナから黒いを具現化し、百足と地面の間に伸ばして差し入れ。


そして勢いよく跳ね上げる!


ぱぁんという音とともに、巨大百足が浮き上がる。


そこに、サフィリアが水で肥大化した拳と蹴りの追撃を入れて、ようやく巨大百足を吹き飛ばすことに成功した。


そうして、大百足が、塞いでいた出口から退いた。巨体が動いた隙に、わたしたちは崖の分岐を抜け、もと来た枯れ谷に戻ることができた。


「ギィッ!」


巨大百足が顔をあげて酸の唾液を飛ばそうとしていたのでわたしは、それーー魔法の黒鞭を、一閃する。


ぱぁん、と高く音がなる。


そうして、巨大百足の行動を止める。


そして、エテルナを注いで魔法の黒鞭をぐんぐんと伸ばし、ひゅるひゅると周囲に漂わせ。皆が乗る騎走鳥獣ウリッシュ車、そしてウリッシュを駆るオーギュ様、ヴィクト様をも守る。魔法鞭の結界だ。


百足は警戒したのか、すぐに動いてこない。にらみ合いの様相になった。


相手の甲殻が硬い。鞭での打撃では効果が薄いと見て、わたしは指示を出す。


「サフィリア。斬りなさい」


「・・・たぁぁああっ!」


踏み込んで銀髪を翻し、サフィリアが手刀を放つと、同時に高圧の水の刃が、巨大百足を襲う。


甲殻の隙間に高圧の刃が入って、頭を切り飛ばすことに成功する。


そこでようやく百足は虹色の泡に変わった。


これで一安心ーーと思うけれど、けれど、息つく暇もない。


「ギチギチギチチチチチイ!」「ギシャシャシャシャ!」


分岐の洞窟の出口は、すでに囲まれていた・・・。わたしは車の上から魔法の黒鞭を、ひゅるりひゅると結界のように操りながら、地を這い空を飛ぶ巨大モンスターを鞭で撃ち、退かせる。


この魔法の鞭は、全方位に展開できるので、いろいろなものを守りやすい。それとなくオーギュ様とヴィクト様も護ることができる。


鞭の一部を動かして、飛びかかってきた巨大芋虫を押し留めて転がしたあと、ヴィクト様に聞く。


「どちらに抜けますか?」


鐙を踏ん張って鳥上から剣を一閃させ、襲ってきた大型羽虫を切り飛ばしてから、ヴィクト様は荒い息で応える。


「・・・南へ。確実な出口があるほうへ向かうべきです」


「わかりました。・・・バウ。先行して、あのあたりを吹き飛ばして」


(承知)


ウリッシュ車の馭者台から、仔狼姿で飛び上がるバウ。


空中でひとけり、その呼吸の間であっという間に本来の牛を超える巨大な黒狼姿に変わる。


『魔特複合ーー赤黒連爆『疾走』』


巨大な黒狼がモンスターの群れに突っ込み、宙を疾走する。それが通ったあとには、激しい火炎を伴う爆発が立て続けに起こる。行って戻って、一往復分の爆発で、多くの虫型モンスターを吹き飛ばす。蝶、芋虫、蟷螂かまきり、蜂・・・。明らかに種類が増えている。


だが期待通り、バウは道を拓いた。焼け焦げた芋虫を踏み潰して虹色の泡に変え、バウはついて来いとばかりにひとつ遠吠えをした。


「今のうちです、オーギュ様、ヴィクト様、参りましょう。シノン、手綱をお願い。全速で駆けさせて」


「・・・わかりましたっ!」


何故か呆然としているオーギュ様とヴィクト様だったけれど、シノンの反応は早かった。すばやく馭者台に移ると、車を引く二羽のウリッシュにひと鞭くれて、走り出す。その俊敏な動作に、そうだこの子は狩人の娘なのだと思い出す。


ガラガラと全速で進む車から落ちないようにしっかりと掴まりながら、空を見れば、鷹のいーちゃんは、わたしたちを追ってきている。敵は虫型だ、羽根を持つものも多い。地上ほどではないけれど、空もモンスターが集まりつつあり、いーちゃんも危険になってきた。


その向こうに、ここからでは見えないけれど、大きな気配が近づいてきているのを、わたしの感覚が捉える。


ーー魔王が、来る。








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